【自作を語る】命を吹き込む「獅子」――『ウムイ 芸能の村』 text ダニエル・ロペス(本作監督)

2020年9月、世界中でパンデミックが本格化していた。この時期、私は沖縄にいて畑で果物や野菜を育てていた。自然の中に身を置くのは、気が紛れていいことだ。そんな時、宜野座にあるがらまんホールのプロデュ―サーである小越友也氏から、宜野座の伝統芸能を題材にしたドキュメンタリーを撮りたいと連絡があった。

彼は宜野座村で伝統芸能に関わっている人たちを紹介してくれた。私は彼らに会いに行き、芸能との関わりについて長い時間語り合った。話を聞いていると、沖縄の言葉で「思い(ウムイ)」というものをとても感じた。会話の中では、「伝える」「受け継ぐ」という言葉が何度も出てきた。

この映画の制作中に印象的な思い出がある比嘉優さんの庭のテラスで彼の三線、そのあたたかい音色を聴きながらコーヒーを飲んでいたとき、サウダージ(懐かしさ)のような言いようのない感情が湧いてきた。この美しい瞬間は、私にそれを映像として人々と共有するべきだという希望を与えてくれた。

『ウムイ』の中心的なテーマは、親から子へ、師匠から弟子へと受け継がれていく芸能、そしてそれに対する義務感や継続性である。しかし、主人公たちは誰ひとりとして自分にその使命や宿命があるとは感じておらず、それらは自然に行われている。

比嘉さん宅の隣には、金城平枝さんが琉球舞踊を教えている保育園がある。子どもたちは楽しそうに、そして熱心に琉球舞踊の練習をしている。これを見ると沖縄の文化がいかに深く人々の日常生活に根付いているかを実感する。

昨今、若者達のアクティビティはたくさんあるし、伝統芸能を始めようと思うには特別な事情(きっかけ)が必要だ。だからこそ伝統芸能を守るためには、教育が重要な役割を果たしている。この映画に出てくる子どもたちが、高校や大学に行っても伝統芸能を続けるかどうかはわからない。続けていくには大きなモチベーションが必要だ。

創作で新しい道を切り開くことも必要だと私は確信している。しかし、それは常に伝統を尊重し、原点や師匠の教えを忘れることなく行われなければならない。私は今までいくつかの創作舞台を観たが、違和感を作らずに新しいものを提示することの難しさを感じている。しかし、このアプローチなく、これらの伝統を守り続けることは困難だ。古いものと新しいものをミックスすることが解決策になることもあるだろう。

大げさかもしれないが、国立劇場に伝統的な舞台を観に行くと、いつも同じ観客がそこにいるような印象を受けることがある。新しい観客を惹きつける必要があるのだ。

沖縄は矛盾に満ちた場所だ。

毎年、何百万人もの観光客が、温暖な気候、青い海と青い空に魅せられて、この群島を訪れる。その一方で、沖縄は貧困率と離婚率が最も高い県であり、長寿ランキングでも1位から転落している。 

一般的にドキュメンタリーは社会問題を扱うことが多いが、沖縄はそのドキュメンタリーで取り組むことのできる強いテーマがたくさんある場所だ。

『ウムイ』では、伝統芸能が消滅する危険性や既存の問題に触れながらも、ポジティブな角度から希望を感じさせる穏やかな作品を作りたかった。

ただ、沖縄の暗い現実の一部は、大空を軍用機が飛ぶシーンや宮城豊子先生の戦時中、子供時代の証言というメタファーの形で表した。 

さらに映画のもうひとつの特徴は、冬に撮影されたことだ。美しい青い空や白い雲はなく、ターコイズブルーの海もない。しかし伝統芸能がいつか消えてしまうかもしれないという寂寥感とノスタルジーが漂い調和した雰囲気がある。

撮影場所の下見では、村内のあちこちを見て回った。漢那神社、松田鍾乳洞、ヒーピー浜など、すでに決まっていた場所もあったが、移動中偶然、ガジュマルの木を発見した。直感で「千年の恋」の踊りはここだと感じた。深い根を張ったこの立派な木は、映画に象徴的な印象を与えている。逆説的なのは、現在、その一部が伐採され、ガジュマルの目の前に建てられたビルに隠れてしまっていることだ。

撮影において、私はスケジュールのすべてを決めず、一部を偶然に任せるのが好きだ。カメラだけを回し続ける時間をつくる。そうすると、子どもたちと道ばたで獅子が出会うシーンや、神社の前で獅子の後を追う猫のように自然発生的な瞬間をとらえることができる。

