【Interview】『ホームレス理事長 ~退学球児再生計画~』阿武野勝彦プロデューサー インタビュー


Homeless_sub1                  『ホームレス理事長』より ©東海テレビ放送

しっかりしていなくても、それでも生きていくんですよってことです

——では、『ホームレス理事長 ~退学球児再生計画~』について具体的にお聞きします。

編集に、相当悩んだんじゃないかと思うんですよ。僕がもしも関わっていたらと想像するだけで、ゾッとします。逃げ出すか、頼むからやんちゃだった子たちが野球を通して再生するストーリーにしてと頼むか、どっちかだと思いますね。特にあの、野球を続けたいのか続けたくないのかなかなかハッキリしない小山君。球児側を彼に絞るという判断はそら恐ろしいです。わざわざ隘路に足を踏み入れるような作り方ですから。

阿武野 それはね、圡方の変態性ですよね、きっと。普通はあの子にいかないでしょ、ただでさえ得体の知れない理事長の動きを追っているのに、もう一人、ままならない人物を追うことはないでしょう。取材する力と描きたいものが相当に無いと、小山君の取材はしないと思うんです。一番分かりにくいですもん。

実際には目に見える成長というか、ゼロが100になるような姿も求めていますけど、そういう物語は考えてもみれば、冒頭のシーンと終盤のシーンで充分なんですね。彼らが現実に野球を続けていることで、自ずと描けるので。

それよりも、もっといろいろな子どもたちがこのチームにいて、行きつ戻りつしている。ある種、漂流するようなところに「ルーキーズ」という筏があり、その筏に流れ着き、また離れていく……そういう子どもを描こうとしたこのスタッフは凄いなあと、僕も思いましたね。

——そこは阿武野さんのサジェスチョンではなかった。

阿武野 全く違います。「なんでこの子なの」とは直接は言いませんでしたが、いやだねまた、やめてよもう……と思っていました。え、この子、チーム戻るの。退めるの? また戻るの? 分かりにくいにも程があるよねって(笑)。これはもうひとえに、現場の取材力、圡方とカメラの中根(芳樹)、それに編集の高見順の底力です。

——どうしてフィーチャーされているのがこの子なんだろうって、見る人の多くは首を傾げると思うんですけど、でも、彼のハッキリしないところが「ルーキーズ」という団体の、理念と現実にズレがある姿の鏡になっていますね。

阿武野 ええ、そうですね。

——だから、山田さんという縦軸と小山くんは、実は見事に対になっている。何百時間もあるテープをまさぐりながら、その構造を見つけるまでが凄いなあと。その苦吟は、想像を絶するんですけどね。

阿武野 小山君を一方の主人公として描くことで、「ルーキーズ」の懐の深さをも表現できていると思っています。子どもの再生と言っても、そう簡単にできることではない。しかし、この子が行きつ戻りつしていることを許す、そういうチームですよってことが、「ルーキーズ」の性質や、ある意味での大きさを表している。それが、山田理事長がどうにも頼りないのにチームは維持されている、その姿とうまくリンクしているんじゃないですかね。

——山田さんはあれだけ頑張っているのに、なぜか頑張ってるように見えない。そこをよくよく考えてみると、ひょっとしたらこの人は、お金のことを考えたくないからいつも金策に出ているんじゃないか……と思えます。毎日、一口、二口を募るのに奔走している間は、今年はどうする来年は、と考えずに済むし、ミーティングにも顔を出さずに済む。自分にもそういうところがあるから、分かる気がするんです。なにか、山田さんのそういう弱さも、実は小山君の腰の定まらなさとつながっていますね。

阿武野 みんな何かこう、しっかりしていないかも知れないけど、それでも生きていくんですよってことですね。それを知ることは、大事なことだと思います。

放送の世界ではそれがどうもあんまりフィットしないというか、許されなかったんですけど。でも、現実はこういうことですよ、と言いたいんです。

——池村監督が、自傷行為をした小山君をビンタする。あの場面があることでこの映画が「問題作」になっている点自体については、なぜか、僕はあまり伺いたいと思いません。かえってこの映画の本質から離れる気がしているのか。ただ、池村監督は野球人生のバックボーンに、かつて甲子園にチームを導いた成功体験がある方ですよね。

阿武野 そうです。

——弱いままでは社会に出てもその弱さで失敗してしまう、強くならなければいけない、と信じ切れている方。だから、そういう人が成功・失敗以前にはねられた子どもたちと付き合う難しさを思って、僕は少しヒヤヒヤするんです。まるで『平成ジレンマ』パート2のように思えてくるというか。その、監督が成功体験を持つ大人だという点は、ポイントになると考えましたか?

阿武野 あまり、そこは考えなかったですね。子どもたちに対して、お前らもっとしっかりしろよ、と厳しい態度で臨んでいたと思いますけど。

しかし池村監督も岡山の高校で、いじめ問題から部員を殴って逮捕され、野球界から追放されています。「ルーキーズ」は彼にとっても再生の地なんです。自分の挫折の部分を投影しているという風に思っていました。

それに、最終的には訣別はしますが、池村監督を招いたのは山田理事長です。池村さんが監督をするのなら社会人リーグには加盟できないよ、と言われるのを何とかかいくぐらせてしまう、そういう能力が理事長にあったわけで。新たにチームを任せてもらえることに感謝の念を持っていましたから。むしろ池村監督は、成功体験ではない形で動いていたと思いますね。

ビンタのシーンは、「ルーキーズ」が野球を指導するだけの団体ではなく、思春期に迷う彼らと教育的に向き合うチームでもあるのだということが、明確に出ているシーンだと思います。

——しかしリストカットのような現代の自傷行為には、一概には言えませんが、鬱積した感情を外に向けてぶつけられない繊細な性質の子がそれを自分自身に向けてしまう場合が多いと聞きます。リストカット=自殺未遂と監督が直結して捉えて、カッとなったのだとしたら、それはいささか理解不足ではないかと思えるのですが。

阿武野 監督は、そこも分かっている上でビンタをしたのだと思っています。監督はあそこで「お前、これは一度や二度じゃないな」「脅したんだろ、親を」というやりとりをしていますからね。

——ああ、そうか。

阿武野 しかも監督は、殴り方というものを知っている。こんな風に殴ってしまうと鼓膜が破れる、あるいは、こんな殴り方をすると鼻血が出て怯む、などが分かっていて、ちゃんとそこを避けています。戸塚さんと同じように。『平成ジレンマ』の時、体罰と暴力について尋ねた時、戸塚さんは「殴り方が分かっているか分かっていないかです」と答えました。ですから、ああ、監督は殴り方を知っている人だと思いました。

——カッとなって手を挙げたわけではない?

阿武野 あれは、カッとしてではないと思いますね。

——そうですか。それはお聞きしておいて良かったです。

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