【連載】原一男の「CINEMA塾」傑作選〜 テレビ・ドキュメンタリーの青春②〜 原一男×村木良彦×芹沢俊介 第2回 上映後 芹沢俊介の講演

この日の上映作品「クール・トウキョウ」(1967 演出:村木良彦 TBSオンデマンドで配信中)

三島由紀夫と寺山修司1 偶然性と必然性

で、三島由紀夫と寺山修司というところに絞って、少しずつお話してみたいのですが。実はですね、三島由紀夫と寺山修司はですね、くり返しますけども三島さんは1970年11月に割腹自殺をするわけですね。自衛隊にのりこんでいって割腹自殺をするんですけども、寺山さんはそれから13年後にガンでなくなるわけです。その寺山さんと三島さんがですね、三島さんの亡くなる年に対談しているんですね。この対談が非常におもしろい対談です。三島由紀夫と寺山修司というのは正反対なんです。それで、今日みなさん何本かご覧になったわけですけれども、村木さんの作品はむしろ三島よりも寺山的な感受性に非常に近いところで作られていることを申し上げることができるんではないかと思うんですね。のちほど村木さんの作品については触れるみたいですが、三島と寺山の対談がどんなふうに行われたかということをちょっとご紹介してみたいと思います。

三島由紀夫も寺山修司もすごく演劇が好きだったんですね。寺山修司はもちろん劇団天井桟敷を率いていたわけです。三島由紀夫は劇団こそ率いなかったんですけど、早い時期から、現在もありますけど文学座という劇団とかかわって、そこにいくつかの戯曲を書いたり、それから歌舞伎の台本を書いたりですね。それから文学座が三島由紀夫の作品をきっかけにして、『喜びの琴』という作品が文学座のために書き下ろされたんですが、その作品をめぐって文学座が割れるわけです。分裂するわけです。文学座から何人かの俳優さんたちが出て、「雲」っていう劇団を作っていきます。

いまテレビ出ている人で山崎努という名優がいますが、それをきっかけに「雲」に移っているわけですね。それから、もう少し年輩の方でいえば、岸田今日子、仲谷昇といった人たちが、もう亡くなってしまいましたが中村信雄さんだとかですね、そういう方がそれをきっかけに文学座を出て「雲」っていうのを作っています。もう「雲」もなくなって、別の劇団に解消されていってしまうわけですけれども。三島さんというのは、そのように演劇の面でも何かと話題づくりをしてきた人です。そのふたりが対談するわけです。ふたりの演劇観は正反対なんです。そこが非常によく出ている。それだけじゃなくて、この対談のあとすぐ腹を切ってなくなるわけですが、そういうことを対談のなかに姿をくっきりと現しています。そこのとことを書き抜いてあるので、ふたりのやり取りを読んでみます。寺山さんのところから話をします。

「ステージの上にひとりの男が立っていて、勃起したまえ、というとイリュージョンを使って、ぱーっと勃起するというのがすばらしいわけですね。」こういうふうに寺山がいうわけです。これは三島由紀夫の考え方を、そうですね、というふうに寺山がいう。そうすると、その次に三島が応じます。「ボディビルの原理ってそこにあるんだよ。体のなかから付随意筋をなくそうというんだ」っていうふうに答えるわけです。

寺山「つまり、肉体から偶然性を追放するんですか?」
三島「そうなんだよ。たとえば、この胸見てごらん。音楽にあわせていくらでも動かせるんだよ。胸の筋肉を動かしてみせる。あなたの胸動く?」
寺山「ぼくは偶然的存在です」
三島「君のほうが長生きするわ。付随意筋を動かすことは何も役に立たないからおもしろい」
寺山「三島さん、いつか胸をこうやって動かすんだよ、胸はっても、いつか自在筋の動かない日が突然やってくるわけですよ」
三島「そういう日はこないよ」
寺山「いや、きます。そういうときにエロチシズムが横溢する」
三島「そういう日はこないよ。絶対に」

これが対談の核心部分なわけです。つまり、いくつも要素があるんですが、ポイントをいいますと、三島由紀夫っていうのは偶然性というものを全部追放するんだという考え方なわけですね。すべてを随意に動かせるっていうところまで持っていこうとします。ですからボディビルで体を鍛えて、あらゆる筋肉を自在に動かせるところまで持っていくのが理想なわけです。そうしますと、その考え方からしますと、当然三島さんは台本書きです。その当時は主に台本を書いていたわけですから、その台本を演出する人がいて、それを演じる人いるわけです。そうすると演出家がいて俳優がいてということになって、三島さんから次第に、三島さんの自在性というものがそこから次第に失われてくることになってしまう。

そうすると、どうすればいいか。三島由紀夫自身が本を書き、みずから俳優になり、みずから演出をするということが一番いいわけですよ。理想の形なわけです。だけども、そんなことはできないってことになるわけで。演出も俳優も台本もひとつっていう、絶望的なわけですね。それぞれ存在の仕方が違うわけですから、そこへさまざま隙間が入って来てですね、自在性そのものは隙間によって崩されていくっていうことになります。

そのために、そういうことは三島さんよくわかっているので、演劇に対して自分が思ったように演劇が進んでいないというふうに考えて、芝居から遠ざかっていくっていうふうになります。ここがですね、非常によく出てるところなんです。つまり、すべてを随意筋にする。自分の意志どおりに動かせるっていうふうにやりたいわけです。唯一そういうふうにできる俳優さんとして、三島由紀夫は杉村春子の名前をあげているんです。ぼくも杉村さんの晩年の芝居を何本か見てるんですが、それはすばらしいです。お客さんを自在に自分の思うように巻き込んでいって、笑わせ、泣かせっていうことができる俳優さんでしたが、もう亡くなってしまいました。三島由紀夫は自分の台本をきっちりと体現できるのは、杉村さんくらいじゃないかと言っています。

それに対して寺山さんは、それはおかしいじゃないかってここで言っている。要するに、三島さんは偶然を排除するっていうけれど、逆に自分は偶然的存在なんだってことを言うわけです。偶然的存在なんだっていう、俳優もそうだし演劇そのものが偶然性なんだっていう考え方をとっていきます。先程出ていたなかに、パフォーマンスっぽいものが出ていたと思いますが、あれは天井桟敷ですか? 街頭に出ていくわけです。ゼロ次元ですか? 寺山さんの影響のもとにあるわけですね。

結局、偶然性を求めて舞台から街頭へ出ていくっていうのが、寺山修司のとった演劇、ドラマツルギーなんですが。三島の偶然性を排除して、あらゆるものを必然性としてとらえていくことに対して、寺山はそうじゃないんだ、偶然性なんだというふうに言っている。先ほどの「クール・トウキョウ」のなかでも、死は描けるけれど生っていうのは描くことができないと言っていますね。これは根本的には寺山さんの考え方と通じるわけです。そういう言葉を「クール・トウキョウ」に出てきた、かわいい女の人はしゃべるわけです。これは決して三島さんの考え方ではなくて、寺山さんの考え方なんですね。しかし、死を選ぶということではまた三島さんに接触しているわけです。でも三島さんは本当のところは、生を自分で選びたいんだっていう、そういうパラドキシカルな願望をもっていたと思います。そういう意味では、文学者では芥川という人がいたわけですが、昭和2年に自殺するんですけど、芥川龍之介という人の直接的な流れをくんだ作家ではないかと、ぼくは考えています。

▼page3 三島由紀夫と寺山修司2「われら」から「わたし」の時代へ につづく