【Interview】自然の中で暮らす一家の「丸ごとの成長」を追い続けて 〜『山懐に抱かれて』遠藤隆監督インタビュー

日本テレビ系列の「NNNドキュメント」から、またひとつ素敵なドキュメンタリー映画が誕生した。テレビ岩手製作の『山懐に抱かれて』。三陸海岸にほど近い岩手県田野畑村で、限りなく自然に近い環境で牛を育てる「山地酪農」を移住し実践し続ける吉塚公雄さん夫妻と7人の子どもたちを追い続けた人気シリーズの映画化だ。
「雄大な自然の中に開拓された牧場で暮らす、大家族の営みと成長物語…」と聞けば、「大草原の小さな家」や「北の国から」ばりのファンタジックな世界を連想するし、実際に豊かな自然の映像もたっぷりと堪能できるのだが、インタビューに答える公雄さんの口からは「貧困」「借金」「経済的にはめちゃくちゃ」と、不穏な言葉ばかりが連発される。
でも、そこがドキュメンタリーの妙味。子供を含め丁寧に取材された一家それぞれの「悩み」を聞くうちに、山奥の酪農一家といえども「わかる、わかる」と自然に気持ちが寄せられる作品になっているのだ。
遠藤隆監督は、テレビ岩手の報道部長など要職をつとめながらも、吉塚さん一家を24年にわたり取材し続けた。冷静だが、どこか温かな視線の先にいったい何をみていたのか。お話をうかがった。
(取材・構成=佐藤寛朗)


感動だけでなく 冷静に「生活」を見つめる

 ——まずは、感想を述べさせてください。24年も取材を続けた大河的な作品と聞いて、感動物語を予想していたら、思いのほかクールな作品で驚きました。場面場面で泣けるシーンもあるけれども、冷静に石塚さん一家の「生活」を見つめる視点が常にあって、こちらの想像力が刺激されました。ナレーションの使い方も抑制的で、映像の行間を読む楽しみがありました。

遠藤 そういう部分でこの作品を受け止めていただけたとしたら、非常に嬉しいですね。ある種の抑制って、モノをつくる上で一番大事だと思うんですね。撮影がうまくいかない番組に限って、ナレーションをべたべた書いたり、使い尽くされた言葉を使ったりする。「子供と向き合う」とか「絆」がどうとかね。あるいは、子供が泣いたらカメラを待っていましたとばかりにズームをするような作り方を、僕は好みませんし、やってはいけないと思っています。

三男の純平くんが小さい時に、ラジカセにしがみついて歌っている場面がありますよね。ああいうコミカルなシーンは、自分たちも撮っていて抱腹絶倒するけれども、それを提示した上で、みなさんどうですか? と一歩間を置くことが大事なんだと思います。事実として自分たちの感動も提示するけど、感動するかどうかは観る方に委ねたい。そういう礼儀というか、職人としてのしつけみたいなものが、私が鍛えられた「NNNドキュメント」という番組はゆき届いていると思うんですね。

——観る前は牧歌的な生活が描かれるイメージだったんですが、そこが中心のドキュメンタリーにはなっていないと思いました。ご自身ではどう思われますか。

遠藤 お父さんは理想として山地酪農を実践しているけれども、銭金の問題に苦しめられていることも事実です。実はお父さんがそのことに一番苦しんでいる。その現実を描くことから逃れるわけにはいかなったのでしょう。お父さんは基本的に「人間は銭金じゃねえ」という人だけれども、お母さんは「そんな理想じゃ給食費も払えないんだよ」と言っていて、割と早いうちから感じていたことですけど。

——24年も取材をすれば、いろんな描き方ができると思うのですが、動物や自然相手の苦労より、経済など現実的な苦労のほうが印象に残りました東京育ちの自分は、酪農家の生活を別世界と捉えてしまいがちですが、そうはならない親近感が湧いたというか。

遠藤 人はよく喜んだり、わめいたり、悲しんだり怒ったりしているけど、その怒りの源泉はどこにあるのか。怒っている壁はどこにあるのか、苦しんでいる壁はどこにあるのか。壁が見えなければ、その人の苦しみや喜びは見えませんよね。僕が駆け出しの頃、よく喜怒哀楽を描け、最終的にこのドキュメンタリーがどこに着地するのかを考えて作れ、と言わましたが、突き詰めて考えると、喜怒哀楽は、それをもたらす壁が見えないと、社会性を持たないわけですよね。みている方も、おカネで苦しんでいるかもしれない。あるいは親子関係のギャップで苦しんでいるかもしれない。吉塚さんと共通する壁がある方が、共感して見られやすいことはあると思います。

——銭金といえば、遠藤さん、数字に強くないですか?映画の中にも沢山でてきます。「牛乳1杯325円(当時)」とか。借金返済計画の表をきっちり見せたりとか。

遠藤 病気なんですよ(笑)。よく言われるんですけど、暗算が早いんです。病気だと知っているから農家の数が3分の1に減っちゃったとか、最低限のポイントでしか入れていないんですけど、つい入れちゃうんですよね。あの家の特殊性を一般化して、同じ土俵に落としてくれるアイテムが数字なのかもしれませんね。

©テレビ岩手

農業問題から家族の生き方へ

——吉塚さんをはじめに取材したきっかけを教えていただけますか。どういう部分が面白そうだと思ってお話を聞きにいったのですか。

遠藤 1989年に半年間、会社から研修でニューヨークに行かせていただいたんですが、当時日本とアメリカの間では、農産物の輸入自由化がいちばんホットな話題でした。コメとか畜産の問題を全米で取材しながら、これからの日本は循環型農業が大切なんだと考えていた時に、たまたま別の酪農家さんから吉塚さんを紹介されて。山地酪農ってすごいなと思ったんですね。入り口は農業問題だったんです。

——初めてお父さんの吉塚公雄さんにお会いした時の印象はいかがでしたか。

遠藤
 眼光の鋭さは、それはもう強烈でした。ものすごいエネルギーを発していました。自分の人生と引き換えに山地酪農にかけている。その迫力は悪いけど会社で明日の出世を考えている連中とは全く別の人格ですよね。いまはおじいちゃんになって、だんだん丸くなってきましたが…あとは、その時いただいた牛乳が、本当においしかったんです。こんな牛乳は飲んだことはない、彼の言っていることは噓ではないぞ! と。そう思って取材が始まりました。

取材が終わっても、彼は熱く語るわけですが、当時の吉塚さん一家は貧乏で汚くて、僕らが子供の頃と変わらない格好をしているわけですよ。それなのに子供たちは明るいし、お母さんはニコニコしている。プレハブの家で暮らしながら、食事の時に「おじいちゃん、おばあちゃん、ありがとう…最後に牛さんありがとう、いただきます。どうぞ、めしあがれ」って言うんですよ。どうやったら「めしあがれ」という高貴な言葉が、あのバッチイ子供たちから出てくるんだって(笑)。

僕自身は大金持ちでは無いし、食うに困らぬ給料をもらって家族を養っているけど、何だかこちらが恥ずかしくなってね。吉塚さん一家は、明日をも知らぬ暮らしをしているけれども、もしかするとものすごい高貴な心を持っているんじゃないか。自分に無くて、彼らにあるものは何だろう? そのギャップを知りたくて、農業問題からあの家族の生き方に関心がシフトしていったんです。
©テレビ岩手

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