【連載】ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー 第32回 『実音 日大闘争の記録』

長いおまけ―頑固者だけが悲しい思いをする

ここまで書いたので、もうまとめたいところだが、本盤を聴いてあれこれと頭の中を巡ったことは付け足しで書いておきたい。

今回ある程度粘って全共闘について考えられたのは、とても良かった。
それでも、僕の中にはまだ、揺れるものがある。
もしも自分が当時の日本大学の学生だったら、どうだっただろうか。
バリ封に理あり、と思えたとしても、教室の壁を剥がしては焚火をすることにどれだけ「解放区」の高揚を感じられただろうか。
自分達もやられたとはいえ、重い石やコンクリート片を上階から機動隊員の頭上に落とすことを、どれだけためらいなくできただろうか。
現実に、機動隊員がひとり命を落としているのだ。「しかし、こうした悲劇的結果を招いた元凶こそが他ならぬ大学当局であって……」と強く言い返す側に、僕も立っただろうか。

ただ、学生の主張の芽が大きくなった時、大学がその声を聞かずに右翼・体育会学生を用心棒のように使い、さらに警察を、機動隊を呼んだのはいけなかった。筋道論だけではなく、交渉の戦略としてもダメだった、とはつくづく思う。


唐突に新作の映画の話になるが、深田晃司脚本・監督の『よこがお』が最近公開された。

ある善良な女性の周囲で事件が起きる。誤解が誤解を呼ぶかたちで加害者側とみなされ、人生を壊された女性は、やがて復讐者となって戻ってくる―という心理サスペンス劇。
ヒロインの崩壊が始まる最初の転換が、信頼していた人に言われる「警察呼びますよ」だったのに、よく計算されているな、と感心した。同時に辛くて、そのあたりはちょっと正視できなかった。

「警察呼びますよ」―これ、実は僕も言われた経験がある。具体は伏せますけど、ある。
まず、トラブルの誤解をといてもらうことや修復の可能性を完全に拒否される無念が胸をつぶして、その後ね、凄く怖くなって足がすくむんです。警察が必要な人間だと思われていることが。足元の地面が崩れ落ちるような、存在そのものを否定されるような怖さ。
さらに、若木はそんな存在なのだと触れ回られたらどうしよう……という人の目を気にした恥の痛さが、もっともっと強く襲ってくる。本当に壊れそうになる。
だから九・三〇大衆団交の場で、秋田らが大学側の即時の謝罪にこだわった要点の一つが、機動隊を呼ばれたことだったのは、震えがくるほど理解できる。

百歩譲って大学側が、あれはもはや学生ではない、暴徒だ、と信念を持って判断していたのならば、本当の独裁体制の考え方として理解できる。ところが、それで多くの学生を処分し、退学させては経営が成り立たないから、学生の本分は学問であるとさえ思い出してくれたら不問にしましょう、と言い含めるような二枚腰で臨むから、余計にこじれたのだ。

学生の心を傷つけたことに対しては、大学は10月1日以降、ついに謝らなかった。その点については、僕の心情的加担はどうしても、当時日大全共闘の中心にいて、そこにいることを自ら選んだ対価を払い、今も心の傷が癒えない人達のほうに傾く。
全共闘への参加はおまつり気分で、退潮した途端にスッといなくなって就職したノンポリ学生に対しては、特に言うことはありません。バンバンの「『いちご白書』をもう一度」(75)がヒットした時は、免罪符をもらえたような気持ちでしたか? と聞いたところで仕方ない。

しかし、70年代にはこの曲だけでなく、子どもにも触れる場所に全共闘の影響が残る表現があちこちにあったな……と少しずつ思い当っている。
例えば少年漫画。バンカラ学園ものでは、色々な集団を巻き込んで喧嘩が大きくなったすえ、結局は1対1のタイマンでカタをつける展開が定番だった。あそこには、1度でもマンモス大学のトップと学生が直接ぶつかり、徒手空拳の学生が勝った記憶が投影されていたのではないか。

一番モロなのは、『3年B組金八先生』だったと思っている。
第2シリーズ(80-81)の第24話「卒業式前の暴力②」での、加藤優が荒谷二中の体罰が過ぎる教師とそれを黙認していた校長を放送室にカン詰めにし、全校生徒が聞いているなかで謝罪を迫る展開。
当時の校内暴力をモデルにしつつ、何かこのエピソードにはそれとは違う、別の文脈が託し込まれているのではないか?……と再放送や録画を見るたびに感じていた。
本盤を聴いているうちに、やっと了解した。ああ、これは日大闘争だ、九・三〇大衆団交を間接的にドラマにしたのだ。小山内美江子さんは加藤くんを通して、秋田明大のまっすぐさを描いたのだ。

盤情報

『実音 日大闘争の記録』
ビクター
1969

若木康輔(わかきこうすけ)

1968年北海道生まれ。フリーランスの番組・ビデオの構成作家、ライター。
いつかは僕の生まれた年に青春だった人達について、考えなきゃいけない日が来るだろう、とは思っていました。前に、自分の誕生日に何かやってた人はいないかと調べてみたら、ジャニス・ジョプリンが『チープ・スリル』のレコーディング中だったりして。
あとがき代わりに、本文では紹介しきれなかった、拘留中の秋田明大のインタビューを(当時は録音が可能だったんですね)。家族の心配について聞かれて答える声は小さくはにかんでいて、演説とはまるで違います。
「母親に……心配してるだろうなあと。こういう、ここにいるってこと自体ね。こういうところの中から……。うーん、入っていること自体、一般的な社会通念から言うと、あるいは僕がやってきた学生時代のかたちっていうとね、やっぱりひとつの反社会的なものとして見られると。そこでまあ、日本の家族制度なんか特にね、やはりそういう目が非常にこう、危険視ということがあって。現実にね。まあ、なんだけれども、どうなんだろうなあ……。そういうことじゃなくてやっぱし、現実に僕がどういう風に生きていくか、あるいはやっぱり責任を持って一人の人間として生きていくということができればね、それでいいんじゃないか」