10月に開催された山形国際ドキュメンタリーの体験記を募ったところ、数名の方から貴重な寄稿を頂いた。今年の“ヤマガタ”に関しては既にいくつかの記事が掲載されているが、今回は、観客やボランティアという立場で映画祭を体験した方々の“率直な感想”を紹介したい。
私見だが、ヤマガタには不思議な磁場がある、と思う。つい先日、インタビュー記事を掲載させていただいた『あきらめない映画 山形国際ドキュメンタリー映画祭の日々』著者の山之内悦子さんも、その磁場に魅了されたお一人なのだろうか。第1回目(1989年)にはひとりの通訳者に過ぎなかった山之内さんが、毎回欠かさず参加を重ね、24年分のトピックを自ら取材までしてひとつの本を上梓された、という事実にあらためて驚愕する(寄稿いただいた方のひとり、小林茂監督も”皆勤賞”だそうだ)。
東北・山形の地で、ハンドメイドの良さを残した「ドキュメンタリー」専門の映画祭が行われ続けている。そのユニークさを、あらためて読者の皆様に感じて頂ければ幸いである。
ご寄稿いただいたみなさま、ありがとうございました(neoneo編集室 佐藤寛朗)。
『蜘蛛の地』を見て
小林 茂(映画監督)
山形国際ドキュメンタリー映画祭2013(山形市10月10日~16日)のコンペ部門は世界各地から応募された1153作品から選ばれた15作品が上映され、北欧に移住したパレスチナ難民のマハディ・フレフェル監督が、かつて住んだレバノンの難民キャンプの家族を描いた『我々のものではない世界』が大賞を受賞した。わたしは、狭い場所に閉じ込められ仕事もない若者たちのうっくつした気持ちを等身大に感じることができた。
最優秀賞は『殺人という行為』(監督:ジョシュア・オッペンハイマー)。1960年代のインドネシアで行われた大量殺戮の殺人部隊のリーダーが、その行為を再現し、それを記録するという映画で、人間には「善人」と「悪人」が同居していることを示した。
わたしは韓国の若き女性監督キム・ドンリョン(共同監督パク・ギョンテ)の『蜘蛛の地』が一番印象に残った。前作『アメリカ通り』(2009年アジア部門の大賞)では、米軍基地の街で40年以上働いて生きた韓国人の元売春婦Kと、新たな働き手となっている若いロシア人女性やフィリピン人女性などを描いた。わたしはその小さなデジタルカメラで撮影されたであろうダイレクトシネマ的な映画が、とても新鮮で、好きだった。現役の彼女たちのうごめく日常と時間が止まったような韓国人の老女Kの日常が対比されながら、挿入されるKの化粧品のアップがなまめかしく、かつ、そこに寄寓しているであろう監督の息遣いが伝わってくるような作品であった。
『蜘蛛の地』は、「Las Vegas (ラスベガス)」のような店の看板が見える廃れた基地村の旧歓楽街が舞台となり、韓国人の元売春婦の女性3人が登場する。彼女らの人生は壮絶である。中絶を繰り返したすえに子宮を切除。性病になる。米兵とアメリカに渡ったが夫の虐待に耐えられず、子どもを置いてもどってきた。その子どもへの愛惜と後悔。これらが心の深い傷(トラウマ)となって、彼女らを苛む。
米軍の黒人兵との混血のアン・ソンジャは昔にぎわったであろう廃墟を歩き、ミラーボールの下でかつてのように、踊った。
彼女らの記憶から紡がれる詩のような語りや、描かれる日常の街や生活は、監督と彼女らの共同シナリオであるという。彼女らと監督たちの10数年におよぶ信頼関係の上に築かれた映画である。劇映画的な手法へと映画は変化したが、監督は「もうこれ以上、ダイレクト的な手法で彼女らをフォローする限界を感じ、新たな手法を模索した」と言った。
大事なことは、彼女らのトラウマを深く聴き、それらをどう映像化するかを話し合い、共同で映画を作る過程の中で、そのトラウマを癒しているということである。「カメラの暴力」というような撮影者と被写体の関係もあれば、お互いを認め合うことから生きる力を生み出す関係性にもなりうることをこの映画は示している。
監督たちも(見るわれわれも)人の深い悲しみを共有するなかで、人として生きる勇気をもらい、癒される。トラウマに苦しみながらも生きようとする姿に感動するからである。と、同時に、こういう人々を生み出す戦争や軍隊に対する怒りと悲しみをも、忘れてはならない。
