一見すると『アニー・ホール』では、幼少期を回想するシーンに大人になったアルヴィー=アレンが介入したり、映画館で開演を待つあいだにマーシャル・マクルーハン本人が姿を現したり、はたまたアルヴィーの心情に応じて画面がスプリットスクリーンとなったりアニメーションに変化したりと、アニーとの恋愛譚を軸にしながらも、作品の語りのスタイルや物語世界における現実感のレベルは希薄な統一性しか持ちえていない。こうしたフィクションへの自己言及的な身振り──もっとも端的な例は、主人公がスクリーン=観客に向かって語りかける仕草──は、いわゆるコメディアン・コメディに用いられる常道的なギャグであり、その効果はあくまで、その動作主の物語世界からの「離脱」を生み出すことにのみある。
コメディの中の人物たちによる自己言及的(超フィクション的 extra-fictional)なギャグの目的は、本来であれば隠蔽されているはずのフィクションの前提=リアリズムに支えられた物語映画の虚構性をあえて前面に提示することにこそある。『アニー・ホール』にもこれらの自己言及的な要素がふんだんに盛り込まれているが、そこでは断片的な笑いを生み出す以上に、独自の「語りの戦術」が機能しているとみることができる。
『アニー・ホール』が一貫した物語世界を持っているとみなされたのは、ここに登場した作品全体を統べる存在としての語り手=作者の存在がもたらす効果のためである。たとえば、映画史家のトーマス・シャッツが指摘するように、『アニー・ホール』とは「いかにして物語を語り、いかにして恋愛関係や自分自身の過去について思い出し、いかにして経験の偶然に対して理性的な思考を課すのかに“ついて”の映画」であるということができる。「さまざまな点で物語や語り手、そして語るという行為を強調している」のである(Thomas Schatz, Old Hollywood / New Hollywood: Ritual Art and Industry [Ann Arbor, Mich.: UMI Reserch Press, 1983], p.227.)。アメリカ映画史の時代区分を検討するシャッツにとって、それこそが『アニー・ホール』が反古典的ハリウッド映画としての「ニューハリウッド」たりうる条件なのだが、この映画ではアニー・ホールとの恋愛と破局そのもの以上に、主体としての語り手が過去を想起することで、語り直しという物語のメカニズムそのものが主題となっているのである。つまり、語り手の自意識が絶えず物語に介入することで、物語自体が純然たる過去である以上に、語り直しの作業によって手が加えられたものであるということを観客が意識する仕掛けが張り巡らされている。その仕掛けこそが、先に触れたような自己言及的な身振りの数々である。
整理しておこう。『アニー・ホール』では、客観的な過去を作り手の主観的な記憶として再現することがテーマとなっている。そこでは観客への語りかけや時空間の自由な操作などの自己言及的な身振りにより、物語全体を語る主体の回想であることが繰り返し強調されることで、物語における語り手=作者が物語のなかで偏在性を保持し続けている印象が観客に与えられる。そのとき『アニー・ホール』の巧みな点は、こうした「作者」=映画監督としてのアレンの自意識が、作中のアルヴィーのそれとして隠蔽されているということである。アレンはいわば、いわゆるポストモダン的なメタフィクションにつきまとう「あざとい」印象を回避することに成功しているのだ。
さらにシャッツは「(アレン/アルヴィー双方としての)作者、語り手、登場人物という、相反する立場にいる喜劇的な語り手」が「閉鎖的な物語世界の自律性を混乱させる機能を果たす」と指摘している。この構図を別の角度から分析するために、ウンベルト・エーコが提唱する「モデル作者」の概念を導入してみよう。エーコの定義によると、現実に存在する「経験的作者」とは区別される「モデル作者」とは、その作品=テクストが「読者の共同作業を自らの顕在化の条件として要請する」(ウンベルト・エーコ『物語における読者』篠原資明訳、青土社、2011年、86頁)ときに生み出される存在であるとされる。つまり、モデル作者はテクストのなかにのみ存在し、読者(=観客)によって初めて見出される存在であるということである。『アニー・ホール』において私たちが発見するのは、アレンその人でもなく作中人物でもなく、第三の客体、すなわち「モデル作者」のような存在として観客に見出されるものである。アレンが監督した作品において、アレン自身が演じる作中人物こそを“ウディ・アレン”と呼んでみるとき、このオンスクリーンにおける“ウディ・アレン”とは、そういったモデル作者のごとき存在であるといえるだろう。
