“リンリ”“リンリ”と言われるが… 佐藤寛朗
続々と監督や関係者が山形入りしている。
ふだんは静かな七日町も、ひさびさに“週末の賑わい”を取り戻しているとの話だった。
さて今日は、今回の山形映画祭で最大の話題作(いや問題作)に触れておきたい。
アメリカの映像作家ジョシュア・オッペンハイマーの『殺人という行為(The Act of Killing)』だ。
インドネシアでかつて60年代に行われた共産主義者刈りの部隊で大量殺人を犯した初老の男が、当時の殺人の様子を、役者を使って再現させる。オッペンハイマー監督は、その映画の製作を提案し、撮影過程を映画化するという。企画からしてキナ臭い匂いの漂うドキュメンタリーだ。
そのキナ臭さは、実は山形映画祭が始まる前から日本にも伝播していた。想田和弘監督がツイッター上でその衝撃を語るやあっという間に情報が拡散し、エロール・モーリスとヴェルナー・ヘルツォーク両監督のこの映画に関する対談が紹介されたり、その動向をみたのか、映画公式アカウントに「neoneo」のTwitterアカウントがフォローされるという事態も起きた。ぬかりないといえば、ぬかりない。
私にも影響があった。この日アップした、<6つの眼差しと倫理マシーン>の記事で、コーディネーターの阿部・マーク・ノーネスさんに『殺人という行為』に関するの話を聞きたかったのだが、「ちょっと問題があるので、今はその話しはしたくない」と拒否された。果たしてどんな作品なのか。
朝から満席の山形市中央公民館(AZ)。観たその映画は、確かにさまざまな“波乱含み”の要素を含んでいた。迫力は、ものすごい。殺人という行為をスカウトされた“役者”たちは、殺人の場面を喜々として演じているし、“動員”される民兵組織(パンチシャラ青年団?)の組織力なのか、“再現シーン”は予想以上のビッグスケールで展開されている。物静かな首謀者アンワルという男と、対照的に用心棒のような男性の太めのキャラクターが、インドネシアの街の空気もあって、とても引き立っている。
しかし私には、そのシーンが過去に起きた事実であることが、最後までどうしても感じられなかった。監督は映画の節々で、アンワルに過去の行為について問いただすのだが、そのようなドキュメンタリー映画にとって重要な“問い”の重さが、娯楽映画テイストな全体の空気に飲まれている、という印象を持った。
この映画に対する評判が、この後どのような議論を生んでいくのか、まだまだ分からない。本日(10/13)夜18:00から山形市民会館でもう一度上映されるので、山形に足を運んでいる方は、ぜひ、この目でご確認いただきたい。
また山形美術館では、15:00から、オッペンハイマー監督と、原一男監督の対談も行われる。この『殺人という行為』に関して『ゆきゆきて、神軍』は何かと引き合いに出されていて、昨日は山形の街で、何度「奥崎謙三」という名前を聞いた事か!
“倫理”という視点で言えば、最終的に事の善悪を問う意識が自分自身に跳ね返ってくるものでなければそれは“他人事”であって“倫理”とは言えなくなる側面がある。その力は、ドキュメンタリー映画のどの部分に宿るのか。そんなことを考えながら<倫理マシーン>プログラムの映画や、ディスカッションを楽しみたい。
写真でお届け!雨の山形。 小林和貴
山形市民会館前。たくさんの山形名産品が売られていた。おすすめは、果汁ジュース。
会場入り口前に積まれたパンフレット。どれを買うか迷ってしまう。neoneoも置いて頂いています。
三連休の初日ということもあり、どの会場も大盛況。意外と学生が多い。
『なみのこえ』(YIDFF特別版)の濱口竜介(左)・酒井耕(右)両監督
『なみのこえ』禁断?の、撮影方法の説明
クリス・マルケル会場に大量発生していた猫。クセになる可愛さ。
「パンク・シンドローム」J-P・パッシ監督。写真では伝わりにくいが、とても優しい監督さんだった。
香味庵。毎度の事ながら、人がごった返していた。芋煮がうまい。
近しい人々 岩崎孝正
11日、実は山形市民会館小ホールでクリス・マルケル『美しき5月』を見た。だが、途中の休憩時間の合間をみて、『遺言――原発さえなければ』を上映している山形美術館へ向かう。実はクリス・マルケルを見ながら、震災・原発・津波の311にかかわる映画プログラム『Cinema with Us ともにある』を中心に見ていきたいと考えはじめたのだ。マルケルはすばらしい。が、どうしてもいまを呼吸しているドキュメンタリー映画を見たくなったのだ。
まず見たのが『A2-B-C』。題は、甲状腺検査の判定を指しているという。監督は甲状腺に嚢胞が見つかる子らと、見つからない子らのいる母親たちへインタビューする。舞台は福島県の飯舘村に隣り合う伊達市である。ちょうどホットスポットとなる地点に家族は暮らしている。親たちにつきつけられる現実は、子らの甲状腺検査の「A2判定」(経過観察が必要という判定)。学校の敷地内は除染しても、敷地外の除染は後回しにさせられてしまっている。監督は、母親たちの目に見えない不安をたくみに映像化する。放射線の拡散は地図上だけではわからない。その土地に立ってみてはじめてわかるということは往々にしてある。監督は土地の者たちの息遣いをうまく映像化している。
つぎが高野裕之監督『仙台の下水道災害復旧』、岡達也監督『南相馬市原町区ぼくの町の住人』である。高野監督は、下水道の災害復旧する土木作業員(職人)たちを、canonEOS7Dの美しい映像でとらえた。監督いわく、「実は下水道管は山から川へ向かって走っていて、微妙に傾斜がある」という。下水管は、じつは水平にはしっているわけではない。下水管は、震災でどうやら川から山へ傾斜してしまっていたようなのだ。その復旧作業で働く作業員たちを見て、私はすがすがしさを覚えた。そこにあるのは、具体的な町の復旧・復興が、人の手の仕事でしか行われないという現実だ。311当初に聞いた空疎な「復興」の文字を、下水道の「復旧」をとおしてねじ伏せているように感じられたのだ。
岡達也監督『南相馬市原町区ぼくの町の住人』は、南相馬市の町に暮らす住民を、たんたんとしながら、やさしい眼差しでとらえた良作だ。南相馬市のホットスポットの問題がありながら、そこで生きざるを得ない者たちの姿をとらえている。両者に共通しているのは、その眼差しと寄りそう態度である。彼らは自身の立ち位置を、映像をとおして雄弁に語る。身近なものをとらえていく両者の感性のみずみずしさに、私は感動を覚える。
さて、たくさんのプログラムがあるなかで、私は見られる本数がどうやら限られることに気がつく。であるのなら、私は仕事を限定しなければならないようだ。
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