「東北」へのアプローチ
そのような創作論の文脈においては、『光りの墓』という長編映画は保守的なつくりに見えてしまうかもしれない。表面的には、ふたたび破綻のない1本の劇映画に取り組んだかのように見える。だがしかし、つねに映画をつくることの制度に疑問を投げかけ、それを撹乱し、わたしたちが映画を見ることの体験の制度性にもゆさぶりをかけてくるアピチャッポンの姿勢は、それを映画の物語のなかに内在化させたというだけで、よく見れば、そこにはさまざまな試行を確認することができる。『光りの墓』の「あらすじ」に、次のような箇所がある。
ジェンはいつもお参りする湖のそばのお堂で、そこに祀られた王女様の像に祈った。新しい息子のイットが健康でいられますように。ある日、ジェンは若く美しい2人の女性に出会う。彼女たちはお堂の王女様で、その話によると、このあたりでは、何千年も昔、王国の間で戦があり、病院がある場所は王様たちの墓がある所。王様たちの魂が兵士の生気を吸い取って、今も戦を続けている。だから兵士たちは眠っているのだと言う。
(「STORY」プレスリリースより)
わたしがタイ東北部のピー信仰の祭壇と、ブラジルの北東部に特徴的なカントンブレやウンバンダの祭壇に、地球の底のほうでつながっているような共通性を見たのは、なにもそれが同じアニミスティックな精霊信仰という理由だけではない。あるいは、そこで祀られている神さまたちの姿が、熱帯に特有のカラフルな色彩でイメージされており、多くの神様がキャラクターのようにして性格づけされ、物語が設定されているからだけでもない。カントンブレは西アフリカのヨルバ系の土着宗教に端を発しながら、ラテンアメリカへやってきてインディオの信仰と結びつき、さらにはヨーロッパ人植民者のカトリックを取りこんで、習合に習合を重ねて現在のようなかたちへと発展していった。つまり、それは「食人」をするように、外からきたものや他者をみずからのうちにエネルギーとして蓄えることで、肥え太っていくことができるものなのだ。
それは八百万の神々ではないが、アニミスティックな民間信仰が現代まで生き残る上では欠かせないプロセスでもある。タイのどこへ行っても、たとえばバンコクの街を歩いているだけでも、ホテルや会社の敷地に、ビルの屋上に、家のなかに、デパートの前に、あらゆるところにピー信仰のお堂や祠を見ることができる。そして人びとが、『光りの墓』のジェンさんのように、手をあわせてお祈りをして線香や食べ物をお供えする姿を見ることができる。わたしたち国外からおとずれる者は、その熱心さを見て「祖霊崇拝なのかな」と思ってしまう。しかし、そこで祀られている神々はバラモン教、ヒンドゥー教、上座部仏教の仏様たち、さまざまな王族、土着の精霊や妖怪など、まったく雑多といっていいほど多種多様な神的存在が崇拝の対象となっているのだ。
※バンコク市内のピー信仰の祠
イサーンを体現する女性
太平洋戦争のさなかに日本軍が当時のビルマを目指して進軍していたとき、タイ王国の指導者や人びとは歓迎するようなふりをして出迎えて、早く通りすぎるようにとうまく誘導した。そして戦後になって日本が敗戦すると、自分たちは協力したわけではないと主張し、連合国側にそれが認められた。日本だけではない。歴史的にタイの人たちは小さな王国として、中国やインドといった文化圏から大きな影響を受け、インドシナ半島のなかでは多くの王国同士で戦争をつづけ、ヨーロッパ各国による植民地支配の脅威を受けつづけてきた。そのなかで、他者を受け入れるとともに、それを自分たちのものにしてしまう「物腰のやわらかなしたたかさ」を身につけてきたのだ。
それは神的で超越的な次元においても同じであり、ピー信仰にさまざまな外来の神々が祀られているところに、それを見ることもできよう。また、ちょうどクメール民話の「ラタセーナ」の王族や、ジェンがお祈りする王女様たちのように、王族や高貴な人びとも神や精霊となれば力をもち、信仰の対象に加えられる。『光りの墓』では、兵士たちの眠り病の原因となっている超越的な次元での王様たちの戦いは、「何千年も昔、王国の間で戦があり」という抽象的な設定になっている。わたしたちはそこにいろいろな歴史的な事象や故事を付加してイメージするわけだが、たとえば、そこに『12人姉妹』のもとになった「ラタセーナ」のようなクメール民話を想像してみてもいい。ジェンと少女に憑依したイットが歩く「目に見えない王宮」を、クメール王朝のようなそれとして頭に思い浮かべてもいいのだ。
『光りの墓』では、俳優陣もアピチャッポン組といえる俳優が再登場している。「眠り病」にかかった兵士を演じるバンロップ・ロームノーイは、『トロピカル・マラディ』で主演した俳優である。そしてまた、ブンミおじさんも何度か転生をしたあとなのか「空に浮かぶ単細胞生物」のようなかたちでカメオ出演を果たしている。
ジェンジラー・ポンパットこと「ジェン」は、『ブリスフリー・ユアーズ』の主役で、『トロピカル・マラディ』『世紀の光』に出ていて、『ブンミおじさん』の姉妹役で登場し、『メコンホテル』と『光りの墓』では主役をしている。彼女は職業的な俳優ではなく、イサーンで暮らす手工芸で生計を立てている人であり、いわばアピチャッポンにとって彼女はイサーンを体現する人なのだ。この人は2003年に『トロピカル・マラディ』の撮影期間に事故で足に障害を残してしまうが、この映画ではその実際のエピソードが重要な役割を担っている。本人が実名で出演しており、ほとんど本人そのままの設定で、映画に登場している。
