出演者と監督の共犯関係
太田 若木さんはインタビューの時、ビックリしたんですけど、これが太田でこれが壮太、みたいなペットボトルのキャップで作った模型を持ってきてくださって。それを使って、僕らの関係について話をしてくれました。
若木 ええ、僕なりにぼんやりと解釈できるところはあったんだけど、今の金子さんの話を聞いて、被写体―撮影者に留まらない、ある共同関係があったんだなということは、より明確になりました。
ただ、そうなるとね。増田さんは一種の地元のカリスマ。メジャーデビュー寸前までいった人が高校の先輩だったら、普通に考えたらメチャクチャかっこいい存在でしょう。地方の街の男の子のリアリティなら。だから、そんなホームタウン・ヒーローを後輩が撮るってことになって、前半はどこかやはり、少し増田さんにリードされているところがあったかな。
太田 そうですね。気をつかったり。やっぱり先輩、っていうことで。
金子 そこに蔵人を連れてきたのは、太田君の企図なんでしょう? 元々、増田さんと蔵人くん知り合いじゃなかったわけですから。映画のために蔵人くんを連れてきて、共犯関係を作ったっていう。
太田 最初は引っ越しで誰か後輩連れてこいって言われて、まあ、ちょっと鬱々と2人で引っ越しするのもイヤだなと思って。ああいう性格の彼を連れて行ったら、2人が盛り上がっちゃったんです。「音楽一緒にやりましょうよ」みたいな感じで。もう、全然対極だと思っていたんで。蔵人くんは実験的な音楽をやっていたし、増田君はメジャーになりたいっていう。そんな2人がなにか新しいものを生み出そうとしている。これは映画になるんじゃないか、というのはその時に初めて思いました。
若木 僕が見ていてキツいなーと思ったのは、むしろその、蔵人さんと壮太さんの関係でね。それは太田さんも交えてなんだけど。ある強烈な存在の先輩がいて、その先輩ですら、バーンとスポットライトを浴びることが出来なくて悶々としている。それで、身近にいる後輩のタンバリンの叩き方なんかに、グルーヴが無いとかダメ出しせざるを得ない。このキツイ関係。蔵人さんは「うーん」ってなっちゃうでしょう。でもあれ、「うーん」ってなるしかないんだよね、あんなこと言われたらね。
あの、20代前半の感じがもう分かり過ぎる位、分かる。僕も通り過ぎてきた道ですから。なんとか生き延びてきたと言ってもいいな、そこに関しては。周りがどんどん斃れていきますからね。斃れるって、田舎に帰るとか、急に普通に就職決めちゃうとかの意味ですけれど。なまじクリエイティブに生きようなんて思ってしまった人間が味わう地獄を見せていますから、この映画は。夜中の「パソコンをMacに買い直せ、そしたらお前はもっと人に信用される」ってところなんか、メチャクチャだもんね、言ってることが。でも、僕たちもあんなことを言ったり言われたりしてきたから。いや、俺がね。そこがもう、見ていて切なくて。
蔵人さんが天龍村に引っ越して、そこで彼女も出来て、違う環境が生まれて。Skypeのシーンはひとつのヤマ場だと思います。「お弁当、貰っちゃったんですよ」って話す蔵人さんの明るさが、どこか自分の先が見えた明るさっていうのかな。俺は大体こういうもんだっていう足場が見えてきている。自分の身の丈が分かった人間の方が強いからね。なんというか、僕は結局、売れない物書きのまんま40代半ばを過ぎておりまして。結局、この歳になると売れなかろうが仕方ないですからね、続けるより。そう開き直れるんですけど、20代30代が開き直るのには本当に時間かかるから……。すみません、いつのまにか自分の感想になっていますね。