ここにきて、わたしは日本軍が引き起こした「従軍慰安婦」の問題に突き当たる。沖縄や横須賀など日本の米軍基地の街にも思いをはせる。世界の紛争地域でこの映画で描かれたようことが今も進行中なのである。
映画の中でトラウマからくる頭痛とたたかうためにいつも画を描いているパク・インスンさんが、『蜘蛛の地』の公式上映のときに登壇した。「自分が出た映画を見てどう思いますか」という質問に「自分の姿は幼稚に見えて嫌だと思う一方、反省してまじめに生きようと思う」と答え、思わず皆が笑った。映画は特別賞を受賞した。
『蜘蛛の地』キム・ドンリョン監督
初・ヤマガタ参戦記
夏目深雪(批評家・編集者)
「香味庵って楽しそう」と思いつつも、「次の年の東京上映で全部観られるし」と、一度も行ったことのなかった山形映画祭。今年は『殺人という行為』と『わたしたちに許された特別な時間の終わり』がどうしても一足早く観たくなってしまったのと、「6つの眼差しと<倫理マシーン>」というレクチャーシリーズに興味があって行くことにした。とはいえ年末刊行予定のアジア映画に関する論考集『アジア映画で<世界>を見る-越境する映画、グローバルな文化』(作品社)の編集作業の真っ盛り。でも、ヤマガタは今年行かなかったら、来年はないのだ。火事場の馬鹿力で仕事と雑事を片付け、なんとか新幹線に飛び乗り、夜遅く山形に到着した。
目当てのジョシュア・オッペンハイマー監督の『殺人という行為』、太田信吾監督の『わたしたちに許された特別な時間の終わり』はともに来た甲斐があったと思わせたものであった。「殺人」と「自死」という行為をカメラに納めることの、倫理的問題の周りを旋回するようなカメラワーク。長尺(『殺人…』が159分、『わたしたち…』が151分)、登場人物の能面のような「顔」(『殺人…』の元殺人者の殺人を再現している時の顔、『わたしたち…』の幻想部分で登場人物がかぶる白い仮面)。インドネシアと日本という地域や扱っているテーマ自体は違うものの、共通点はいくつか見られ、何よりアジア的な混沌や死生観の中で、映画にできることが何なのかを渾身の力で探っているような真摯さにとてもうたれた。
『殺人という行為』(ジョシュア・オッペンハイマー監督)提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭
その他は「6つの眼差しと<倫理マシーン>」を中心にした。『被写体』『キャットフィッシュ』『レイプ』などを観、阿部・マーク・ノーネス、ブライアン・ウィンストン、斎藤綾子らのレクチャーやシンポジウムを聞いたが、「6つの眼差し」という概念自体は面白かったものの、上映作品も特に私はアメリカ映画を中心に観てしまい、講師もアメリカ人かアメリカの理論を軸にしている映画研究者。どうも議論の前提がヤマガタで観る作品とは乖離しているような気がし、講師陣も「欧米のドキュメンタリーと違い、アジアのドキュメンタリーは関係性が重要なのでは?」という会場からの指摘にみな頷き、そこで時間切れになるなど、スタートラインについたところで終わってしまった気がした。このレクチャーの枠で行われた原一男とジョシュア・オッペンハイマーの対談がとても刺激的だったことからも、作り手がディスカッションに入ること、欧米からとアジアからの視点を交錯させること(オッペンハイマーはデンマーク人)で、もっとディスカッションが深まったのではと思うと残念だ。
帰京してからすぐにTIFFに参戦したが、社会派作品はあるものの全体的に小奇麗で端正な作品が多く、『殺人…』や『わたしたち…』のようなはみ出したパワーがあるものは見当たらず。会場で知り合いにあっても、次の朝のプレス予約のために朝7時起きしなければいけないので、飲みに行くこともなくいそいそと帰路につく…。期待の香味庵は人がたくさん居すぎてみんな酔っててワケがわからなくなっていて、正直、neoneo編集委員のH氏とK氏に相手をしてもらえなかったら楽しめたかは分からないのだが、それでも東京という大都市で飼い慣らされていく自分を相対化できたのは収穫であった。
原一男監督×ジョシュア・オッペンハイマー監督のディスカッション(司会:阿部・マーク・ノーネス氏)
ヤマガタとHIROSHIMA
土居伸彰(アニメーション研究・評論)
