|自分自身を演じることから
――「カメラが消える」というお話がありましたが、それはカメラの暴力性・加害性をどのように避けるべきか、ということと密接につながっています。そしてそれが、語り手たちがいわば「自分自身を演じてゆく」プロセスで起きえたことだとしたら、劇映画の演出ともつながっているのではないでしょうか。
酒井 僕はシナリオで決定的なせりふを書くというのは苦手なんですね。ソリッドに削り込まれた映画というのは自分にはできないなと思って、そこに至るまでのプロセスを必ず用意したりする。会話のことばというのは、実はそのことばに至るまでのプロセスであり、そのことばをどう受け止めるかということが大事だったりする。他愛のないおしゃべりのなかで話されていることのほうが、僕には魅力的だったりします。今回の映画では、「被災者」という先入観がどうしても僕らのなかにあるわけですが、彼らの「おしゃべり」はそういう先入観も打ち消してくれるものだった。
濱口 シナリオということからいうと、いきなり決定的なせりふに至れることはやはりすごく少なくて、核心から遠いところの会話からだんだん近づいてゆく。核心から遠いことをいわざるを得ないその人の状況というものがつねにあるわけです。ただそういうせりふが不要なものかと言うとそうでもなくて、役者を見ているとそういう核心から離れたせりふをいうたびに、その人が何者であるかを着実につかんでいく、という感じがあります。
それと同じようなことがこの3部作でもあるような気がして、「いま、このことばをいっている自分」と「相手との関係性」を、役者が役をつかんでいくように、彼らもつかんでいったような気がします。自分がいま、こういう状況でこういうことを話す人間なんだということを、彼ら自身が確認し、自信を深めてゆく。そういうときに「決定的なことば」というのがすっと出てくる。もしくは、何でもないことばが決定的なものとして聞こえてくる、そういうことがあるように思います。
――いまのお話、とても興味深く受け取りました。3部作を通じて、人びとはまずとても朴訥に自分の名前と年齢を告げる、それが何か「自分という役」を演じ始めるスイッチになっているように思いました。
酒井 劇映画でも、やっぱりいきなり「そこ」には行けないわけですね。見ているうちに、だんだんと僕らが知っている役者たちのすがたになってゆく。そういう役者のいちばんいい演技を引き出したときの感じと近い気がします。語り手たちにとってもそうであると信じたいですね。
――「自分」というものが、無条件にそうあることができるわけではなく、カメラという装置、あるいは映画という空間があることで「自分」になることができる。その心地よさを語り手たちが全身に受け止めているような気がします。
濱口 驚きますね。こんなに堂々とカメラの前にいられるものなのかと。
酒井 いきなり「そこ」には行けないときに、それを聞く人がいることで、徐々にそこに向かっていくことができる、どこかでそれを超えられる瞬間が来る。
――被災され自分の場所を奪われた方たちが、おしゃべりを通じて自分の「場所」に帰る、そういうプロセスとしてあるようにも思えます。
酒井 僕らが聞かないと話せないことというのがあるんだと思うんです。家族には何度も話しているだろうけど、知らない人が来ないと「語る理由」というものがないのかもしれない。
|これを受け止めてもらえるなら、まだやりたいことがある――『なみのこえ』
――昨日の上映後のQ&Aで、一作目の『なみのおと』を山形で上映したときに、「次の作品を作らなければと思った」ということを話されていましたが、『なみのおと』の上映を経て、どんなふうに自分たちの活動を位置づけなおされたのでしょうか。
濱口 山形映画祭に震災特集があったということが大きかったですね。膨大な量の「震災映画」があって、自分たちがやっていることは、わかってはいたけれどもほんとうに一部に過ぎないという感覚がすごく強くなった。どこまで行ってもその全体像がつかめることはもちろんないにしても、少なすぎる。最初に感じた「見たい」ということ、あるいは途中で気づかされた「聞きたい」ということが、まだ十分にできてはいないという感覚になった。そういう感覚は酒井とも共有していて、すぐに次を撮ろうという話になりました。
酒井 実は『なみのおと』を上映するまではそこまでの気もちはなかったんです。完成させることが精いっぱいだったし、ほんとうに人に見せていいのかと。ドキュメンタリーとしてもかなりきわどいことをやっていると思っていたので、これが受け容れられるのかという不安があったんです。けれどヤマガタでの一度かぎりの上映で、とてもいいかたちで受け止めてもらえた、そのことがとても大きかった。「これを受け止めてもらえるなら、もうちょっとやりたいことがあるよ」ということを自然に思うことができた。
濱口 一呼吸置くことがこわかったというのもありますね。一呼吸置いてしまうと、もうやれないんじゃないかという気もちがあったから、そのままつづけることを選びました。
――震災プログラムのほかの作品についてはどういう印象をもたれましたか。
濱口 自分たちが撮らなかったものがたくさん映っているなと思いました。これは批判をするわけではなく、こういう作品があるからこそ、自分たちの作品に意味があるということを確認しました。自分たちの撮った語り、あるいはそういう人たちがいることの実感が、もろもろの震災映像とつながってゆきはしないか、傲慢ないい方になりますが、自分たちの撮った映像が、ほかの映像に何か力をあたえはしないか、ということを思いました。
正直にいうと、ひとつひとつの映画は断片という印象しかなくて、ただこの断片があるということがものすごく大事なことだという気がします。その断片が、どうすれば力をもつことができるかということを考えました。
――『なみのこえ』では、新地町と気仙沼のふたつの場所の方々を撮られていますが、このふたつを選ばれたのはどういうことからでしょうか。
酒井 1作目の『なみのおと』では8組の方々を撮っていて、そのうちの6組を映画に入れています。残りの2組が新地町と気仙沼の方々だったんです。その2組は僕らの構成上、『なみのおと』には入れることができなかった。でもせっかく撮ったんだからという気もちがありました。それで、いままで通過するように撮ってきたのを、ひとつの場所にとどまるということをしてみようと。新地町にも気仙沼にも、紹介してもらいながら撮影できていなかった方たちもいたので、その方たちをまず全部撮ろうということになったんです。
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