はじめは、獅子はお宮の前でのみ撮影する予定だった。だが、彼らが獅子に入る前や脱いだ後、その獅子に敬意を払いお祈りをし、泡盛で拭いているのを見たとき、獅子は単なるオブジェではないということに気付いた。 島袋拓也さんの言葉と行動は、獅子の中に入ることは神秘的で神聖なものに命を吹き込むことだと私を確信させた。私はこの神様の役割を信じようと決心し、その時から獅子はこの映画の共通項であり、村を浄化し、パンデミックから村人を守る守護神になったのだ。これらのシーンは予定されていなかったため、撮影スケジュールに追加しなければならなかった。あまり時間はなかったので直感で場所を選んだ。重要な場面はこうして生まれた。

撮影が終わると、いよいよ編集作業である。基本的にフィクションの映画以上に、ドキュメンタリー映画は編集中に形作られる。それは、忍耐と根気を持って組み立てなければならない巨大なジグソーパズルのようだ。何時間にも及ぶ映像の取捨選択、粗編集、プロデューサーとの調整、映画関係の仲間や家族から批評的な意見をもらうなど行う事は多岐にわたる。

最初の試写会では、時間がなく納得いかないまま発表しなければならなかった。人々はこの映画を気に入ってくれたようだが、私はそうではなかった。もっと時間が必要だった。そんな時、プロデュ―サーが映画編集助手(佐久川満月さん)を伴ってもう一度編集させてくれることになった。彼の豊富な映画の知識は、この映画に新鮮な視点をもたらし、戦時中の宮城豊子先生の感動的なシーンを誕生させた。それは、コッポラがベトナムのジャングル上空のヘリコプターのショットと、サイゴンの自室に閉じこもるウィラード大尉のアップを交互に映し出す『地獄の黙示録』の導入部のシーンにインスパイアされ、『ウムイ』のような映画とコッポラの傑作とに通じる何かがあり不思議だった。

編集とは不思議な作業である。あるシーンを別の映像に変えるだけでその場面が納得いくものになったり、その映像の前後を入れ替えるだけでリズムが良くなったりする。さらにそのシーンの映像が少しだけ長かったり、短かったりするだけで見る者に無意識の不安や不快を与える。そして、「Less is More(少ないほうが豊かである)」のルールも重要だ。監督が苦労して撮影したシーンや美しいカットも作品のバランスを崩すなら躊躇なくそのシーンを捨てなければならない。

さらに音の編集も非常に重要だが、ドキュメンタリーではたまにそれは軽視されがちである。作品の内容に価値があれば、その映像は質が悪くても観客に受け入れられるが、音が悪いと受け入れられない。

この『ウムイ』の撮影では、各ロケ地で音声担当の佐藤由美さんに同行してもらい言葉、環境音全てをしっかりと記録した。さらに編集ではそれらを整音、必要な音を重ね最終的な作品に仕上げた。

再編集作業は、ほぼ1年にわたり、40ほどのバージョンができた。その新しいバージョンができるたびに友人や家族に観せたが、スクリーン前で寝てしまうこともあった。

しかし、最後は見た人が目を輝かせ、はにかんだ笑顔を見せた時が魔法の瞬間で、映画が誕生した時である。

苦労して作った作品は、苦楽を共にして育ててきた子どものようである。

作品が完成し公開する時は、我が子が大人になって社会に送り出すようなものだ。

【映画情報】

『ウムイ 芸能の村』
(2022年/日本/カラー/ドキュメンタリー/75分) 

監督:ダニエル・ロペス

撮影:小橋川和弘
音楽:ドゥニ・フォンタナローサ

出演:比嘉優 仲原瑠季 金城平枝 島袋拓也 仲本克成 仲本あい 宮城小寿江 宮城豊子 前田心誠
配給:ムーリンプロダクション
公式サイト:https://umui-cinema.com/

画像はすべて©VIVA RYUKYU

7/15(土)~8/4(金)にポレポレ東中野、ほか全国順次公開

【監督プロフィール】

ダニエル・ロペス
スペイン系スイス人。2003年より沖縄に拠点を置き、映像作家・写真家として活動している。2016年に『カタブイ、沖縄に生きる』、2020年に『KAKERU 舞台の裏の物語』を監督。2022年に完成した『ウムイ「芸能の村」』は3本目の長編ドキュメンタリー作品である。