|写真には結ばなかった出会い
――巻末にまとめられた、季節ごとのテキストには、写真には収められなかった、拒否された出会いについてむしろ積極的に書かれていますね。
田代 季節ごとにけっこうな分量を書いて、清田さんと精査しながらこういうかたちになりました。撮らせてくれた人もいますが、撮ることのできなかった人もいる。そういう人が傷つかないように、文章だけでも載せたいということはありました。
――このテキストを読んでいると、被災地に通うごとに自分が何者であるかをたしかめていく、そういう写真家の肖像が行間から浮かんできます。それは、「写真を撮ること」とは何であるのかという本質にかかわってくることでもあります。
田代 目の前の人を撮るということにかぎっていえば、被災地でもそうでなくても変わらないと思うんです。自分がどれだけ出す作品に責任を負えるのか、いやな思いをさせてしまった人にそれでも撮りたいと思えるのか、そのことのほうが大きいかなと思いますね。ただ、発表するとなると、いろんなデリケートなことがあるので、そこは慎重にやらないといけないなと思っています。
その土地で人を撮ることは、土地の歴史があっていま目の前にその人がいるということであって、僕はそれを身を持って体験させてもらった。写真を撮るか撮らないか、いろんな選択があったと思うんですが、いくら地続きの歴史のなかのひとつとしても、震災はやはり大きな出来事で、写真家は自分がどういう立ち位置にいるかということを考えざるを得ない状況にいたと思う。そこで思ったことをずっと忘れずにいないといけないなというのはあって、それは「震災を忘れない」ということとも似ているけれど、写真家としてはそういうことをきちんと憶えておかないといけないなと強く思っています。
――「震災」というテーマは、写真にとって「神話」や「物語」を生みやすいと思うんですね。そういうなかで、ある強い意志をもって対象を静態させて機械的に撮りつづける、システマティックとも思えるような構図にすることで、そうした「神話」から必死に遠ざかろうとしているように感じます。
田代 おっしゃるとおりですね。「神話」や「物語」から逃げたい逃げたいというのはずっとありました。けれど、「逃げる」対象があったから、僕の写真も成立したのかもしれないなと思います。
――1200もの出会いのなかには、この人をもっと撮りたい、この人でひとつの展示をまとめたい、という出会いもあったのではないですか。
田代 ありましたね。けれど、まず撮影地が広いということがあった。それに、ドキュメンタリーだとものすごく長い時間をかけて撮るということがありますけど、それは僕にとっては写真的なことではないと思っているんですね。写真というのは、もっとおおざっぱにいろんなものをかっさらっていくというか、経済的にも文化的にもいろいろあるその表層をがっと取っていくということしかできないと思っているので、いくら関係を深めても、さっきの話にあった「神話」や「物語」というゴールを目がけてつきあっていくしかなくなってしまうように思うんです。
――このタイミングで撮影を終えられたのは。
田代 春で終わりたい、ということは途中から考えていました。その都度展示しながら、3年目の春で終わらせる、ということが、区切りは悪いですけど、その後つづいていくことへの想像力を喚起してくれるものになるんじゃないかなと思いました。丸1年撮って作品として出された方というのはけっこういらっしゃいましたが、それは自分の表現に(恣意的に)引き寄せることになるのでやりたくなかった。
かと言って、ドキュメンタリーならあと5年は撮らないと成立しない。復興が進んで、ある程度生活が楽しめるようになったころに発表するのがスジかなとは思うんですけど、僕としてはそれもちょっと違うなと。「物語」から遠ざかりたい、と言いましたけど、「作業の中断」として作品を成立させられたらな、と思ったんです。今後も、関係はつづいていきますけど、撮りに行くことはしません。今後何十年経って撮ることがあるにしても、また別の出会い方、撮り方があるんだろうと思います。
|これはぜったい写真集にしたほうがいい
――展示から写真集へ、という展開には、もうひとつ違う段階がありますね。
清田(里山社) 2011年9月くらいに初めて、プリントを見せてもらっていたんです。けれど、覚え書きはついていない、全部同じ構図の肖像写真群だけを前にしても、これは一体何なんだろう、この人は何をしようとしているんだろう、と、理解できなくて(笑)。その前の九州で撮った『椿の町』という展示では、同じような構図の人物写真に、風景や物が挿入されていたので、何をしようとしているのか、なんとなく認識することができたんです。
またその時、東京で会っていた私にとって、田代さんは「生活」というものがまったく存在しない感じがして、その様子も当時会社員生活をしていた私には、なぜ写真を撮ることでそこまで突き詰めなくてはならないのか、理解できませんでした。ですが質問をぶつけても「とにかくニコンの展示を見に来てください」と言われて。展示会場は、プリントと、私家版でまとめられた写真集が置いてあったんです。それには既に覚え書きがついていました。
