【Pickup】特集★山形国際ドキュメンタリー映画祭2013 「生きる意欲をくれた映画祭」藤岡朝子さん(ディレクター)インタビュー 聞き手=萩野亮

コンペティション部門『殺人という行為』(ジョシュア・オッペンハイマー/デンマーク=インドネシアほか)

インターナショナル・コンペティション部門『殺人という行為』(ジョシュア・オッペンハイマー/デンマーク=インドネシア=ノルウェー=イギリス)

|観客自身が作る映画祭

――これだけ情報や作品があふれているなかで、キュレーションということがものすごく重要になってきていると思うんですね。各地でプロデューサーや映画祭ディレクターの存在感が増していると感じます。藤岡さんは、こうした時代の移りゆきのなかで、ご自身の、あるいは映画祭そのもののディレクションというものをどのように考えられていますか。

藤岡 それはずっと悩んできたことですね。いま自分がディレクターとして腹を括れたのは、わたしがコーディネイター的な役割しかできないということ、それぞれの個性的なプログラムの自由にやりたいようにやってもらうというのが山形映画祭だと思っているからですね。それに加えて、ここ3、4年、山形事務局と東京事務局の結びつきを強めたいと思ってきました。山形の理事会にはなるべく行くようにしたり、山形側をもっともりあげていったりとか。表に見えるかたちとしては、「やまがたと映画」「Cinema With Us」というプログラムに表れていますが、水面下でも「映像文化創造都市」にしてゆこうとしている山形という町自体を盛り上げていこうとしています。震災のあと被災地で上映会をやったことは、山形映画祭にとってコアで重要な活動でした。

東京で映画業界に関わっていると、すぐれた作品が選ばれているかどうかで映画祭の「格」が語られたりしている。でも今回特集するクリス・マルケルだってYou Tubeで自作をあげたりしていたくらいですから、映画祭は特権的な場ではない。むしろ山形まで見に来るという行為。あるいは、『ヴェトナムから遠く離れて』『アフガニスタンから遠く離れて』を並べてみたらどんなふうに見えるだろうかとか、『現認報告書』「それぞれの『アラブの春』」プログラムの作品をつづけて見たらどんな思いがするだろうかとか、そういう自分で作っていく映画祭の面白さが、わたしが最初にヤマガタに感じた魅力の中心にあるのかな。

あと、日本映画も盛り上げていきたいので、「ヤマガタ・ラフカット!」や「倫理マシーン」のような特集なんかでディスカッションする場を作っていくことかな。「倫理」についてあまりに考えていない作品が多すぎるので(苦笑)、そういうことについても話し合ってみたい。やっぱり傑作を並べるだけの映画祭ではないものを作りたいとは考えていますね。

――観客がどんなふうに見てもいい、そういう映画祭ですね。

藤岡 上映作品が200本あるということが、まずそういうことだと思うんですね。フィルメックスみたいになるべく小さくして、全作見られるようにするという考え方もあると思うんです。それは単に予算規模によるものではない選択だと思います。ヤマガタはこれだけ上映できるということは、観客がいろんな組み合わせを作ることが可能だということ。事務局のなかだけだってみんな映画の好みが違うわけだし、たとえばコンペの『殺人という行為』(ジョシュア・オッペンハイマー)なんかは賛否がまったく分かれると思うんです。そこで作品の良し悪しだけに終わらない映画祭体験があるといいと思っています。

 ――交流広場「香味庵クラブ」でも、一献傾けながらいろんな人たちのあいだで連夜のように議論が交わされますね。わたしは各国各地の映画祭をさほど知っているわけではありませんが、「香味庵」はほんとうに日本の映画文化が誇れるものだと思っています。

藤岡 同感です。香味庵は世界に誇れますね。監督も観客もだれもが平等に語り合える、山形映画祭のアイデンディティーそのものを体現したものでしょうね。たまたま出会った縁も生まれる、人生そのもののような場所、といったところでしょうか(笑)。

――ヤマガタは世界の映画祭や映画業界のなかで、どういう位置づけをされているのでしょうか。

藤岡 これもわたしの大きな悩みで、まだ結論が出ていないんですけれど。ヤマガタとほぼ同じころに、いま世界最大のドキュメンタリー映画祭であるアムステルダム映画祭が始まったんですね。その後、ネットの普及やメディアの関わりもあって、ドキュメンタリー映画祭が増えてゆくなかで、「ドキュメンタリー映画祭ムラ」のようなネットワークがグローバルにできているんですよ。そのなかでヤマガタは「世界にわれ関せず」というような独自の動きをつづけているところがあって、それが良いのか悪いのか悩む時期があったんですね。

たとえば北米最大のドキュメンタリー映画祭であるトロントの「Hot Docs」なんかもそうですが、映画祭自体を多角経営化している。映画を上映するだけでなくて、そこにマーケットがくっついていたり、ピッチングフォーラムがあったり、ネット配信するチャンネルを作ったり、現代アートとコラボしたインスタレーション部門を設けたり、巡回上映をしていたり、配給会社と連動して映画館で公開したり。どこもものすごく拡大していた。助成金を得て継続するために、多角経営化しているところがある。

「ヤマガタはそういうことをやらないのか」とか、「映画の未来のためには資金繰りのことを考えないと」とか、いろんなことをいわれますが、これでよかったと思っています。山形事務局の人間もわたしたちも、「いますでに良いものがあるわけだから、これをつづけていこうよ」と、そんなに拡張願望をもたずに、グローバリズムに巻き込まれないですむ謙虚さのようなものをもってきたんだと思うんです。「山形ローカル」と「世界」とが対等なかたちで映画祭を作っていく、今年はとくにそうなっているんじゃないかなと思っています。「商品」としてではない映画をわたしたちは応援している。

――山形がとくに今年「世界」と対等になれるというのは、どういうところでしょうか。

藤岡 それには震災が関係あると思います。震災があって、では映画に何ができるだろうか、と問うことで、「山形映画祭が東北で唯一の国際映画祭だ」という自覚と自負が生まれたようです。その分山形県内、東北での山形映画祭の広報宣伝に力を入れているし、そのアピールが山形の市民に伝わっていると思う。今年のヤマガタは絶対、東北からのお客さんが増えると思います。そういう人たちが世界の最先端の映画を見て、自分たちの映画祭だと思ってくれたら、それがいちばんすばらしいことだなと思います。

――藤岡さんは山形映画祭のかたわら、「独立映画鍋」にも参加されていて、日本の若い映画作家にどうやってお金をもたらすかということを考えられていると思うのですが、山形映画祭にファンドを設けるようなことは考えられていないのでしょうか。

藤岡 お金がないからね。もっと潤沢な資金があればいいけれど。それにいまの若い作り手には、お金よりももっと必要なものがあるように思います。映画を見る場、語りあう場を得るという支援の仕方が、いままでヤマガタでやってきた方法だし、好評をいただいているので、決して悪い方向ではないと思っています。その延長上に今年の新しいプログラム「ヤマガタ・ラフカット!」があります。

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