初参加でした。映画祭といえば国内外のアニメーション専門映画祭を訪れたことしかなく、アニメーションとドキュメンタリーだとどれくらい違うのだろうと、主に広島国際アニメーションフェスティバルと比べながら参加しました。山形市民会館の会場の風景を見渡して、HIROSHIMAも市民会館的な場所で開催されることもあり、デコレーションの「市民感」は同じだな、と微笑みつつも、売店で売っている書物の分量に驚きました。DVDや原画などを中心としたHIROSHIMAの売店が「画」だとすれば、ヤマガタの売店は「字」でした。プログラムを見渡すと、上映以外にも「言葉」が発される機会が広島と比べ極端に多く、正直、羨ましく思いました。売店で売っている過去の大会の関連の冊子からは、ヤマガタの歴史が刻印され、その匂いが漂ってくるように感じました。HIROSHIMA(1985年)もヤマガタ(1989年)も歴史はほとんど同じですが、その蓄積は違うな、と。
それに、HIROSHIMAにはヨーロッパと北米とアジア(ほぼ韓国)の人しか来ません。しかも白人ばかり。アニメーション映画祭のコミュニティはそういうものなのだなあと改めて自分の普段いる世界の狭さを実感しました。
いまやどのアニメーション映画祭に行ってもドキュメンタリー作品はある程度の割合で確実に上映されています。その点でいえば、ヤマガタにおけるアニメーションのなさには拍子抜けしました。あ、でも、オープニング映像は素敵なアニメーションでしたね。誰が作ったんだろう。おそらく唯一のアニメーション作品『チークを辿る道』(監督:アフマド・ナッシャ)はとても良かったです。アニメーション映画祭のアニメーションと、アニメーションの使い方が違っていて、新鮮でした。(文字数が足りないので詳述できませんが。)
neoneo本誌での連載では、アニメーションとドキュメンタリーの交わるところに新しいリアリティが生まれつつあるのでは、みたいなことを書かせてもらっていますが、その点でいえば、フィクションが人々のリアリティの型を作り上げている、みたいな作品がとても気になりました。『殺人という行為』がたとえばそうでした。『我々のものではない世界』(監督:マハディ・ フレフェル )は、タフな状況のなかで中途半端な位置づけでふらふらとしている主人公の作品で、この方法論はまさに、主観性に囚われ社会性への意識が欠如しがちな、アニメーション・ドキュメンタリーなんじゃないかと思いました。この作品がグランプリを受賞したと知ってびっくりしました。ドキュメンタリーの人は、そういう立ち位置を「そんなナヨナヨしてどうする!」と一喝しそうな気がしたからです。(でもよく考えたら、すでにセルフドキュメンタリーというものもあるのでしたね。)
『チークを辿る道』( 監督:ルーシー・デイヴィス)提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭
でも、これらの作品をおさえて、今でも一番思い出すのは『この2メートルの土地で』(監督:アフマド・ナッシャ)という素敵な作品でした。小さな場所で、ささやかな言葉で、巨大な時空間を宿らせるこの感じ。脚本も用意されたこの作品がドキュメンタリーなのかどうか僕には分かりませんが、この作品が持ち合わせたリアリティ感覚にはとても感銘を受けました。ノルシュテインの『話の話』も同じようなリアリティ感覚をもっていて、やはり、作品の本質の分けるのはジャンルではなくて、作り手の資質・性向なのだろうなと改めて思った次第です。
今回、1泊2日しか参加できなかったので、噂の香味庵にも一度しか訪問できず、とても残念でした。香味庵はきちんと入場料等のシステム化がされているのがすごいと思いました。しかし、唐突にHIROSHIMAとの比較をまたすると、HIROSHIMAにもこういう場所はあるんです。OTISという、毎晩朝までアニメーション作家たちが飲んだくれ、楽器を演奏し、歌を歌ったりするバーがあるんです。システムが体系化されていないので、座る席によっては、まったく何も注文できなかったりするのが玉に瑕ですが……シリアスな話は嫌われるので、議論もできませんが……
ちなみに、ヤマガタと同じ隔年開催のHIROSHIMAは、2014年が30周年です。これまでは「今年はHIROSHIMAないのかあ」と残念に思うばかりでしたが、これからは「今年はHIROSHIMA!」「今年はヤマガタ!」と毎年楽しむことができるようになりそうです。
