【Interview】『ホームレス理事長 ~退学球児再生計画~』阿武野勝彦プロデューサー インタビュー

Homeless_sub5   『ホームレス理事長』より ©東海テレビ放送

「これは全部使うよ、使うべきだよ」


——ビンタのことが先行して話題になっていますけど、見た人がみんな唸るのが、山田さんが土下座してスタッフに借金を頼む場面です。

試写の席にポレポレ東中野の石川さんもいて、帰り道に僕が「あそこは長かったね!」と興奮していたら、彼があそこの場面は約10分、土下座のワンカットは約5分だったと教えてくれました。石川さんの感想でハッとさせられたのは、山田さんの頼みを断る時、圡方監督が「取材対象者に関与することで人生を変えてしまうことは、ドキュメンタリーとしては原則やってはいけないことなんです」と言っていた。報道としてでもなく、番組としてでもなく、ドキュメンタリーとして、でしたと。それで、これはおそらく、阿武野さんとスタッフとの間で、ドキュメンタリーについての共通認識が培われているのではないかと想像したのですが。

阿武野 ああ……、ないですね。僕は「貸せば良かったじゃん」と思いましたよ(笑)。

ただそれは、貸したのなら、貸したシーンを映像に出す、まるで貸さなかったのごとくに進めるのはダメですよ、が前提です。でも、金の貸し借りはそんなに重要なことじゃないと思ったら、土下座のシーン自体も使わなければいいわけで。圡方は、自分がテレビの報道マンであることで状況は変えてはいけないものだと思っていた。そこはあくまで彼の倫理観です。

僕はそうではなくて、お金を貸すシーンが重要ならば、貸しました、返ってきました、あるいは返ってきませんでした、を描けばいいという考えです。カメラを持って入っているんだから、すでに状況に関与しているんです。そこにカメラがあるのと無いのとでは違うわけだから。取材をすること自体が、取材対象をすでに変えている。そういう論理に立ちますが、これにはおそらく正解は無いですよ。貸すって人間もけっこういると思うんですけどね。

——今後、ドキュメンタリー映画史の語り草になるだろうし、現場でもひとつのモデルケースとして参考になっていくだろう場面です。自分ならどうするかとなると、かなり困りますね。

確かにカメラがあることで、その場の状況はもう変わっている。その一方で、インタビューの間の相槌も全て取るような演出もありますよね。つまり作り手の気配を消し、見る人が取材対象者を直接知るようなかたちにする。阿武野さんはディレクター時代、どうでしたか。

阿武野 テレビでは多くはそうじゃないですかね。アクシデンタルに作り手が画面に出てしまうことはあっても。いや、そうでもないかな。『進め!電波少年』の土屋敏男さんみたいに、僕も、取材者として革ジャン姿でズシズシ入っていったりしたこともありますね。

『ホームレス理事長 ~退学球児再生計画~』の、あの場面の場合は、たまたますぐにカメラをまわせる状態のなかで起きたことが大きいんです。

ワイヤレスのピンマイクを付けたまま理事長が自分の車にいて、「これから東海テレビさんにお金を借りようと思っています」と誰かに電話をしていた。それがロケ車にいるカメラマンの中根に聞こえていて、来るぞ、と。だから早い段階からスタンバイしていた。

だけど、どういう話なのか分からないので、カメラもまわしていいやら悪いやら。音声マンはこれはもう完全にまわしてないと思っていますよね。

中根カメラマンが冴えているのは、圡方の横顔をフレームに入れていることです。使う使わないは別として、ここでは関係性を見せておくんだと。動物的な勘かもしれないですよ。スッと撮っているところが見事です。

当初は、圡方はきれいに編集していて、自分の姿を切っていたんですよ。だけど「このシーン、全部見せて」と頼んで、モニターしてみたら、ああだったので。「これは全部使うよ、使うべきだよ。だって理事長の本気がこれだけダイレクトに分かるシーンは他にないもん」と言いました。

見ている人が理事長の気持ちになったら、凄く苦しい。でも、急にお金を貸してくれと言われる取材班の姿が現れたら、こいつは貸すのかな貸さないのかな、さて、自分ならどうする、とやはり苦しい。状況のなかで様々な感情が巻き起こる瞬間です。見る人は、自分をどっちの立場に位置付けるのか、烈しく浮遊することになる。取材するってどういうことかを考える人もいるだろうし。要するに、「ルーキーズ」には本当にお金がないんだと実感できる場面でもある。

なので、ここは全部露わにしましょうと。圡方はテレビマンですから、習性的に自分を消そうとする。作り手の気配が入ると画面を汚すと思っているし、視聴者にとって余計な情報になるという訓練を身体に叩き込んでいます。それをあえて「違うよ。お前を入れ込むんだよ」と。そういう形で構築しようと思いましたね。


「あんたの作るものは、物悲しいねえ」


——以前、阿武野さんも劇場公開のために家を抵当に入れることを考えた、と話されていました。確か、予算が正式に下りる前に宣材費などがすでに動いていた時に。

阿武野 ああ、確かに第1弾の『平成ジレンマ』の時はそういう覚悟でした。梯子を外すのが好きな人間って、いるんで。外された場合はしようがないですよね。幾らぐらいになると妻に話して。「だって、いろんな人を巻き込んじゃってる以上、会社が金を出さないってなったら、あれだよ。頼むよ」「へえ」なんてね。

