【Pickup】特集★山形国際ドキュメンタリー映画祭2013 「マルケルの歴史、それはメディアの歴史」小野聖子さんインタビュー 聞き手=藤田修平

今年の山形国際ドキュメンタリー映画祭では「未来の記憶のために――クリス・マルケルの旅と闘い」と題して、昨年、91歳でこの世を去ったクリス・マルケルの特集上映が行われます。マルケルの代表作として、写真だけで構成されたSF映画『ラ・ジュテ』(1962)やエッセイ映画『サン・ソレイユ』(1982)がよく知られていますが、1952年から2000 年代までに50 本以上の長編、中短編の映画を制作しただけでなく、小説、写真やインスタレーションにも取り組み、異なる表現媒体を横断しながら、数多くの作品を残してきました。その中から映画祭では45本の映画(ビデオ作品)が上映され、マルケルの全体像を知ることのできる貴重な機会となりますが、同じ時期にパリのポンピドゥー・センターやハーバード大学のカーペンター視覚芸術センターでも大規模な回顧展が予定されており、世界中で彼の作品は高い関心を集めています。今回、マルケル特集のプログラム・コーディネーターを務められた小野聖子さんにその特徴や完成させるまでの苦労などについてお話を伺いました 。(聞き手・構成=藤田修平) 


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——今年の映画祭でどうしてクリス・マルケルが特集されることになったのでしょうか。また、どのような特徴がありますか。

小野 山形映画祭ではクリス・マルケルの映画を上映してきたこともあって、彼の特集をしたいと前から考えていました。実際にご本人にも打診したと聞いています。しかし、マルケルからは自分の映画だけが回顧展と称して、クローズアップされる形で特集されるのはいやだと。今回の特集は追悼として企画されましたが、彼が亡くなったから実現したと言えるかもしれません。また、今年、世界中で彼の回顧展や特集上映が企画されていますが、山形映画祭は多面的なドキュメンタリーを紹介する場所で、インターナショナル・コンペティションやアジアの映画を観た後で、市民会館小ホールに立ち寄って、マルケルの映画を観てもらえます。多様な映画が同時的に上映されるなかで、マルケルの映画を体験してもらえること、それが山形で行う特徴であり、意義でもあると考えています。

——特集プログラムはどのようにして組まれましたか、難しさなどはありましたか。

小野 マルケル特集を担当することになった時、山形で上映された『レべル5』、そして『ラ・ジュテ』と『サン・ソレイユ』、それに『不思議なクミコ』ぐらいしか観たことがありませんでした。これほど数多くの映画を手がけていたとは想像しておらず、まずは作品リストを手元に置いて、それぞれの映画の権利を誰が持っているのか、探していく作業から始めました。ただ、当時のプロダクションがそのまま残っているわけではなく、倒産したり、別の会社に変わったりしていて、それをひとつひとつ確認して、整理していくことは大変なことでした。また、ご家族がおられず、マルケルの遺産を管理する決まった人がいなかったのも難しい点でした。

これに関しては若干裏話がありますが、ここで紹介することではないかなと。私がマルケルの世界を理解していく過程は、権利者を探す旅でもあって、そうしたやりとりや出会いの中から、また予算や日程といった映画祭ならではの制約を踏まえながら、プログラムを作り上げていきました。

その制約のなかで、最も悩まされたのは字幕でした。マルケルのような有名な映画作家であるからには、ほとんどの映画に英語字幕があると考えていたのですね。しかし、彼は字幕をつけることを好まなかった作家だったのです。字幕の代わりに言語ごとに異なるナレーションが用意されることがあり、例えば『サン・ソレイユ』にはフランス語版、ドイツ語版、英語版、日本語版があって、日本語版だったら、池田理代子さんにマルケル自身からの指名があったと聞いています。映像のなかのタイミングを大切にしながら、自分の手を介して作るナレーションとは異なり、字幕は他人によって後から付けられるものなので、好まなかったのでしょうね。『サン・ソレイユ』のナレーションを入れるときも、フランス語のナレーションの尺から出ないようにと厳しいお達しがあったようです。