金子 少し話が脱線しますが、樺太にニヴフ族、北海道にアイヌ民族という先住民がいますが、北方少数民族の死生観がどうなっているかというと、人間が亡くなるとこの世にそっくりのあの世があって、生前とまったく同じ姿で家族や友人がいるあの世へ行くんです。そして、たまにあの世のいる人たちが獣の皮をかぶってこの世へおりてきて、熊や鹿などの食べ物になってくれるという考え方です。ニヴフやウィルタ族やアイヌの人たちは狩猟民ですから、その生き物を殺して食べる。アイヌに「イオマンテ」という熊送りのお祭りがあります。若い小熊を山からつかまえてきて、すごくもてなして美味しいものを食べさせて育て、お祭りの時に殺してその血肉を人間が食べます。文明人がそれを見ると、なんて残酷な祭りだということになりますが、そうじゃなくて、アイヌの人たちは亡くなった家族や親族や友人の魂が血肉となってあの世からおりてきて、それを自分たちが直接食べさせてもらえるから生きているんだ、それが自分の身体の一部になっているんだということを知っており、それに感謝するから、もてなしてからあの世へ返してやるお祭りなんですね。
どうして、このような突飛な例を出したかというと、僕はこの映画を見て、少数民族と熊の関係に、太田監督と増田壮太さんの二人の関係をパラレルに見るからなんです。映画のパンフレットにも書きましたが、この映画が特別であるのは、増田壮太という人が……命を懸けてあの世から、この銀幕に毎日毎日戻ってきている。その特別な力がこの映画を「特別」にしているんだと思うんです。そしてまた太田君は監督として、その増田君の力を食べてね、その力を映画にすることができたから…。きっとね、亡くなった増田君も、作品をつくってくれて良かったと言っていると思います。……すいません。若木さん、ちょっとフォローして。
若木 あ、はい。理論派でいつも冷静な男なんですけどねえ。滅多に見られない金子氏の涙です。
さっきもね、ロビーで待っている間、エンディングの「僕らはシークレット」を聴きながら、やっぱり何回聴いてもこの曲はいいねって言ってたの、2人で。なんでデビューできなかったのかね、なんて。
ただ、難しいよね、僕も他人事じゃないけど「メジャーデビューできなきゃダメだ」ってことに増田さんも縛られていたよね、どこか。タワレコみたいなところにCDが並ばなきゃいけないんだっていう苦しさが、彼を追いつめていた所はあったかな。蔵人さんは映画で、自分は「ハードリスナー、オンリーリスナーでいいんだ」と言っている。それだって〈NO MUSIC NO LIFE〉じゃないかって。それももちろん良い生き方ですからね。僕も、売れない、売れないってグチりながらもチョコチョコと、別に人気ライターにならなくても生きている訳ですから……。
金子 若木さんは、いわば蔵人くんの20年後の姿ですよね。
若木 僕を例えたら蔵人さんに悪いよ! でも実際、納得のつけ方は人それぞれだと思うんです。増田さんが焦がれて望んだものを否定するわけにもいかないしね。増田さんは増田さんで、俺の才能に見合った場所がメジャーなんだ、という高い目的意識を持っていたから頑張らざるを得なかった、とは思っています。
太田 昨日、蔵人くんが移住する天龍村での人が見に来てくれたんです。過疎の村なので空いた土地がいっぱいあって、それを村の事業で活用して、畑として作物などを育てている方で。彼も元々はミュージシャンの道を目指していたみたいなんですけど。彼の話では、信号機もコンビニもビルもない村なので、朝5時に畑に出ると、人も誰もいないシーンとした中で、虫の音色とかがもう音楽に聞こえてきて、それがもう、これ以上の音楽はないんじゃないかという程らしくて。
だからもっと、色々な音楽のあり方があってもいいのかな、と。青春で誰もが挫折を味わう、というのは分かるんですけれど、成功を目指して東京に来て、負けて、という姿だけが、そのドラマのモデルなのはあまりに窮屈だと思うんです。それを映画を観て下さった皆さんそれぞれの中で模索してもらい、僕も模索しながら映画を続けていきたいと思っています。
若木 太田さんは毎日ここに来ています。ポレポレ東中野に。そして、お客さんと対面しているんですけれど。さっき、まだここでは1回も観ていないと言っていましたね。
太田 そうなんですよ。
若木 タイミングの問題? それとも気持ちの問題?