——「いろんな人を巻き込んじゃってる以上」というのは、ズシンときます。山田さんの苦しい感じに通じませんか。あの人も、理事長としての責任で動いているというより、巻き込んでいると同時に何かに巻き込まれている。

阿武野 ええ、そうですね。巻き込んでいるし、巻き込まれている。

——リーダーとしては頼りないし、向いていないことをしている感じはビンビン伝わります。でもこの人には、これしかない。唐突なようですが、僕は千石イエスを思い出しました。「ルーキーズ」とイエスの方舟には精神的に近いところがあるんじゃないかと。

阿武野 僕はね、プロダクション・ノートにも書きましたけど、一番最初に、こういう退学球児の再生のような仕事をするのはこういう人だよ、こういう人じゃないとやらないよ、と思っているんです。

ある意味、山田さんが発見した仕事ですよね。ドロップアウトした子どもたちを上手に導いてあげる仕組みがない世の中で。金の問題がクローズアップされていますけど、実際には「ルーキーズ」があることで救われている子どもがいる。それがたった1人であっても、凄いことだと思うんです。

そういうものを初めて作る、そして担う人っていうのは、用意周到にお金を用意して、まわしかたも分かっていて、結果うまくいくなんてものじゃなく、「あの人、なんかわかんないけどやってるんだよね」と言われながら、乗り出しちゃうものじゃないかと。

実はこの人がパイオニアだと讃えられるのは、後からの物語であって、一番最初は、時代と闘ってしまうんじゃないですかね。齟齬が起こって、バカにされながら、それでもやり続けた人だけが最終的には道を切り拓いた人となるんじゃないですかね。

山田さんは、ドン・キホーテかもしれないですよね。サンチョ・パンサが何人もいればいいのかもしれないですけど。僕はむしろ、山田さんが切り拓いた道に沢山の人が智恵を出すようになり、北海道から沖縄まで各都道府県に「ルーキーズ」のようなチームがひとつずつ生まれたらいいと思っています。そういう存在があるだけで、多くの退学球児が救われるんじゃないですかね。

——お話を聞くと改めて、『平成ジレンマ』から始まった東海テレビのドキュメンタリーは、困難を自ら背負うような人物を描いてきたと思い至ります。信念のために清濁併せ呑んだ『長良川ド根性』の秋田漁協長になると、環境派ドキュメンタリーであれば悪役になるような人ですからね。こういう人が、阿武野さんとスタッフのみなさんは、お好みなのかと。男ですよね、いつもね。

阿武野 男ですね。女の人はなかなか……あまり無いかな。

——女の人は迷わないからじゃないですか?

阿武野 分からないからじゃないですかね。スタッフはだいたい男ばかりなので。女の人の本当のところは、分からないし、分かることができないから、かもしれないですね。たまたまそうなっていますね。突き詰めると理由はあるかもしれませんけど……。ただ、女性をドキュメントできるほどしっかりしていない(笑)。

——男としてですか? ドキュメンタリストとして?

阿武野 人間としてですね。女性をドキュメントできるほどの人間じゃないって感じですかね。

——男は、夢や理念と現実、組織の間で悩むでしょう。いや、男性みんながそうじゃなくても、そういう狭間で闘う男性は迫力があり、魅力的です。阿武野さんたちはそういう人物をよく描いてきた。だけど、女の人ってそこではあまり悩まないんじゃないかな。ギリギリのところで、私がイヤなものはイヤってハッキリしている。そういうドーンと開き直って腹を据えた女性ならば、それこそ今村昌平のように、魅力的なドキュメンタリーが作れると思いますが。

阿武野 ああ、分かった。毎日、家で女性のドキュメンタリー見てるから(笑)。もうお腹一杯になるほど見てるから、それはもういいよって思っているのかもしれないですね。一番面白くて、一番ままならないドキュメンタリーなので。

——奥様は、OAを見て感想をくれるんですか?

阿武野 ほとんど興味ないですね。「作ったよ」と見せると、「あー、ほんとだね」なんて言いながら、気がつくと横で寝てますから(笑)。「ああ、そう。つまんない?」って。凄く腹立たしい気持ちになります。

——そういう奥様だと、ホッとする面もありますでしょう。なまじ、あんまり夫の仕事に……、

阿武野 いや、腹立ってますよ(笑)。これは一番良かったねって言うのが、松川八洲雄さんが監修して、僕がディレクターをした1989年の『ガウディへの旅』。制作者としては、家では80年代で終っているようですね。

放送エリアに住んでいない母親にも、何本かダビングして送ったことがあるんですが、そしたら「あんたの作るものは、物悲しいねえ……」って。高齢の身体にさわるのもよくないから、送るのをやめました(笑)。

——でも、「あんたの作るものは物悲しい」は、阿武野プロデュース作品に対する、非常に的確で見事な批評だと思います(笑)。

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