「分かりやすい」という言葉に回収されたくない
——そこでお聞きしたいのが、いわゆる「共感」というキーワードについてです。戦後の教養主義の時代は、映画は「鑑賞」するもので「ためになる」かどうかが大事でした。現在は「共感できる/できない」が、ひょっとしたら「面白い/面白くない」よりも価値基準の上にあるのではないかとさえ思われます。しかし、『ホームレス理事長 ~退学球児再生計画~』の山田理事長のように、美しい理念に向かって底なし沼に飛び込むような複雑な場合だと、共感したと気持ちよく読後感を伝えられる人は稀になるでしょう。共感の価値がかえって、作る側と見る側を縛っているのではないかと思われるのです。どうお考えでしょうか。
阿武野 前にね、「共感」について書いたことがあります。だけど、いい加減なことに覚えていなくて(笑)。
テレビの世界ではよくある風景ですけど、番組を放送した次の日、廊下ですれ違った同僚に「分かりやすかったよ」と言われる。それが大嫌いだったんです。若い頃から、ああ、ダメだったと思っていた。そういうことだったかな。「分かりやすい」という言葉に回収されたくないんです。「分かりやすい」って、ずいぶん安っぽい感じがして。
テレビはどんどん分かりやすい表現に絡め取られていって、それが着実に僕たちの中に埋め込まれていく時代でしたから、なるべくそうならないように、分かりやすいものを作ろうと思わないようにしよう、とひねくれたんです。
共感というのも、その分かりやすさに近いんだけど、人間の感情のなかで、共感する能力はそれ自体非常に大事だと思うんです。それが見る人に喚起されたら、共有できたということですから、嬉しいものです。
ただ、共感できるものが一番いいものかとなると、そうは言い切れない。映画を観終わった後、とてもイヤな気分になったり、わだかまりを持ったり、心の中に重い石を持たされたようになったり。共感とはかけ離れた感覚になるにも関わらず、ずいぶん後になって、その映画のことを思い出して、ああ、あれはそういうことだったんだと気付くことがある。こういう時間軸があることがとても豊かなのだと思っています。その場で、即座に共感するだけじゃない、制作者と画面に出ている人たちと見る人たちの、作品を挟んで成立するコミュニケーション。
だから、そんなにすぐに反応しなくていいよ、と思ってはいるんですが、やはり共感したと言ってもらえるのは、それはそれで凄く嬉しいですね。
——テレビ版のOAの後には、「理事長の考えが甘すぎる」「土下座する暇があったら働け」「金策より、タバコやめろ」などといった批判が多く寄せられたそうですね。阿武野さんはこれに対し、あえて論争的に「随分失礼な人間が、いるものだ」と書かれていますが、実は僕は、これも正直な共感のあり方だと思っているんです。今は多くの人が生活不安定で、底が抜けていますから。でも「山田理事長を見て、まるで自分を見ているようでした」と言えるほどには客観的に居直れませんからね。だから、イヤな気持ちになったことをダイレクトに綴ってしまう。なんでこんなものをわざわざテレビで見せるんだと怒った人ほど、実はヴィヴィッドに共感した人なのではないかと。
阿武野 なるほど。それは初めて伺う視点です。
——それでも阿武野さんが反駁したかったのは、やはり、すぐに反応せずにもう少し咀嚼してほしい、ということですか。
阿武野 そうですね。東海テレビが流すドキュメンタリーは1年に2、3本ですが、地域のなかで、心して見ないとという雰囲気が生まれて来たのではないかと、最近やや感じるようになってきました。半分は批判的ですが見てくれる。良かったよと言ってくれる人のなかにも、実は腑に落ちないものがあるかもしれない。それでも見てくれる。こういうキャッチボールが東海地区では出来るようになってきたのかなと。支えてくれる地域があって、そのおかげで次が作れるし、放送できるんです。
さらに映画にすると、テレビの時間軸を超えていく能力を作品が持ってくれるので、放送という形で届かない地域には映画館で上映するという方法で、キャッチボールが出来る。そういうものにしたいなと思っています。
——期待度は作る度に上がっている。映画に進出してからは特にだと思います。プレッシャーに感じることはありますか?
阿武野 それは、無いですね。からっぽだから、プレッシャーは無いんです。
——「東海テレビの今度のはつまんないじゃん」と言われても?