そして、ダラダラとした「わたしのヤマガタ」をいまこうして書き終えて、広島はHIROSHIMAとしか書けず、ヤマガタのようにカタカナで書くことができない、という事実が、けっこう突き刺さっています。
『A2-B-C』インタビュー体験記
鈴木規子(ボランティア・スタッフ)
念願だった山形国際ドキュメンタリー映画祭に、今年はじめて行くことができた。
どうせ行くなら映画祭により深く関わりたいと思い、『デイリー・ニュース』のボランティアスタッフに参加することにした。『デイリー・ニュース』とは、映画祭期間中に毎日発行される新聞のことで、ボランティアスタッフが記者となり、4人1チーム(メインインタビュアー、サブインタビュアー、スチール撮影者、動画撮影者)で、ゲスト参加している監督に取材し、記事を書く。
私は『A2-B-C』(監督:イアン・トーマス・アッシュ)に希望を出した。震災後、福島の子供たちに、将来甲状腺ガンになる可能性がある膿ほうができ始めていることを伝える映画で、テレビや新聞のニュースでは見聞きしたことのない内容に興味を持った。
『A2-B-C』(監督:イアン・トーマス・アッシュ) 提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭
山形に到着するや否や、翌日、インタビューがあることを知らされた。しかも私がメインインタビュアーだ。慌ててもう一度映画を観直し、夜中まで必死で質問内容を考えた。
インタビューは、『A2-B-C』上映後に、山形美術館で行われることになった。取材チームが控え室に伺うと、映画に出演されている福島の方々が勢揃いしていた。はじめてお会いしたイアン監督は、そこで「せっかく出演者たちが揃っている滅多にない機会なのだから、皆でインタビューを受けたら?」と提案をしてくれた。しかし緊張でガチガチになっている私は、決められたことをやるだけで精一杯。臨機応変に対応出来るわけもない。丁重にお断りをして、監督のみのインタビューにしてほしいと伝えた。
私はまず、監督自身についての質問をした。アメリカ人のイアン監督が、なぜ日本に住み福島で映画を撮っているのか?すると監督からは「インタビューの意図がわからない」という答えが返ってきた。映画のインタビューなのだから、監督自身の話よりも、映画の話をすべきだと言った。さらに「出演者たちにやはり話を聞くべきだ」とも言った。自分のことよりも、福島の人たちの声を聞いて欲しかったのだ。
予定外の展開に、私は頭が真っ白になってしまった。黙ってしまった私の代わりに、サブインタビュアーの佐藤さんが、あくまで監督向けのインタビューであることを丁寧に説明し、何とかこちらの取材の意図を理解してもらった。私はすっかり動揺し、監督の顔を見ることさえもできず、質問を書いてきたメモを見てばかり。そんな私に、監督は追い打ちをかけるかのように苦言を呈する。
「ドキュメンタリーってコミュニケーションから生まれるものでしょ。インタビューも同じ。僕が答えて、その答えからまた質問が出てくる。紙ばっかり見てするものじゃないんじゃない?」
もっともだと思った。顔をあげメモを伏せた。だが何を聞けばいいのか……。またも見かねた佐藤さんが、映画の核心に迫る質問をし始めると、ようやくインタビューの体をなしてきた。真っ当な質問が来れば、監督も真っ当に答えてくれる。それだけのことなのに、私にはそれができなかった。
1時間強の取材を終え、私はすっかり脱力しきって編集室に戻った。この散々なインタビューを今日中に記事にしなけれならない。録音した音声を聞くのも辛かった。だが逃げ出すわけにもいかず、意を決して音声を聞いた。イアン監督は「この映画を観て実際に福島で起こっていることを知って欲しい、その上でどうするべきか考えて欲しい」と熱く語っていた。私は、監督のその思いが伝わるように心がけ、記事を書いた。見出しは、「真実を伝えて、子供たちを守りたい」にした。
このインタビューは翌々日、『デイリー・ニュース』の紙面に掲載された。人生初めてのインタビュー記事だが、到底喜ぶ気にはなれなかった。ただただ自分の不甲斐なさを痛感し、編集室で他の仕事にあたっていた。すると、入り口から聞き覚えのある英語訛りの日本語が耳に入って来た。振り返ると、イアン監督が立っている。
