【Interview】人はなぜ[自殺する/生きようとする]のかは、わからない〜映画『牧師といのちの崖』加瀬澤充監督


編集という“対話”で見えてきたもの

−−編集は大変でしたか?

加瀬澤 大変でした。1年以上かかりました。まず僕が編集して、プロデューサーの煙草谷(有希子さん)がみて意見交換をしていくのですが、僕の編集をしていくうえでの欲望として、佐藤真さんが「緑の光線」(佐藤真著「日常という名の鏡」で言及)を取り上げて言っていたような、ある空気感を捕まえるみたいなことをしてみたくて、トライしています。でも、それを実際にトライしたとしても、観ている方に分からなければ意味がないですよね。僕の思い入れも強かったので、僕の言う「佐藤真的な世界観」がよく分からないんじゃないか、とか。煙草谷とは、その「分かりやすさ」の部分でかなりの議論を重ねました。基本的には僕の世界観を重視してもらいつつ、誤解が生じそうなところとか、人物の描き方(受ける印象)については何度も話し合いましたね。

そのようなやりとりをしている途中で、音響の菊池信之さんにみせたのも大きかったです。この作品を菊池さんに相談したことで彼との対話がはじまり、みせた後3、4時間話をして、修正する。そういう作業を繰り返しながら完成に近づけていきました。

−−菊池さんは小川プロ作品をはじめ、佐藤真監督の作品でも音響設計の仕事をされていますが、テクニカルな話をしたのですか。

加瀬澤 いや、もう少し映画の根幹に関わるところです。
菊池さんが言っていたのは、加瀬澤がどういう視点で見ているのかを大切にしなさい、と。どういうポイントで、何を見ているのか。それをどう構築し、切りつめて行くのか。切りつめて、余分なものがなくなっていた時に、どう接続させるのか。その作業を、話しながらしていく感じです。

ここにいる人たちが、どこまでほんとうに死にたい気持ちがあって、どのような深い悩みを抱えているかは分からない。本当に飛び降りてしまう可能性があるのかないのか、それとも甘えているだけなのか? 菊池さんも、彼自身が人と接する中で知りえた経験を話してくださいながら、人が生きるというのはどういうことかを考えるプロセスとして、この映画を捉えてくださいました。この映画が「生きていくことをみつめていく映画」だというのは、菊池さんとの対話で明確になっていったと思います。

−−編集で、一番こだわったポイントはどんな部分ですか。

加瀬澤 自分の映画観として、俯瞰的に描くことはやめたいというか、自分の人生に近い形で映画を作りたい。いま自分が生きていることを、カメラを持って考えながら、現在進行形で同時に記録していきたい、という思いがありました。かつて、萩元晴彦、村木良彦さんらが書かれたテレビ論に「お前はただの現在にすぎない」(※)というのがありましたが、その考えかたにも影響を受けています。彼らはテレビのドキュメンタリーの本質を「現在」を描くものとして考えていて、テレビジョンは現在進行形のジャズである、とも言っています。

僕もそのように現在進行形で現実に問いかけながら「現在」を描いていくことに対する憧れがあって、それを実現してみたいとも思いました。そうした考えに影響を受けながら。表現として振り切った作品を作りたい、と考えていました。

それでもラストは、僕の映画観や構築力を、相当に超えたものになっているような気がします。ブレているんです。そうせざるを得なかった自分もいて、僕にはこうしかできなかった。そこを皆さんはどう見るのかは、感想を聞いてみたいなと思っています。

『牧師といのちの崖』より©ドキュメンタリージャパン、加瀬澤充

ドキュメンタリーは“生の記録”である

−−長編初劇場公開にして、とても重厚で、哲学的な内容の映画だったと思います。いま作品が完成して、あらためて思うことはありますか。

加瀬澤 いま思うのは、自殺という問題が起きた時に、人はそこから遠ざかりたい、という心情が働くと思うんですよ。例えば三段壁みたいな危ないところに行ったら、怖いと思って離れたい、と思うのがふつうですよね。でも、それを亡くなる人は飛び越えていった。事情はいろいろあると思うけど、そういうふうにして亡くなってしまったことを、なかったことにしはしたくないと思いました。佐藤真さんも含めてですが、その人が存在していたということを決して否定したくないと、強く思いますね。