そもそも山形映画祭は予算の限界があり、すべてに日本語字幕を付けるのは不可能で、その代わりに同時録音、通訳のナレーションを入れることにしました。だから、結果的には、マルケルの意図に近い上映方法になったと思います。その時に、同じ映画でも字幕版とナレーションとを別々に観てもらったら、どんなふうに観客は感じるだろうか、そうした試みがあってもいいのではないかと思い、その中で出てきたのが『A.K.ドキュメント黒澤明』で蓮實重彦さんによるナレーションと日本語字幕のふたつを上映する試みでした。

——インスタレーションでも使われた短いビデオ作品なども上映されますね。

小野 今回は様々なメディアを用いて上映します。市民会館小ホールはデジタルシネマを上映できる施設ではないのですが、16ミリ、35ミリ、ブルーレイ、デジタルベータ、それもPALとNTSCとがあって、それらの上映機器を全員集合させます。それはクリス・マルケルが91歳まで、生涯の最後まで現役であったことによる撮影・上映メディアの変容の歴史がマルケル特集で出てくるのです。フィルム的な感覚で観るのもあれば、デジタルの印象を受ける映像がある。それは内容においても同じで、フィルム的な表現とデジタル的な表現があります。映像メディアの一世紀がこの特集の中に詰まっています。だから、カタログには何の素材で上映するのかきちんと明記しています。

——数本だけ観ようと思う観客に対して何をお勧めされますか。

小野 今回のフィルムの貸出のやりとりを通して、初期のフィルム作品に関してはプリントで借りられる最後の機会かも知れないと思いました。『美しき五月』とか『彫像もまた死す』、『北京の日曜日』、『シベリアからの手紙』、このあたりの映画ですね。是非、観ていただきたいです。フランスからの事前の素材情報は、誤りが多くて、混乱させられるところもあるのですが、思わぬ贈り物もあります。『美しき五月』は165分の古いバージョンと聞いていたので、ボロボロの35ミリが届くと想像していたのですが、届いて実際にフィルムをチェックしたら、その後カットされた版で、しかもほぼニュープリントとの報告を受けました。私も当日の上映が楽しみです。

『美しき五月』

『美しき五月』

ところで、こうした貴重なフィルムを上映できたのは、1989年から通訳として山形に関わっていただき、『A.K.』ではマルケルと黒澤監督の間をつないだカトリーヌ・カドゥさんの尽力があったからでした。今回の上映プログラムは多くの方々の力を結集して完成することができました。ポンピドゥー・センターでは10月16日から2ヶ月にわたってマルケル大回顧展が開かれます。そのキュレーターであるエティエンヌ・サンドラン氏は開催目前を控えて山形に来ていただき、講演をしていただくことになりました。マルケルの研究者の東志保さん、港千尋さん、マルケルと個人的に親しく、『サン・ソレイユ』の制作にも関わっていらっしゃる福崎裕子さん(クリス・マルケル・ファンクラブ会長)はもとより実に多くの方たちからのアドバイスや協力をいただきました。この場を借りて、お礼を申し上げます。

——話は変わりますが、ネコのダンボールが会場に登場するそうですね。

小野 会議で山形に出張した時に、山形まなび館といって、小学校を改装して、映画上映もできるようになった施設を訪れたのですが、そこに「山形のアーティスト」という小さなコーナーがあって、猫田君と名付けられたダンボールの椅子やカバンを見つけたのです。マルケルはご存知の通り、ネコが大好きな人で、様々な作品に登場するのですが、山形のテイストが入ってくるのは面白いと思って、猫田君を作っている富士紙器さんに協力してもらって、椅子と机を提供してもらうことになりました。マルケル特集のサブカタログを購入していただいた方には、先着200名ではありますが、猫田君の小物バッグに入れて、お配りいたします。ところで、カタログについては、特集プログラムカタログはもちろんのこと、(マルケルを特集した)ドキュメンタリー雑誌neoneo、映画祭公式ガイドブックもあり、マルケルという多彩な作家にふさわしい様々なガイダンスも用意されていています。猫田君にひかれて上映を観にくるのもいいし、作品に対して入り口、マルケル的に言うならばゾーンをたくさん作っていけるといいなと思っています。