太田 やっぱり、気持ちもありますね。うん……。何回となく家で編集しながら観てたので、もちろん試写をここでやったときは観ましたけれども、なんかもう、これ以上は皆さんに委ねたいなと思っています。
若木 アハハ、はい。でもね、作り手の思いもよらないところで笑いが起きたりするんですよ、客席では。
太田 ああ……。
若木 例えばさっきの、壮太さんと蔵人さんのナチュラルにとぼけた会話とかね。何気に吹き出しちゃう所がありますんでね。せっかくなら勇気を出して一番後ろの隅っこにでも座って、お客さんと一緒に観てみるといいんじゃないですか?
太田 そうですね、ああ、ここは笑ってもらえるんだ、とかはあるかもしれないですね。
金子 増田さんが27歳で亡くなったって、あまりに早すぎるけれど、最近ひとを見送ることが多くなってきたから、亡くなった年齢がその人の寿命だったと思えるようになってきました。僕は物理的にも精神的にも、「わたしがひとつの個体である」という通念に違和感があります。わたしたちは毎日皮膚の細胞が死に、新しい細胞に生まれ変わり、様々なことが外の環境から入ってくる存在です。まわりの環境の中にたまたまポッと突出している個体に過ぎないのであって、それが求心力を失って個体として死んだとしても、灰になったとしても、わたしたちを構成していた物質は決してなくならない。原子や分子のレベルでみれば、形態は変わったとしても、地球上に必ず亡くなった人の物質が残るんです。
この映画のタイトルが「わたし」でなく「わたしたち」ということの意味を、そんな風に考えることもできる。そのかつては人の姿をとっていた粒子みたいなものが、上映のたびに毎回毎回スクリーンへと映ってきて、その場に立ち会っているということが起きているんじゃないか。そのように考えると、映画の登場人物三人にとっての「特別な時間」は終ってしまってけれども、この一回一回の上映こそが「特別な時間」なのではないかと考えながら、この映画の3回目を体験していました。
若木 スカッと気持ちよく帰れるタイプではない、ちょっと精神的に重たいものを持ち帰ってもらうことになる質の映画ですが、それもこの映画の役割なのだとご理解ください。気にいらなくてもね、不満を人に言うっていうのもまたこの映画らしい伝わり方だと思います。よろしくお願いします。どうもありがとうございました。
太田 質疑応答などできませんでしたので、ロビーでお話を伺えたらと思っています。ありがとうございました。
『わたしたちに許された特別な時間の終わり』
(2012/日本/HD/カラー/119分)
製作・監督・脚本・撮影・編集:太田信吾
11月29日(土)より横浜シネマジャック&ベティ 、12月13日(土)より第七藝術劇場/京都・立誠シネマプロジェクト、兵庫・神戸アートビレッジセンター、広島・横川シネマ、愛知・名古屋シネマテークほか全国劇場公開
【登壇者プロフィール】
太田信吾
1985年長野県生まれ。早稲田大学の卒業制作作品『卒業』(09)がイメージフォーラムフェスティバル2010で優秀賞・観客賞を同時受賞。また2009年からは俳優としてチェルフィッチュの活動に参加。2010年『三月の5日間』香港公演で初舞台を踏み、以後国内外での公演に出演するなど、舞台と映画を横断して活動中。劇場公開処女作『わたしたちに許された特別な時間の終わり』(13)は、山形国際ドキュメンタリー映画祭2013アジア千波万波部門に選出。
若木康輔
1968年北海道生まれ。本業はフリーランスの番組・ビデオの構成作家。07年より映画ライターも兼ね、12年からneoneoに参加。
金子遊
映像作家・批評家。neoneo編集委員。