【Interview】『ホームレス理事長 ~退学球児再生計画~』阿武野勝彦プロデューサー インタビュー

Homeless_sub3   『ホームレス理事長』より ©東海テレビ放送 

からっぽな自分に、みんながいろいろなものを入れてくれる


——『ホームレス理事長 ~退学球児再生計画~』についてより知るために、いったん、阿武野さん個人についてもっと聞いておきたい気持ちがあります。確か、実家はお寺ですよね?

阿武野 寺の三男です。

——阿武野さんにはどこか、物事をひとつひとつ積み上げていく大切さをよく分かっていながら、同時にそれがいつ崩れてもいいんだと突き放すようなところが同居していませんか。最後はどうせ人はみんな死ぬじゃないか、みたいな。この人にはそれぐらいの精神があると勝手に思っているんです。

阿武野 「メメント・モリ(汝の死を記憶せよ)」とかね、最初に森達也さんに会った時に言われて、何を言ってんだろうこの人って思っていた程度なんですけどね。寺で生まれ育つことは、やはりどこか、特別な体験なのかもしれない。

土日になると法事してますからね。家に黒服の人たちが集まって、泣いていたり、棺を担いでいたり、葬儀屋さんが花を持ってきたり、下げたり。生まれた時から、それが日常風景でした。中学生ぐらいになると、お盆には棚経の手伝いで僧侶の父と一緒に檀家をまわりました。ひとの家のなかに入っていき、仏壇にお経をとなえてお布施をいただいて。

境内では、法事が終わると、檀家の子たちが、僕や兄のグローブやボール、バットを勝手に持ち出して遊ぶんですよ。「オレのなのに!」と言いたいんだけど、みんな寺にあるものは使ってもいいものだと思っているようで。僕と兄の野球道具なんだけど、でも彼等からしたら、一種の公共物なんですね。暴力団の葬儀もありましたね。親分衆がどうあれ、お堂の中で僧侶が最も強い存在になる瞬間を見ましたね。

以前は、寺の息子であったことが自分の精神構造に深く関わっていると考えたことは無かったんです。酒屋の息子だったなら酒屋の息子の体験があり、旅館の息子なら旅館の息子の体験がある。だから僕だけ特別なことではないだろうと。

しかし、意識してみると、公と自分の気持ちに早くから折り合いをつけなければいけなかったり、世の中の仕組みや力に対する考え方などは、早めにねじ曲がって育ったかもしれませんね。

——物事は立場によって意味が変わる。そういう表現を好まれることの一端が、とてもよく分かるお話です。一方で、またプロダクション・ノートのことで恐縮ですが、『ホームレス理事長 ~退学球児再生計画~』のテレビ版のOAのあと、練習中のビンタの場面は不要だと言われたことについて「余計なお世話だ」と書かれている。なんでこの人は、こんなことわざわざ書くんだろう! と思うんです。

阿武野 (笑)

——決して感情のままに書かれてはいない。ゲラ校正などで消せる機会はあるのに、残していますからね。

少しイジワルな言い方ですけど、これを読んで「そうだそうだ、表現の自由に圧力をかける輩は許せん」とすぐに乗っかる人、逆に「けしからん」と言う人、どっちも冷静に数を勘定するようなところがおありじゃないですか? むしろ、冷静だから書けるんじゃないかと。

阿武野 ああ、それはねえ……。今年の1月9日に55歳になったんですけど、僕の父は54歳で亡くなったんです。で、男だからでしょうか。父親の享年って気になるんですね。僕は、とにかく気にしてたんですよ。父の享年を越えるまで生きられるだろう、それまではがむしゃらにやってみよう、父よりも長く生きたら、まあ、いろいろ許してもらおうかと。だから、去年まではファイティング・ポーズを取り続けて、諍いを好むという感じでやってきたんです。

そうして父の享年を過ぎたので、やっぱり、もう少しホントのこと、お腹の中の底にあることを言ったほうがいいんじゃないかと思うようになりました。先日、松江哲明さんとお話していて、ドキュメンタリーをどんな気持ちで作っているのかというやりとりをしました。今までの僕なら、これは多様なものの考え方を世の中に提示するため、とか、なになにを構築したくて、とか、そういうことを言ってたと思うんですが、口から出たのは、どういうつもりもこういうつもりもなく、実はからっぽです、という答えでした。

考えてみれば、ディレクターをやっていた時は、からっぽな自分の中に、取材現場でいろいろなものを入れていただいて、それが溢れたものを表現してきたに過ぎなかった。今は取材現場にあまり出ないので、圡方監督、カメラマン、VE、それに、編集マン、タイムキーパーなど、スタッフみんなが(身体を指し)ここに入れてくれて、それがローカル放送だけでなく、もっと多くの人に見てほしい、という溢れ方になった時には、映画にしようよ、という風に。

父の享年を越えた1月9日を期して、そういうことをもう少し正直にしようと思ったんです。からっぽな自分というのも、さっき思いついたニセ占い師も、全部、本当の気持ちです。このプロダクション・ノートは、まだ諍いを好んでいた54歳の文章なんですよ(笑)。

——学生時代は、西田幾多郎などを読んでいましたか? あるいは道元とか。

阿武野 読んでいないですね。むしろ、エンツェンスベルガーや吉本隆明です。大学(同志社大学)では、どちらかというと暴力学生と呼ばれるような集団にいましたので。その時は、世の中はこうあるべきだ、こうではいけない、と差別問題や冤罪事件などについて考えていましたね。田舎から出て行ったら、物凄く勉強している友達と出会い、ワーッ、すげえなと圧倒されて。影響されて。

音楽の好きな友達もいて、作品のために音楽を制作してもらう時、これはホンキートンクですねとか、これはこういう楽器を使いたいですね、とか多少なりともですが、分かるのは、そういう友達と出会ったおかげです。学生時代、それこそからっぽな自分にいろいろなものを入れてくれる友達がいてくれたことで、番組制作の素地みたいなものが培われたんだと思います。ありがたいことです。

ああそうだ、哲学はあまりしませんでしたけど、児童文学はよく読んでいましたね。灰谷健次郎さん、今江祥智さんといった作家の作品論を卒論にしましたから。

——それを聞いて、非常に腑に落ちます。やはり阿武野さんは、文学的資質をお持ちだと。

阿武野 (笑)そうですか?

——両義的な表現について考える時、僕がいつも思い出すのはマーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』なんです。ハックは黒人のジムを奴隷商人の手から逃がすのですが、奴隷解放以前のアメリカではそれは重罪であり、宗教的にもタブーです。読者からすればハックのしたことは、勇気ある少年の良心に基づいた行為なのですが、ハック自身は「黒人を逃がす罪を犯した。おいらは地獄に堕ちる」とうなされるほど苦しみます。その複雑さに、阿武野さんがプロデュースする作品は近づいていると思うのです。

阿武野 いやあ、自分ならそれは耐えられないですね(笑)。

毎回、これが最後ですからって言いながら作っているんですけど。もう、ちょっと無理かもと思っていても、一緒に仕事をしているうちのスタッフが、ちゃんと現実と擦り合い、その体験を映像に残して、からっぽな僕の中に入れてくれて、ああ、これはなんとかなると。今はその繰り返しなんです。

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