全体像をどのように構築したか
膨大な素材量に直面し、周冠威はまる1年かけてストーリー構造を整理した。この編集プロセスは苦痛を極めた。心目を驚愕させるようなトラウマや記憶にぶつかり、しばしば彼は悪夢にうなされ、打ちのめされ泣き臥せることもあった。だが彼は自分が落ち込んでいることを不思議には思わなかった。自然と感情や涙が流れるままに任せた。と同時に彼は被写体である主人公が自分に寄せる無条件の信頼に応える必要があった。だが国家安全法の強制下で、これらの撮影素材は彼らを罪に陥れる可能性があり、制作の初期段階で、これら証拠資料の永久保存を期して、全素材の海外移転を決めた。
一映画製作者として彼は言う。「映画は白紙です。情報が多くなくても観客にストーリーを理解させるのが製作者の責任です。語るのは単一の出来事だけではない。ですから私は因果関係による物語叙述を望むのです。運動全体は多くの出来事が蓄積されたものですから。また、私にも「抗議運動」の責任があります。政権は過激で暴力的なイメージを利用し、抗議者が暴徒や香港の破壊者だと喧伝しますが、そうした行為の背後にある実際の原因は、長い間不正に耐えてきたためであり、精神的なトラウマの度重なる蓄積のためでもある。そのような一方的な物言いは抗議者に不公平だと私は内心思っています。私は編集を一人行う中で全体を貫くカギを探し続け、1年という長い期間をかけ、これらのチャプターの名称や方式に至りました。実際にこれらの画面は撮影や取得可能なのかという模索の期間でもありました。運動における感情や魂を捉えたいと思っていました。」
他の反逃亡犯条例運動のドキュメンタリーと比べると、『時代革命』は「運動全体」を主軸とし、歴史として描く視野を有している。映画は2時間半の尺内に計9チャプターに分けられ、順に「終わりの始まり」「和・勇の共闘」「警察と黒社会 マフィアの密謀」「無力感」「政権打倒」「生死を共に」「黎明行動」「始まりの終わり」「香港人」となっている。
叙述は2019年3月の逃亡犯条例改正案反対運動から始まり、2020年7月の国家安全法の施行で終わる。チャプターには行動名が付けられたものもあれば、運動のターニングポイントや抗議感情から付けられたものもある。周冠威は叙述の戦略として、戦争映画をメタファーとした。大舞台を背景としつつ、真に重要なのは兵士の物語である。『時代革命』はマクロな歴史や集団に関心を向けるだけでなく、同志兄弟や個々人にも細心の注意を払っており、その物語はマクロとミクロの間で適切なバランスを体現し、絡み合い複雑な運動の諸側面を取りこぼしなく丁寧に整理している。章と章の間に、出来事の顚末や抗議メンタリティの変化への説明が尽くされ、最終的に一種のアイデンティティとしての「香港人」を一つの精神共同体として打ち立てるプロセスとその意味を説明している。
香港の抗議者が表現した精神的な力
『時代革命』は内部作業から外部作業まで、撮影、編集、上映の全段階及び全決定に至るまで極めて困難なものだった。敬虔なクリスチャンである周冠威は、信仰によって恐怖に打ち勝ち、「公義」を堅く信じることこそが最も大事だと繰り返しインタビューで述べており、聖書の言葉「愛に恐れはない」を信条としている。一切の恐れをしばし乗り越え、彼は前例のない自由を味わっている。
「愛に恐れはない」とは聖書の中のヨハネの第一の手紙第4章18節の「愛には恐れがない。完全な愛は恐れをとり除く。恐れには懲らしめが伴い、かつ恐れる者には、愛が全うされていないからである。」(『口語訳 聖書』日本聖書協会、1955年)から来ている言葉である。
彼は振り返ってこう言う。「「自焚者(焼身自殺者)」の撮影時、敏感な問題に挑戦したと多くの人から思われたが、私にとっては、最も敏感な問題を撮れたなら、もう何でも撮影できることを意味している。これは一種の自由なのだ。だから『時代革命』は創作者の自由な魂による恐れのない表現なのです」。運動の中で、彼は多くの人間性の輝きを見た。それが明るかろうが暗かろうが、一筋の光を残している限りは影響を及ぼす。この作品ですべての抗議者に敬意を表したいと彼は考えている。
「光復香港,時代革命(香港に光を取り戻せ、時代の革命だ)」は反逃亡犯条例運動で最も広く流布され口にされたスローガンで、政治的には多義的だが、多くの人々が願う美しいビジョンと最も合致した言葉である。周冠威は他の選択肢はないと、それを映画のタイトルに引き延ばし、「広く一般的に時代全体を指すのです。なぜなら全世界は一体化しつつあるグローバル化の時代にあり、誰もが中国政府に向き合っている。全世界がこの時代に対して持ちこたえることを望んでいます。」と説明した。