その時点で2012年の冬まで、1年分の写真がノーカットで収録されていたんですが、田代さんがどれだけの集中力で写真と向き合っているのかということと、なぜこんな枚数をすべて同じ構図で撮っているのかという謎が、ようやくわかった気がしました。写真を撮ることでこの人は成立しているんだと。そのときようやく、田代さんその人を見た気がして。田代さんという写真家自身の記録を見た思いでした。
と同時に、わたしは大学時代に佐藤真監督について卒論をまとめたんですけれど、佐藤さんがおっしゃっていた「映画はパッチワークなんだ」ということばとその感覚が、写真で感じられた気がしたんです。こういう感覚を味わったのは、私にとって佐藤さんの映画以来でした。
――そのころから写真集として出版したいという思いはあったのですか。
清田 これはぜったい本にしたほうがいいと思ったし、私家版の写真集でほとんど出来上がりが見えたから編集の手もいらないなとも思って。実際はそんなに甘くはなかったんですが(笑)。その当時わたしは会社勤めでしたから、誰か出してくれる人がいるんじゃないか、と思いながらも、田代さんと「こういう本にできるといいね」という話はしていて。
――写真集にするという段になって、おふたりでどういうお話や作業をされたのですか。
田代 まず写真を僕が選んで、テキストはもともと書いていたものは長かったので、それを見開きで読みやすいように短くしていただいて。いちばん心をくだいていたのは、いわゆる「写真集」というかたちにはしたくないということ、もっといろんなジャンルの方に手にとってもらえるようなかたちにしたいと思って。サイズも、写真集のように仰々しくなくて、読み物としても読めるもの、そのあいだのようなものを考えました。
清田 枚数をどのくらいにするのかということに悩みましたね。まず何枚といわずにすべて田代さんに選んでもらって。私家版の写真集の状態はもっと余白が多かった。採算を考えながら、間引かなくてはならないのですが、でも間引き過ぎてもいけない。これが16ページ少ないと「事実の羅列」という印象になったと思います。サイズについても、大きさよりは嵩でインパクトを出そうと思っていました。デザイナーの鈴木成一さんが田代さんの写真を見たときに、タテの写真に合うように縦長のこの菊版という判型を選んでくれたんですよ。
田代 選んだ基準は、感覚以外で言うと、キャプションで良いものだったり、2回会ってる人は2回とも入れたいとか。あとは同じ日づけでも微妙に違っていて、見開きで楽しめるように考えました。その作業はなんだか楽しかったですね。小さい物語を、すこしずつちりばめるような感じでしたね。
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――最後に、今後のプロジェクトについてお聞かせください。
田代 九州と韓国の南を撮っていたのを中断していたので、それをまた再開したいと思っています。東北を撮っているあいだにも、竹島や尖閣諸島をめぐる領土問題が出てきたので、そういうことも踏まえつつ撮れたらなと。とくに国境を意識しないで、なだらかに連続する地域として撮っていたんですけど、いまからするとそういう領土問題への何らかの回答も含んでいたんだなと気がついた。東北での経験も、もちろん大きな糧になっていますね。(了)
(2013年12月4日 新宿にて)
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|書誌
『はまゆりの頃に 三陸、福島 2011〜2013年』
田代一倫著
装丁:鈴木成一デザイン室
菊判(225 ㎜ ×148 ㎜)
本体3,800 円+税
カラー488 ページ+ 別刷折込
ISBN 978-4-907497-00-2 C0072
里山社刊 http://satoyamasha.com/
★折込寄稿執筆=赤坂憲雄(民俗学)、伊藤俊治(美術史家)、
大島洋(写真家)、倉石信乃(写真批評・詩人)、中島岳志(南アジア地域研究・近代政治思想史)
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|プロフィール
田代一倫 Kazutomo Tashiro
1980 年福岡県北九州市八幡生まれ。2006 年、地元、福岡の高校生のポートレートを撮影した初個展「浮憂世代」(新宿ニコンサロン・東京)で第8 回三木淳賞奨励賞を受賞。2006 年より、福岡市にて、写真家自身で運営するギャラリー< アジア フォトグラファーズ ギャラリー> の設立、運営に参加し、自身の故郷を撮影した「八幡」のシリーズを継続的に発表。2010 年に活動の拠点を東京に移し、<photographers’ gallery>で作品を発表している。本作の連続展覧会(東京、大阪、福岡、福島で開催)で、2013 年さがみはら写真新人奨励賞を受賞した。
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|聞き手
萩野亮 Ryo Hagino
1982年奈良県生まれ。映画批評。本誌編集委員。立教大学非常勤講師。新刊共著に『アジア映画で〈世界〉を見る』(作品社)。
影山虎徹 Kotetsu Kageyama
1990年静岡県生まれ。愛知大学文学部人文社会学科西洋哲学専攻を経て、現在は立教大学大学院現代心理学研究科映像身体学専攻前期課程在籍。 ロラン・バルトのイメージ論を中心に、映像イメージについて研究している。