【Interview】その男、人間か妖怪か~36歳、独身契約社員が抱く「超・途方もない夢」―『加藤くんからのメッセージ』綿毛監督、“主演”加藤志異氏インタビュー

主演 加藤志異氏 

内緒で行った、「人間としての加藤くん」の撮影

――その中で人間に向き合いだしたと言いますか、たとえば、学祭のパフォーマンスなどを撮りだしたのはいつぐらいからですか。

綿毛 撮影の半分が終わってからですね。加藤さんとずっといると、加藤さんの自己主張で終わってしまうと改めて感じまして。それで、加藤さんのまわりの人とか、一部は加藤さんに内緒で撮影を始めました。

――あ、内緒だったんですか。

加藤 内緒でした。僕、何も知らなかったんです。

綿毛 『加藤くんからのメッセージ』はイメージフォーラム・フェスティバルで上映したんですけど、加藤さんはそこで初めて、観客と一緒に見たんですよ。それまでは、一切見せませんでした。怒られるかなと思いましたが、加藤さんは見終わったあと、「綿毛さんありがとう!」って言ってくれて。観客の受けがよかったというのもあると思いますけど、それは嬉しかったです。やっぱり、加藤さんは優しい人だとは思いますね。

――あえてお聞きするのですが、なぜ、内緒で撮っていたんですか。

綿毛 最初に申し上げましたように、加藤さんは気が小さいんですね。人の視線をすごい気にしていて。だから内緒で撮っていることを加藤さんに言ったり、その映像を不意に加藤さんが見せたりしたら、加藤さんは夜も眠れなくなっちゃうなと思いまして。

加藤 それはあります。超小心者だから(笑)。逆に演説とか、妖怪活動をしているときは無心になって、雑踏の中でも語れたんだけども…。

綿毛 今もねえ、映画、これから公開するじゃないですか。夜も眠れないぐらい心配だと話してきて。観客席がガラガラになることを想像しちゃって、心配でいてもたってもいられないって。綿毛さんと二人で、誰も客がいなくてトークショーとか、切ないなあって。いっぱいねえ、やっぱり来てくれるのかなあとか、心配なんですよね。

――でも、共通の知人とかいるわけじゃないですか。加藤さんはその人たちを介して、勘づいていたりはしなかったんですか。綿毛さんが自分に内緒で、回りの人間を取材しているらしいことは。

加藤 直前にちょっとだけ、そういう噂を聞いたんだけど、ほとんどわからないままでした。でもやっぱり、映画は面白かったですね、僕が求めている妖怪の映像とは全く違ったんだけど、綿毛さんは凄く僕のことを思って撮っていることが伝わったから。でも、こんなに人間的なのを撮られるとは思わなかったですね。知り合いからは、めっちゃ人間らしい、もうこんなに人間くさい人の映画は見たことがないって言われて。だから僕は、妖怪になるためにはもっと精進しなければと。もっと精進して、この映画を超えていかなきゃなと思いましたね(笑)。

――じゃあ、自分に隠れて綿毛さんが撮っていても、そのことに対して否定する気持ちはなかったと。

加藤 無いですね。それはもう、綿毛さんの作品だから綿毛さんが自由に作ることですし。それに、結局僕は被写体だから。

――今のお話を聞いていると,綿毛さんとしては、妖怪活動を通じた加藤さんの「人間」としての生き方に興味がおありだったのかな、という感じがするのですけれども。

綿毛 加藤さんに興味があったというよりかは、その外にいる観客の人たちを意識して編集を行っていたんですね。私の身近なところに引きこもりの人とかいるんですけど、何か自分の中で抱え込んでなかなか外に出られない人に、『加藤くんからのメッセージ』を見てほしいという思いがあったんです。だからこの映画も、劇場公開をしたいというよりも、むしろDVD化して、販売やレンタルをしたいという気持ちが強くて。あまり劇場に足を運べない人とか、「生きづらさ」を感じている人たちに観てほしいと思っていました。

加藤さんは、多分世間的に見れば「成功している」人ではないと思うんですけど、でも加藤さんを慕って、加藤さんに近づいてくる人は結構いて、それはすごいと思ったんですよね。ひとりで悩んでいる人に、加藤さんの姿を見てほしいって思ったんですよね。

映画『加藤くんからのメッセージ』より©綿毛

加藤さんの「プライバシー」に踏み込むということ

――作品の中で、加藤さんがご両親にご自身が妖怪を目指すことを打ち明けるシーンがありますけれど、それは結構、個人的な問題ですよね。第三者から見れば、いきなりカメラがでてきて「なんだこいつは」といったことにもなるかと思うのですが、そのあたりの経緯と言いますか、加藤さんの個人的なところに綿毛さんが踏み込むことについての思いについて、お聞きできればと思います。