また彼はある抗議者の発言を改編して言う。「時代が私たちを選んだのではなく、私たちが時代を変えることを選択したのです。」雨傘運動から反逃亡犯条例運動までを省み、受動的だった香港人が主体的となり、時代に選ばれるだけでなく、自ら刷新と変革を求め行動し、その一人ひとりを肯定する。大きな団体の演説台やリーダーがいなくても、誰もがこの社会を変革することができる。これが香港の抗議者が表現した精神的な力なのだ。たとえそれが持ちこたえるだけであっても。私たちも戦わなければならない。
世界の映画史において、ラテンアメリカの監督たちが1960年代、「第三の映画(サード・シネマ)」の概念を提唱した。映画が政治革命に参加すべきだとされた年代に彼らは、カメラを映像=武器の無限のコレクター、プロジェクターを1秒に24コマ発射するライフルとみなし、なべて映画製作者たる者は人民の側に立ち、抑圧に抵抗し、行動を鼓舞する急進的な映画を撮るべきだとされた。今日でもこの革命的かつ大胆な情熱は依然として受け継がれており、すたれてはいないのである。
物語の筋が示す手がかりに沿って注意深く見ていくと、『時代革命』には実は隠された第10チャプターがあることに気付くだろう。エンディングは一種の栄光に包まれているかのように「願榮光歸香港」の曲が流される。「なぜこの土地に再び涙が流れるのか/なぜ私たちは憤り恨ませられるのか/頭を上げ沈黙をやめ/ときの声を響き渡らせよ/自由をこの地に戻らせよ/夜明けが来たり/この香港の地に光を取り戻すのだ/子供たちよ、時代革命の正義のため共に進もう/民主と自由がいつまでも朽ちぬように/私は願う、香港に栄光あれと」「時代革命」が偉大な「第三のシネマ」であるだけでなく、真に人民の映画であることに疑いの余地はない。
『時代革命』が台湾で初公開されるにあたり、周冠威監督は感慨深い様子で、「とてもうらやましい。私自身もまだ大画面で『時代革命』を見たことがないのです。皆さん大切にしてください!」と語った。
広東語通訳/袁學慧
〈訳者付記〉
東京フィルメックスのサプライズ上映で「時代革命」を見、劇映画『幻愛』(邦題:『夢の向こうに』)」を香港映画祭2021で見た。両作品は、「香港人の魂のゆくえ」を全身全霊で模索し、人間やその夢を信じるという私たちの普遍的な希望を描いてくれている。『夢の向こうに』もぜひ劇場公開されてほしい。華語(中国語)では、中国(大陸)・台湾・香港(+マカオ)を「両岸三地」と呼ぶことがある。今回、監督へのインタビューが日程の都合でかなわなかったため、台湾の台北で「両岸三地」や日韓、東南アジアを含む世界のドキュメンタリー映画を非常に精力的に紹介しているディレクターの林木材氏によるキウィ・チョウ監督への取材を含む文章を訳出した。原文は雑誌『報導者』(https://www.twreporter.org/a/2021-taipei-golden-horse-film-festival-revolution-of-our-times)に掲載された。
訳者も2019年当時、ネット上で香港の抗議デモのライブ配信に釘付けになっていた。林木材氏が指摘するように、おそらく当初から記録に残すことを意図した新たな形の抗議運動でもあったのだろう。林氏は文章冒頭で本作以外のドキュメンタリーを多く挙げてくれている。
本作の海外やネット上での公開について、今年春、偶然目にした香港紙『明報』に、抗議運動や集会により逮捕された人々のその後、つまり目を覆いたくなる「政治犯」への一方的な公訴事実や裁判の審理に関する報道記事がった。同時に、版権を海外に移したキウィ・チョウ監督のコメントを含む本作の紹介記事も小さく載っていた。『リンゴ日報』その他政権に批判的なメディアが停刊に追い込まれたが、完全なタブーにはさせまい、という新聞人も少なからずいるのであろう。「本作が扱うのは歴史的事実であり、その何が問題なのか。これが問題だと判断するならまずは見てからにしてはどうか。警察側にも見てほしい」といった主張が書かれていた。香港人が自由・民主を求めスローガンを叫ぶ声が今も訳者の頭の中でこだましている。どんな形であれ、人々の声が再度息を吹き返し、マスクを取って全世界の自由・民主の発展に寄与してくれる夢を見たい。
【映画情報】
『時代革命』
(2021年/香港/カラー/DCP/5.1ch/158分)
監督:キウィ・チョウ
配給:太秦
画像はすべて©Haven Productions Ltd.
公式サイト:https://jidaikakumei.com/
ユーロスペース、池袋シネマ・ロサほか全国順次公開中
【訳者プロフィール】
鳥本まさき(とりもと・まさき)
翻訳者。共訳書に寥亦武著『銃弾とアヘン:「六四天安門」生と死の記憶』(白水社)など。中国インディペンデントドキュメンタリーに関心がある。