このとき、映画監督であり、物語の中心に位置する主演俳優であるというアレンの特権的なポジションも重要な要素となるのだが、アレンの立ち位置は、同じく監督と演者の二役を担う映画作家クリント・イーストウッドと比較することでより明瞭なものとなる。イーストウッドがその作中で、自らの傷つく身体をさらけ出しながら常にサスペンスの更新を目指したのとは対照的に、アレンは自作自演による作為性をあえて強調し、応用することで独自の道を模索したのである。
こうした「語りの戦略」とともに、現実のアレン──モデル作者との類比でいえば「経験的作者」──の自伝的な要素を随所に盛り込ませることで、『アニー・ホール』は虚実がない交ぜになったような印象を観客に与える。その後にもアレンは『マンハッタン』(1979)、『スターダスト・メモリー』(1980)、『地球は女で回ってる』(1997)といった監督作品において繰り返し“ウディ・アレン”をスター・システムのようなかたちでスクリーンに登場させることになる。観客たちは彼らをごくごく自然に、共通のアイデンティティや人格を伴った存在として解釈していくことになるのだ。その試みの端緒に位置づけられる『アニー・ホール』が、アレンの本格的な映画作家としての出発とも軌を一にしていることは偶然ではない。
アレンが出演していない多くの映画であっても、観客に自ずと“ウディ・アレン”的であると認識されるような主人公が登場する。ユダヤ系アメリカ人といったエスニシティや、トレードマークとされるメガネや赤毛といった外見上の特徴が捨象されても、それは揺らがない。『セレブリティ』(1998)のケネス・ブラナーであれ、『ミッドナイト・イン・パリ』(2011)のオーウェン・ウィルソンであれ、あるいは『レイニーデイ・イン・ニューヨーク』のティモシー・シャラメであれ、彼らにはどこか“ウディ・アレン”を思わせる横顔がある。しかしながら、同時に、このことはアレンにとって作風の幅を狭めてしまうという弱点にもなってしまう。ニューヨークを舞台にした、いかにも“ウディ・アレン”的な悩みを抱えた人物が経験するラブストーリー──『アニー・ホール』の成功の後に多くのファンが求めたのは、そうした物語だったはずだ。アレンが『アニー・ホール』に続いて撮った『インテリア』(1978)に対するファンの失望は、そのことを裏づけている。『インテリア』はアレンが敬愛するイングマール・ベルイマンからの影響を感じさせるメロドラマであり、アレン自身は出演していないシリアスな家庭劇である(主人公を演じたのはダイアン・キートン)。この作品は封切り当時、アレンの映画作家としての限界を露呈させるものとして、しかるべき評価を得るにはいたらなかった。
そのジレンマを払拭すべく、アレンは主としてミア・ファローを主人公に据えた『カイロの紫のバラ』(1985)や『ハンナとその姉妹』(1986)、ジーナ・ローランズを迎えて『私の中のもうひとりの私』(1988)などの「女性映画」も手掛けるようになるのだが、こちらの作品群について語るためには別の場所が必要になるだろう。むしろ、アレン自身による“ウディ・アレン”のジレンマの乗り越えは、活動の拠点をヨーロッパに移した『マッチポイント』(2004)といった作品から実現されることになる。そこではアレンが好む運命論的なモチーフが押し出されることになるが、この問題についてもまた、連載のなかで追って語ることにしたい。
ともあれ、アレンが『アニー・ホール』における「語りの戦術」の成果として創造した“ウディ・アレン”というペルソナは、その後も汎用性の高いストックキャラクターのようなものとして、アレン作品に生き続けるキャラクターとなっていくことになる。だが、アレンと“ウディ・アレン”の両者の関係は、たとえばチャールズ・チャップリンと彼が生み出した“小さな放浪者”というキャラクターの間にあったような安定したものではなかった。アレンにとっては、自身と彼が演じるキャラクターのあいだには、緊張が絶え間なく持続していた。そうした二者間の軋轢は、フェデリコ・フェリーニの『8 1/2』(1963)を下敷きにした、1980年公開の『スターダスト・メモリー』にて前景化することになるが、その問題を考えるためには、次稿でアレンが常に関心を寄せてきた「セレブリティ」の問題系について触れなくてはならない。
【執筆者プロフィール】
大内 啓輔(おおうち けいすけ)
1990年生まれ。早稲田大学大学院演劇映像学コース修士課程修了。