瞬間的に、私は青ざめた。きっとできあがった記事のダメ出しに来たのだ……。どうやら監督は別件で編集室を訪ねてきたらしく、ひと安心したものの、知らんぷりしているわけにもいかない。私はこわごわと監督に挨拶をした。監督は記事をまだ読んでいないという。そして「今読むね」と、目の前に置かれた『デイリー・ニュース』を手に取り、読み出し始めた。まさか目の前で読まれるとは! 私は数分が数時間にも感じられた。ところが読み終わった監督の感想は意外なものだった。
「いいよ、凄く良い。僕もうまく言えなくてあんな風になってしまって、悪かったなと思っていたんだけど、よくまとめてくれたね。言いたかったことがちゃんと書かれているよ。良い記事にしてくれてありがとう。福島の人たちにも読ませたい。」
まさかそんなことを言ってもらえるなんて。びっくりして声が出なかった。あのインタビューは無駄じゃなかった。涙が出そうなくらい嬉しかった。
この映画は今、全国各地で上映されている。イアン監督ありがとう! またどこかでお会い出来る日を。
イアン・トーマス・アッシュ監督(右から2番目)取材を終えて 提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭
映画は戦場だ
萩野 亮(映画批評/本誌編集委員)
「僕もまだ読んでないのにアレなんですが、山形国際ドキュメンタリー映画祭関連記事がこれから定期的に上がります。ハギノほか数人が従軍記者状態になっております。……」(@koyan_waka 2013/10/7)
映画祭開催直前の本誌編集委員・若木康輔のツイートから引いた。「従軍記者」として満足に取材ができたか、流れ弾に当たりはしなかったか、たいへん不安ではあるけれども、「neoneoがヤマガタを徹底取材しないでどうするんだ」という気もちを、編集部の全員が共有していたことはたしかである。
「ドキュメンタリー」は映画ジャーナリズムの圏外にある、このところ、そう感じずにはおれなくなった。たとえばシネマコンプレックスで上映されるメジャー配給の劇映画では、毎週の興業成績がリリースされては、どこか浮世ばなれした億単位の数字がメディアに飛び交う。「アート系」とあいまいに呼ばれる作品でも、カンヌやベネチアなど国外の映画祭での情勢が現地から届けられもする。各地の映画をめぐる状況を伝えるジャーナリズムは、作品を味わい検討する批評の領域に、さまざまな材料をあたえてくれることはいうまでもない。
ところが、ドキュメンタリーには、そうした情報があまりに入ってこない。国内の興行成績でさえ、ヒットした折に配給会社が「○○人突破!」などと謳うことはまれにあるものの、その全体的な状況はまるでわからない。あるいはアムステルダムやトロントなど、ここ20年ほどのあいだに、国内外で多くのドキュメンタリー映画祭が創設され、あるいは既存の映画祭にドキュメンタリー部門が設置されているが、その情勢はけっして満足に届けられてはいない。コペンハーゲンのドキュメンタリー映画祭「CPH:DOX」がおもしろいとほうぼうから聞いたけれど、日本からいったいどれだけのメディアが取材に行っているのか。……
各国映画祭を取材してまわる後ろ盾のないわたしのような書き手にとっては、だからヤマガタが世界のドキュメンタリーの情勢を知りうるほとんど唯一の機会だった。ワン・ビン、リティ・パニュ、ミシェル・クレイフィ、ペドロ・コスタ……、七日町のスクリーンにめくるめくひろげられたドキュメンタリーの世界地図は、いまもわたしのゆるぎない道しるべになっている。もちろん、ヤマガタが世界のドキュメンタリーとそれをめぐる状況の縮図であるわけではない。むしろヤマガタはそれに背を向けてきた側面もあるのだ。
映画祭開催間際の、公式カタログがその日入稿するかという忙しさの東京事務局をたずねては、わたしたちneoneoはコーディネイターの各氏にインタビュー取材をおこなった。ディレクターの藤岡朝子さんは、まさにそうした各国の「映画祭ムラ」から遠く離れたところで山形映画祭をつむいできたのだと語ってくれた。