−−この映画自体が、まがうことなき生の記録でもありますものね。 

加瀬澤 人が亡くなるのも事実ですが、その人が存在していた時間は永遠に消えません。そういう意味では人は生きているし、ずっといる。彼らを忘れたり、語られなくなったりしてしまうと、彼らはいなくなってしまうんです。そういう意味ではみんな生きているし、生きている限りは、そのことから逃げちゃいけないと思う。

−−そういう意味では、映画というのは人が生きていく上で、力になり得るのでしょうか。

加瀬澤 分からないです。逆に言えば、そういうことを一緒に考えたいなと思います。映画にそこまでの力があって、世界を変えられるかどうかは、本当に分かりませんが、みんなで一緒に考えたい。悩みを抱えて、助けて欲しいと手を差し出す人がいる、そして、藤藪さんのようにそれを助けようとする人がいる。その中で起きている現実を映画は提示できるし、現実を映画として描きなおすことで見えてくる世界がある。ある種のイデオロギー的な描き方じゃなくて、現実そのものをどうつかんでいくのか。そして、社会や世界をどう批評していくのか。そういう見方を、佐藤真監督から教わったと思っています。

こういうテーマを撮るのは、率直に言えばしんどいですよ。重い気持ちを受け止めなければいけないところもあるし、ましてや藤藪さんは、輪をかけてしんどいと思います。でも、僕自身は、佐藤さんにそそのかされている気はしますね。だったら、そこにカメラを向けるでしょう?そのことを僕は教えたよ、と。


※60年代、TBSテレビで前衛的な番組を連作し、後に日本初の番組制作会社テレビマンユニオンを創設するメンバーによるテレビ論。「お前はただの現在にすぎない テレビになにが可能か」(萩元晴彦、村木良彦、今野勉著 朝日文庫)で現在も入手可能。

『牧師といのちの崖』より©ドキュメンタリージャパン、加瀬澤充

『牧師といのちの崖』
(2018年/100分/カラー/英題:A Step Forward)
監督・撮影・編集:加瀬澤充
プロデューサー:煙草谷有希子
音響:菊池信之 音響助手:近藤崇生
宣伝協力:細谷隆広 宣伝デザイン:成瀬慧 
製作・配給・宣伝:ドキュメンタリージャパン、加瀬澤充
助成:文化庁文化芸術振興費補助金(映画創造活動支援事業)
独立行政法人 日本芸術文化振興会

公式サイト:www.bokushitogake.com

ポレポレ東中野にて1月19日(土)~2月1日(金)までロードショー
12:30/21:00

それ以降の上映については劇場までお問い合わせください。

<イベント情報>
20日(日)21時の上映後 藤藪庸一牧師 × 加瀬澤充監督トーク
21日(月)12時半の上映後 藤藪牧師および加瀬澤監督の舞台挨拶
24日(木)21時の上映後 映像ジャーナリスト 綿井健陽氏 × 加瀬澤充監督トーク
25日(金)21時の上映後 エッセイスト 末井昭氏 × 加瀬澤充監督トーク
26日(土)21時の上映後 文筆家・隣町珈琲店主 平川克美氏 × 加瀬澤充監督トーク
30日(水)21時の上映後 精神科医 春日武彦氏 × 加瀬澤充監督トーク

初日他、監督の舞台挨拶あり。

【監督プロフィール】
加瀬澤充 (かせざわ・あつし)
1976年生まれ。大学卒業後、園舎と園庭のない幼稚園のドキュメンタリー映画『あおぞら』を制作。2002年に制作会社ドキュメンタリージャパンに参加。「オンリーワン」(NHK BS-1)「森人」(BS日本テレビ)「疾走!神楽男子」(NHK BSプレミアム)など数々のドキュメンタリー番組を演出する。