綿毛 経緯については、会社で夏休みをもらったので、それを利用して、まず養老天命反転地のシーンを撮ろうとなりました。それで、養老天命反転地に行くなら岐阜にあるので、近く、愛知に住んでいる加藤さんのご両親に会おうと思ったんです。加藤さんは、これだけ東京で「妖怪になりたい」と公衆の面前で叫んでいるわりに、お父さんお母さんに「妖怪になりたい」という夢を話してなかったんですよね。行く前に、お父さんが癌を患っているということがわかったんですが、ご両親に言わないと、と思ったので加藤さんを説得したんです。

加藤 父が癌となったときに、僕はもうやめようと。やはり、こういう状況でのインタビューはすべきじゃないんじゃないかと綿毛さんに言ったんですが、ここでやらなければ、あなたは妖怪になれないとすごく言われまして。そこで、行ってみたら両親とも温かく迎えてくれて、全然取材も受けてくれて…。

綿毛 でも、加藤さんが、愛知の病院で直撮りしている部分があるんですよ。「お父さんが癌になりました」という独白。また、自分で空を撮っていたりもして、映像という形で、人に見せる気持ちはあったのかなと。

加藤 いや、それは父親へのインタビューではないからね。単に病院を撮っているだけで。でも、父に生きて欲しいとは強く思っていたので、その思いをそこで、ちょっとだけ語りました。父は結局、2012年に亡くなりましたけど。

でも、父に話せたことは本当によかったと思います。僕はこれまで、父とちゃんと話したことがほとんどなくて、遠い存在だったんですよ。でも、ここで初めて、父という存在に向き合えた。多分父は妖怪のこととか全くわからなかったろうし、聞いていても掴みきれない部分も多かったと思うんですよ。それでも、自分が何かの思いを持っているということは、わかってもらえたんじゃないかと思います。父は、本当に穏やかに受け入れてくれたので。

――なるほど。一方で綿毛さんは、お父さんが癌だというところで撮影に臨むというのは、相当なハードルではありませんでしたか。

綿毛 いえ、全然ハードルに感じなかったですね。もうその頃になると加藤さんとは、撮影以外のときは友人として接していました。ご両親にも、加藤さんの友人のひとりとしてお会いした感じが強いですね。あとはもう、撮らなくてはという使命感みたいなものもあったので、そんなにビビってはいなかったですね。

加藤 僕はもう、ものすごいハードル高かったけど(笑)。

――綿毛さんは現在でも、加藤家との交流はありますか。

綿毛 お父さんがお亡くなりになった時は、弔電を送りました。また、映画の公開が決まったときはお電話をしたりと、交流は続いています。監督というよりは、お友達という印象がご両親にとっては強いかなあと思うんですけど。

――加藤さんのお母さんに対して、加藤さんのいない時にお話を聞いたりしていますけど、それはすんなりと、うまくいったのでしょうか?

綿毛 すんなりでした。

加藤 だから、綿毛さんがすごいのは、普段は結構人見知りなんだけど、撮影するときには初対面の人にもバンバン質問していて、そういう底力のようなものだと思います。ドキュメンタリーを撮る人にとっての、必須の能力みたいなものがあるのかなあと。

――実際に映画内においては、お母さんであったり、仕事先の方であったり、普段仲良くしている友達であったり、「加藤くん」という人間を理解するためのポイントを、すごく掴んでいる感じがしました。撮影を行う過程で、ここまではやりたいとか、こういうところは押さえておきたいとか、決めごとのようなものはあったんですか。

綿毛 決めごととは少し違うかもしれませんが、私としては、加藤さんと仕事をしている人とか、加藤さんと昔から付き合いがある人とか、「等身大の加藤さんを知っている」人と話をしたいというのはありました。また、一方で加藤さんが自分を慕う人を集めて、「妖怪百物語」っていう、自分の過去をひたすら話す会をやっていたんですけど、私はそういうのに1ミリも興味がなかったので、10分くらいで帰ってしまって(笑)。

加藤 妖怪に興味がないってことじゃない(笑)?

綿毛 妖怪に興味は…ないですね(笑)。やっぱり自分としては、加藤さんを通じてにはなるんですけど、カメラの外にいる一般の人たちに、伝えられることがあるんじゃないかと。それを信じて撮っていったという感じですね。

▼Page3  絵本の出版という事件 に続く