開拓者(フロンティア)たちの肖像〜
中野理惠 すきな映画を仕事にして
第55話 『旅の贈りもの 0:00発』その1
もう少しで完成だったその作品は、『大阪発0:00』と題されていた。映画は、大阪駅深夜発の列車に乗り合わせた人々の人生模様を描いていた。
プロデューサーの竹山昌利さんは、JR西日本と交渉して、鉄道ファンの間では名車中の名車と云われているEF58と皇族や貴族しか乗る事の出来なかったマイテ49、現在も山口線で運行されているスハフ12を連結した3輌編成の列車を、撮影の為に走らせることに成功したそうだ。
知らない鉄道用語
加えて、<ゴハチ><コウケン>のような鉄道ファンでなければ知らない用語に始まり、<JR西日本とタイアップ>など、映画の販促商品やイベントについて、溢れるようなアイディアを語って私を説得する。鉄道は勿論のこと、恥ずかしいことに私は映画公開に向けてのイベントやタイアップの経験は、ほぼゼロに等しかったので、<猫に小判>状態で聴いていたことになる。竹山さんは恐らく不安で一杯だったのではないか、と、この原稿を書きながら、やっと思いが至っている。ちなみに<コウケン>とは<硬券>と表記する。1ミリくらいの厚さのあった、かつての乗車券を指す。
著名な歌手の出演やスターの娘さんのデビュー
このようなエピソードに始まり、著名な歌手の出演、スターの娘さんがデビューする、公開に際してのイベントなどを次々と語る。その語り口には特徴があった。抑揚がなく、淡々としているのだが、淀みなく続き、いつの間にか聴いてしまう、というか、引き込まれてしまうのだった。
著名な歌手とは徳永英明さんであり、スターの娘さんとは、多岐川裕美さんの愛娘・華子ちゃんだった。往年のスターである多岐川裕美さんは知っていたが、申し訳ないことに私は徳永さんも華子ちゃんも知らなかった。もちろん、私以外の配給宣伝関係者は皆、知っていた。
撮り鉄
「ロケ時にはスジを引く、つまり臨時ダイヤを組み大坂から中国地方を走行、実際の撮影時には公表したわけでもないのに、<撮り鉄>と呼ばれる人たちが、沿線を埋め尽くしていた」
「また、車内での撮影を遂行しながら西へ向かっていると、深夜の姫路駅にはこの3輌編成列車を撮影しようと数多くの<撮り鉄>たちがホームに居並び、手持ちのカメラを向けていたのを見て、ロケスタッフは<撮り鉄>の偉大さ、を感じ、この映画はヒット間違いなしだと感じたそうです」
と、竹山さんは私の求めに応じて、当時を振り返り、書き添えてくれた。
『旅の贈りもの』グッズ硬券
ロケ地を訪ねる
事前に、総勢6~7人だったと思うのだが、配給宣伝関係者でロケ地を訪ねたこともある。私にとっては初めての中国、瀬戸内海地方である。島根の小高い丘から眺めた山陰本線は2輌編成だった。<本線>と名付けられた旧国鉄路線が、郷里を走る伊豆箱根鉄道線より少ない編成だったことに驚いた。人影の見えない畑と、その先に広がる穏やかな海岸線を走る2輌の姿は忘れられない光景だ。同じ旅行で瀬戸内海の大崎下島も訪れた。どの土地も長閑で、現地の人たちに歓迎していただいた。
そして、根拠ははっきり覚えていないのだが、配給を引き受けることにした。恐らく、竹山さんへの信頼が大きかったと思う。
題名変更~新題名は『旅の贈りもの 0:00発』に
東京の公開劇場は銀座テアトルシネマさんに引き受けていただくことができたので、宣伝準備に取り掛かった。第一段階として、何よりもまず題名検討である。『大阪発0:00』では内容が伝わらないので変更を提案。竹山さんと原田昌樹監督(故人)から快諾(だったと思う)を得たので、途中経過は忘れたが、村山さん(第20話参照)と竹山さんが考えた新題名『旅の贈りもの 0:00発』に決まった。
チラシ(クリックで拡大します)
監督の意外な言葉
そういえば、大阪に行った時だったと思うのだが、竹山さん、原田監督と共にした夕食の席で、店内に流れてきた歌に、思わず、私が「いい歌ねえ」と言うと、すぐさま監督が
「日本の人口は今、何人だ?」
「一億人じゃないの」
「あんたは、一億人の中のひとりの人だ」と言う。
当たり前だ、私は一億人の中に含まれているのに、おかしなことを言う人だと思っていると、監督が言いたかったのは、まったく別のことだった。
<第56話につづく>
中野理惠 近況
パンドラを始めたころ(1987年)の新富町は、軒の低い民家が多く、遠くまで見通すことができ、歩いて5分の距離に銭湯が3軒もあった。銀座や築地から徒歩で10分ほどなのに、と驚いたものだ。今では、すっかり高い建物ばかりになり、銭湯もなくなったようだが、不思議なことに子供の姿を見かけることが増えている。都心の事業所への通勤に便利だからと、子育て世代が中央区に増えたことになるのだろうか。