『真昼の不思議な物体』には、病院で耳の悪い車いすの老人を女医が診察するシーンがある。それが『ブリスフリー・ユアーズ』になると、同じ老人が同じ女医に、補聴器の具合が悪いといって診察にくるシーンへと進展している。本人たちが登場しているので、実際の時間の進行が、映画のなかでもとらえられているのだ。この2本の映画のシーン、前出の『アピチャッポン・ウィーラセタクン』という書籍に収録された家族写真、『ダイヤル011-6643-225059をまわせ!』で使用された母親の写真を比較すると、それがアピチャッポンの母親であると推察することができる。
※『光りの墓』より
アピチャッポンはアメリカで個人映画を撮りはじめた頃からずっと、個人的な身のまわりの世界に着想を得てきたのではないか。出演俳優に関しても、一度出会った俳優と関係を築いていき、個人的な間柄になって撮り続けている。傍からみれば、彼の長編映画、ドキュメンタリー、個人映画、短編映画、インスタレーション、アート作品など、さまざまなジャンルをまたいで手がけているように見えるが、その底流にあるのは、非常にプライベートな物事であり、個人的な映画を撮りつづけているのだ。アピチャッポン映画の「わからなさ」は、彼が「プラットフォームとしての映画」を考案し、「プロジェクトとしての映画」をつくるなど、その構造に由来するところも多くある。それと同時に、この映画作家が「わたし」を提出するときに観客にすべてを明け渡さない、その私性にヴェールをかけて提出するところにも原因があるのだと思われる。
アピチャッポンはバンコクに生まれて、医師の両親とともに少年時代をタイ東北部のイサーンにあるコーンケンで育った。彼はアメリカ留学の4年間で、個人映画や映像アートの世界に出会い、外国から母国を見る視線を獲得して、タイというものを再発見しようとした。短編作品の『第三世界』(98)はタイ南部の離島で、『真昼の不思議な物体』はタイの各地を旅しながら、タイ映画ならではの撮影の方法、撮影対象というものを探求していくような映画であった。その成果は、森やジャングルの発見ということにあった。だが、それよりも重要であったのは、『ブリスフリー・ユアーズ』からアピチャッポン組として出演を重ねているジェンジラー・ポンパットとの出会いだったのではないか。
あるとき、アピチャッポンは自分の芸術において「森」よりも根源的な、タイ東北部にある独自の「東北性」に気づいた。そして『ブンミおじさんの森』や『メコンホテル』や『光りの墓』といった映画プロジェクトを重ねながら、イサーンの歴史や民間信仰や口承文学に少しずつ近づこうとアプローチしている。その手助けをしているのが、アピチャッポン自身が子ども時代のイサーンで過ごした個人的な記憶であり、その土地で起きた事件や新聞記事であり、東北地方出身のイサーンの言葉を話す俳優たちなのだ。
『光りの墓』でも、目に見えない王宮を歩いているときに、ジェンジラーさんにラオスからやってきた難民の記憶を話してもらっている。アピチャッポンはジェンジラーさんや他の人たちと、撮影前のリサーチでインタビューをしたり、映画撮影やプロジェクトで一緒の時間をすごすことで「東北性」を学びながら、その世界へと接近してきた。すなわち、アピチャッポン・ウィーラセタクンのさまざまな映画やアート作品は、彼が「東北」へと次第に近づいていくプロセスのなかで、作家的な生を充溢させていく未完のプロジェクトだといえるのではないか。
【執筆者プロフィール】
金子遊 Yu Kaneko
映像作家、批評家。近刊に共訳書『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』マイケル・タウシグ著(水声社)、共編著『国境を超える現代ヨーロッパ映画250 移民・辺境・マイノリティ』(河出書房新社)など。neoeno編集委員。
『光りの墓』
製作・脚本・監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン
(2015年/タイ、イギリス、フランス、ドイツ、マレーシア/122分/5.1surround/DCP)
<キャスト>
ジェン:ジェンジラー・ポンパット・ワイドナー
イット:バンロップ・ロームノーイ
ケン:ジャリンパッタラー・ルアンラム
<スタッフ>
撮影監督:ディエゴ・ガルシア
美術:エーカラット・ホームラオー
公式サイト www.moviola.jp/api2016/haka
3月26日(土)より、シアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー
写真のクレジット © Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /Match Factory Productions / Astro Shaw (2015)