カットするところがなく、小一時間ほどの取材が1万字にせまる記事になった。今回のプログラムをながめながら、わたしが知りたかったのは、欧州とアジアの合作についてだった。欧州各国での合作は予算規模の大小にかかわらず、これまでも頻繁になされてきたが、たとえば『殺人という行為』(監督:ジョシュア・オッペンハイマー)は、デンマークの監督がインドネシアで撮影し、両国に加え欧州各国の資本によって製作されている。あるいは、『チョール… 国境の沈む島』(監督:ソーラヴ・サーランギ)は、インドの監督がフィンランドのプロデューサーを得て、各国の資本で製作費がまかなわれた。
『チョール…国境の沈む島』(監督:ソーラヴ・サーランギ)提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭
アジアで独立系のドキュメンタリーが隆盛し始めたのは、じつに80年代後半に過ぎず、欧米と日本が圧倒的にドキュメンタリー先進国だった。新しい世紀をむかえ、あらゆる意味でアジアと欧米各国のドキュメンタリーは拮抗し、また協働関係をむすぶようになったのである。
ヴェルナー・ヘルツォークが「50年に1本の作品」と激賞したという『殺人という行為』は、前評判どおりの強烈なフィルムだった。映画祭開催前にリリースされた数行の解説を読むかぎりでも、『S21:クメール・ルージュの虐殺者たち』(監督:リティ・パニュ、YIDFF2003優秀賞)を想起させた。近刊『アジア映画で〈世界〉を見る』にも書いたことだけれども、政治的動乱のつづいた20世紀のアジアには「映像」が失われている。その映像を回復すべく試みを、ポル・ポト時代のプノンペンに生まれ、フランスに学んだリティ・パニュが不断につづけていることは特筆すべきことである。それにも似たアプローチを、デンマークのジョシュア・オッペンハイマーが、イタリアのエラ・プリーセ(『何があったのか、知ってほしい(知りたい)』)が、欧=亜合作の製作形態において試みていることを興味ぶかく見た。後者は、現地のトゥルノ・ロ村の人たちがカメラの操作をおそわりながら、みずから撮影してもいる。
これらの作品は、カンボジアやインドネシアにおける過去の凄惨な政治的暴力の状況を再現する=演じることで、彼ら自身がふかく自国の歴史を知るという、ブレヒトの「教育劇」にも似た啓蒙的な側面がある。『殺人という行為』や『何があったのか~』に根源的な違和感が残るとすれば、そうした「啓蒙」という時代錯誤なモチーフがあるためだろう。すぐれて西欧近代の発明であるカメラそのものにそうした「啓蒙」的なものが、いまなお十字架のように託されているとするならば、合作さかんなりし現代の映画は、それをどうやって超えることができるのだろうか。そんなことを考えていた。
「教育劇」の連想をはたらかせたが、他方で演劇と映画とが交差する地点が、これらのフィルムにはあるといえるだろうか。本特集記事の夏目深雪さんの原稿から気づかされたことだが、俳優としても活動する太田信吾による『わたしたちに許された特別な時間の終わり』をこの作品群に加えてみることは刺戟的である。
『わたしたちに許された特別な時間の終わり』(監督:太田信吾)提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭
またその意味では、今回の「それぞれの『アラブの春』」プログラムと、つい先だって閉幕したフェスティバル/トーキョー13で3作が招聘されたレバノンのラビア・ムルエの演劇作品とを接続してみたい誘惑にも駆られる。
そのほか、見られたかぎりのわずかな作品のなかでは、『なみのこえ』(監督:酒井耕・濱口竜介)、フィリピンの『愛しきトンド』(監督:ジュエル・マラナン)が印象に深い。
neoneoは、これからもドキュメンタリーという戦場へ「従軍記者」を送ります。
ジュエル・マラナン監督(右)は『愛しきトンド』で日本映画監督協会賞を受けた
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★関連記事一覧 特集★山形国際ドキュメンタリー映画祭2013
山形国際ドキュメンタリー映画祭 2013
2013年10月10日-17日開催
総上映本数:210本、
入場者数:総計22,353人
参加ゲスト:238人
参加ボランティア:390人
映画祭公式HPより
※次回開催は2015年10月(予定)