阿武野 「あ、そう」って感じ。「何言ってんだ」と思うくらいで。作品を送り出す頃には再びからっぽになっていますからね。東京の試写で熱心な反応を貰えたらすぐ満たされて、凄くいい気分で名古屋にどうやって帰ろうかなっていうぐらいで(笑)。プレッシャーに感じることはないです。
だって、作品はディレクターのものですよ、根本的に
——先ほど、阿武野さんプロデュースの作品は、揺れながら闘う男を続けて描いていると言いました。これは書く側のクセみたいなもので、どこか作家論的に、一元的にまとめたい欲が出てしまうんです。でも今後、例えばあるディレクターさんが「ある市井のおばちゃんを撮りたい。ゆくゆくは彼女の明るさを伝える映画にしたい」と、今までのイメージとは違うものを提案してきたら、それはOKするわけですか。
阿武野 そうですね。それを狙いたいです、取材したいって言って来たら、どうぞ行ってくださいと。企画書いらないですからね。
——なのに、なぜ〈阿武野カラー〉が強烈に出るのでしょう。フシギです。
阿武野 僕のカラー……。それは、自分でも分からないんですよね。
たまたまプロデューサーになって、御神輿に乗せて貰っているだけという気持ちもあるし、でもある日、猛然とナレーション原稿を書いたりして……。
ああ、それはきっとこういうことです。スタッフを組んだ段階で、あまりナレーションが得意じゃないディレクター、または、現場の取材力はあるのに絵をつなぐのはうまくないディレクターなど、得意科目が違ってくる。そうなると、あなたはディレクターだからこの仕事を、私はプロデューサーだから、編集マンだからと仕事を閉じない。もともと、そんなに合理的には割れないですよね。組んだスタッフのなかで毎回、役割を伸ばしたり縮めたりしていく。
編集マンも極めて優秀で、構成を先回りして、「この人を描いたほうがいいよ」とか「こういう物語にしていくと間違う」といった提案をしてくるし、タイムキーパーは「この人、凄く不愉快な人に見える」とズバッと指摘をしたり、スタッフそれぞれが言いたいことを言いながら、互いの苦手な部分をカバーしたり刺激したりしながらやっています。全作品にプロデューサーとして関わっているのが僕だけなので、看板としてそう見えるのかもしれませんが、ひとつのカラーが生まれているとしたら、それはスタッフが変わっても、チームワークの結集の仕方が変わらないからかもしれませんね。
僕はホントにね、ニセ占い師なんですよ。カメラマンに「どう?」なんて声をかけて、こっそり聞き取りをしてから、ディレクターを「えッ、現場に出ていないのによく分かりますね!」と驚かせるようなことを言ったりしますから(笑)。
——そうやって韜晦されますけど、頭領の器量は確実にお持ちですよね。「次郎長三国志」の清水次郎長も、実は一家を構えた後はほとんど何もしない人です。森の石松や大政小政が、「親分ならどう言いなさるか」「こんなことじゃ親分に叱られる」と勝手に忖度しては動く物語です。
阿武野 はあ……。(配給協力の東風・渡辺祐一さんに)圡方なんか、僕は局内で凄く怖がられているって言ってたよね?
東風・渡辺 「阿武野さんはとても偉い人だから、みんな緊張する」そうです。
阿武野 「誰かドキュメンタリーやりたい人」って声かけても、誰も手を挙げませんもん。なんでだろうって訊いたら、「なんかグリグリやられそうだからって言ってますよ」。
——制作過程などで、大声を出すことはありますか?
阿武野 そういうことはないですね。編集が出来たら、まずは必ず労いますよ。「いやー、ご苦労さん。いいね!」 その後でグチュグチュ、グチュグチュ……(笑)。「じゃあ、そういうことで。中華がいい? え、焼肉?」(笑)。節目節目で、みんなで食事してビールを呑む、グチュグチュ言ったのを許してねの会を開いて。
言ったことを全く尊重してくれないスタッフもいますし、尊重してくれなくて良かったな、と思うこともありますし。何が何でも自分の思い通りにしようとは思っていないんです。
——ああ、では、スタッフが自分のやりたいことに向かってまっすぐ走ってくれるのが本望?
阿武野 そうです、それが一番です。『ホームレス理事長 ~退学球児再生計画~』では「山田理事長を追ったら、違うものが見えるんじゃない?」と別の視点の置き方を言っただけですし、08年の『裁判長のお弁当』では「お弁当を撮ってきてよ」とお願いしただけ。大体、そういうことです。
——スタッフが存分にフルスイングしてくれたら、俺の考えとは違うな、というものになってもいいわけですか。
阿武野 それは全然いいです。だって、作品は、ディレクターのものですよ、根本的に。現場の空気も、現場の人間関係もプロデューサーは知らないわけですから。
撮れている映像素材のなかだけで世界を構築しようとする編集マンと、グリグリ、ギシギシやってもらって。僕はそこで出てきたものを見て、この時代って何だろう、というものが見えているか、自分の心が震わされるものになっているかを見たいだけです。
ああ、でもね、去年『熱中コマ大戦~全国町工場奮戦記~』という番組も同時期に作ったんですが、これが、初めてドキュメンタリーを演出するディレクターでね。やっぱり「あの人、いいものを作るんだね」とまわりが言ってくれるようにしたいから、初めてで分からない部分については執拗に教えました。声を荒げたことは無いなんて、嘘をついてしまったなあ、55歳になっても(笑)。
この番組は結果的には非常に評価が高くてね。ディレクターも映画にしたいという気持ちになったと思いますが、取材の仕方、深さが違うので、長編に出来るだけの素材は無いんですよ。
——評判が良ければ映画にする、と単純に進められるものではないんですね。
阿武野 どっちがいい悪いでは無いんですが、これは映画にまでしてお金を払ってもらってでも見に来てほしいもの、家で横になったりリラックスして見てもらうのがふさわしいもの。違いは、あるような気がしますね。
——そういう意味では、『ホームレス理事長 ~退学球児再生計画~』は、映画館に出かけて2時間+移動時間を費やす、そういう能動的な見方によって、より濃密な体験が出来る作品だと思います。
長時間、ありがとうございました。
【作品情報】
『ホームレス理事長 ~退学球児再生計画~』
(2013/HD/日本/110分)
プロデューサー:阿武野勝彦
音楽:村井秀清 音楽プロデューサー:岡田こずえ
撮影:中根芳樹 音声:栗栖睦巳 効果:久保田吉根 TK:河合舞
編集:高見順
監督:圡方宏史
制作・配給:東海テレビ放送
配給協力:東風
公式サイト http://www.homeless-rijicho.jp/
2月15日(土)より、ポレポレ東中野ほか全国順次ロードショー
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