【連載 批評≒ドキュメンタリズム③】クメール民話とアピチャッポンの東北 text 金子遊

イサーンとクメール民話

『光りの墓』のなかに、主人公の女性ジェンが、眠りからさめた兵士イットと話をしていて、彼がイサーン語を使えることにおどろくシーンがある。イサーン語はただの方言というよりは、隣国であるラオスの言葉にも近いといわれる。12世紀には、今のカンボジアに住むクメール人がクメール王朝(アンコール王朝)を拡張して、インドシナ半島全域を支配下においた。タイの東北部も長いあいだ領有されていた。現在でも多くのクメール系が住んでいるという点で、ほかのタイの地域と異なっている。反対にタイ側の王国が、何度もいまのカンボジアやベトナムの地域に侵攻してきた歴史もある。アピチャッポンの発言を真に受けるとすれば、イサーンという土地がもっている物語の喚起力を、その土地に残存するというクメールの伝奇的な力に求めてみるのも、あながち見当はずれではない。

カンボジアの古い民話に「ラタセーナ」というものがある。子どものいなかった長者が、仏様に12本のバナナをそなえてお祈りをしたら、娘ばかり12人もさずかった。この娘たちは家の仕事も手伝わず、ぜいたくばかりするので、怒った長者は「森」へ連れていって、そこへおいてきてしまう。12人姉妹は森をさまよううちに、女夜叉のサンダマーラに拾われて妹分として養ってもらうことになる。ところがある日、サンダマーラが人肉を食べているのを見て逃げだす。クダーガーラ国まで逃げて菩提樹に隠れていると、その国の王に見そめられて12人とも王の妃にしてもらうことなる。

それを知った女夜叉のサンダマーラは天女に姿を変えて、自分も菩提樹の枝の上に座った。すると、王がきて彼女がさらに美しいので第一王妃にむかえることになる。第一王妃のサンダマーラは、王が自分を愛しているのをいいことに、病気になったふりをして「12人の王妃たちの目をくり抜けば私の病気は治ります」という。王はその通りにして、12人の娘たちを洞窟に閉じこめたが、末の妹の片目だけは助かった。

長者が12人の娘を置きざりにするのも「森」というか熱帯のジャングルであるし、精霊や妖怪が登場してくるのも、やはりこの森の空間においてである。この「ラタセーナ」の物語に「飢餓」と「食人」のテーマが出てくる次の場面はとても興味ぶかい。

この時王妃は12人とも妊娠していた。王妃たちは空腹に耐えられず、一番上の姉が子を産むと、皆で食べてしまった。次の姉が出産するとその子も食べてしまった。こうして11人の子は食べてしまったが、末の妹の子だけは、片目だけが見える母親が隠したので食べられずに育ち、名をラタセーナと言った。

ラタセーナは母と叔母達の状況を憂え、「母達の飢えを救うために、この洞窟の外に出るための衣服を与え給え。」と神に祈った。

(「カンボジア古典文学紹介(2)」坂本恭章著『カンボジア研究』東京外国語大学アジア・アフリカ研究所)

 ※映画『12人姉妹』より

物語のつづきは、王と末の妹の子であるラタセーナの貴種流離譚となっている。このあと、彼は王に自分の子として認められて、女夜叉に何度も命をねらわれる。だが、ラタセーナは旅に出て多くを経験して、悪鬼は退治され、帰還して見事に王様になるというお話である。このクメール人の民話は、カンボジアのリー・ブン・イム監督によって1968年に『12人姉妹』として映画化されて、大ヒットしている。『12人姉妹』は民話の内容をかなり忠実に映像化している。ジョルジュ・メリエスに影響を受けたという特殊撮影を駆使し、女夜叉が、妖怪と美しい女性のあいだで変化する超現実的なシーンや、その残酷な所業、主人公ラタセーナの旅と別の国の王女との恋物語を空想的に描いている。

カンボジアでは60年代後半に内戦が勃発し、ポル・ポト派のクメール・ルージュの国家体制が1979年に崩壊するまで、共産主義社会のなかで大量殺戮と飢餓によって数百万人が命を失ったといわれている。民話のなかの「飢餓」のテーマは、現実と無関係ではまったくないのだ。そして、この内戦でカンボジア映画の黄金期につくられたフィルムの多くが散逸してしまい、長らく『12人姉妹』のフィルムも失われていたが、近年になって発見されて見られるようになった稀少な作品なのだ。

重要なことは、女夜叉のような悪鬼が、天女に化けて王妃になったり、ラタセーナが神さまから衣服を与えられたり、神々や悪霊のような超越的な存在が、とても身近で人間味のある存在として、王族や人間たちの居住空間に同居していることである。これはだいぶ仏教化されてはいるが、森羅万象に精霊が宿るアニミズムの宇宙観に近いものだろう。

わたしたちはどうしても地理的に、メコン川をはさんでベトナム、ラオス、カンボジアが旧フランス領インドシナ、対岸はタイ王国という近代的な区分で考えがちである。しかし、アピチャッポンが「イサーンは、かつてカンボジアとラオスという異なる帝国から成り立って」いたというように、その地は長らくクメール王朝に領有されていた。むしろタイの東北部に、平地のアユタヤーやシャム王国の文化よりも、クメール民話の世界が色濃く残っていてもおかしくない。そして、それはイサーンに土着の民間信仰や民話と混ざりあって、豊かな物語的な想像力の土壌をつくっているのだ。そのあたりを、アピチャッポンの作家的な歩みを見ながら掘りさげてみたい。

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