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——さて、小野さんはどのようなきっかけで山形国際ドキュメンタリーに関わられるようになったのですか。

小野 西武百貨店池袋店にスタジオ200という小さな多目的ホールがあって、私はそこに勤務していました。西武百貨店はギャラリーとか劇場とか映画館とか芸術的な活動を大規模に展開していくのですが、スタジオ200はその最初のきっかけとなったホールで、普通の映画館でかからない映画とか、インディペンデント系の映画とかを上映していました。侯孝賢の映画を最初に紹介したと思うのですが、そこで映画やパフォーマンス、展覧会などを担当していました。

その後、ご存知の通り、西武のアート系の部門は急速に崩れていって、そこで関わっていた人たちはそれぞれ散らばっていき、私も別の仕事をしていたのですが、偶然スタジオ200の頃に仕事でお会いした配給会社シネマトリックスの矢野(和之)に誘われて、山形映画祭に関わることになったのです。1991年から2003年までずっとインターナショナル・コンペティションの選考に関わっていて、それと平行してヨリス・イヴェンス特集(1998年)やロバート・クレイマー特集(2001年)、ニューズリール特集(2003年)のプログラムを担当し、Documentary Boxの編集にも携わりました。

――映画祭の仕事を通して、この20年で感じられた変化とはどのようなものでしたか。

小野 1991年から現在までを振り返ると、上映する作品がフィルムからビデオに代わって、今やフィルムの作品はほとんどなくなり、フィルムはアーカイブで保存されるべき貴重な媒体になってしまいました。ですから今回、フィルムの上映をはじめは断られてしまったわけです。このミッションを受けたときは、アメリカにいて、そこからこの特集の仕事を始めましたが、E-mailを使って、簡単に監督や権利元に連絡が取れるようになるなど、技術的な変化はよくも悪くも一番、印象的ですね。

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10月10日発売の雑誌neoneoでは「UNKNOWN MARKER 知られざるクリス・マルケルの世界」と題して、メディア・アーティストとしての彼の作家活動に迫ります。日本未公開作品を一挙に紹介する「クリス・マルケル小伝」「ヴィデオ・アーティストとしてのクリス・マルケル」写真展を紹介した「21世紀のマルケル」本人のWebサイト紹介「ゴルゴマンシー」など、多岐に渡る作家像を紹介するほか、本人インタビュー、評論なども掲載。目次・購入はこちらから。山形映画祭の会場でも販売します!

【プロフィール】

小野 聖子(おの・せいこ)
西武百貨店スタジオ200を経て、1991年より山形国際ドキュメンタリー映画祭でお世話になる。ヨリス・イヴェンス特集、ロバート・クレイマー特集、ニューズリール特集、機関誌『Documentary Box』等を担当。現在米国コネチカット州で夫、15才の息子、川崎生まれの猫と暮らしながら、Zakka Films(zakkafilms.com)を運営しているが、山形映画祭のプログラムコーディネーターとしては10年振りに復活。

藤田修平 ふじた・しゅうへい(構成・聞き手)  
1973年神戸生まれ。台湾で映画制作を始め、日本と台湾の歴史を扱ったドキュメンタリー映画の制作に取り組む。手掛けた作品は『寧静夏日』(2005、監督)、『緑の海平線』(2006、企画・制作)など。『緑の海平線』はゆふいん文化・記録映画祭で第1回松川賞大賞を受賞。
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