【連載】原一男の「CINEMA塾」傑作選〜 テレビ・ドキュメンタリーの青春②〜 原一男×村木良彦×芹沢俊介 第2回 上映後 芹沢俊介の講演

写真は2014年の「CINEMA塾」にて 原一男監督と芹沢俊介氏(右)

原一男の「CINEMA塾」傑作選〜 テレビ・ドキュメンタリーの青春〜
原一男×村木良彦×芹沢俊介

<第1回 原一男×村木良彦の講演はこちら

於1998年10月23日 大阪シネ・ヌーヴォー 
第二回OSAKA 「CINEMA塾」〜ニッポン人は21世紀に向けてどう生きる?PartⅡ
〜テレビドキュメンタリーの青春〜
塾長:原一男、ゲスト:村木良彦(メディアプロデューサー)、芹沢俊介(評論家)

本稿構成=原一男 構成協力=長岡野亜、金子遊、佐藤寛朗

※本稿で扱う1960年代のテレビドキュメンタリーの制作状況に関しては、現在発売中の雑誌『neoneo』04号にも詳しい記述があります。あわせてご参照ください。 


第2回 「あなたは…」「クール・トウキョウ」「われらの時代」上映後 芹沢俊介の講演

90年代は、70年代の反復である

こんにちは、芹沢と申します。去年と今年とうれしいことに、連続してこの会に参加することができました。ありがとうございます。今日は村木さんの作品を見せてもらって、で「70年代と90年代、何が変わったのか?」というテーマをぶつけられました。どこから見ようかということなんですけれども、実は70年代と90年代というのは必ずしもですね、2つのくっきりとわけて対比的に論じることがむしろ難しいんですね。それよりも連続的といいましょうか、そういうふうに見た方がいいわけです。もう少し厳密にいいますと、70年代にですね、さまざまなことが起きたわけですけども、それのくり返しといいましょうか、反復っていうものがですね、90年代というふうに見たほうがいいんではないかっていうふうに、ぼくは思っています。

いま『クール・トウキョウ』の中で写真がちらちらと出てきたと思うんですね。三島由紀夫の顔が出てきました。それから寺山修司の顔が出てきたと思うんですね。寺山さんと三島さん、それから『クール・トウキョウ』は切腹のシーンが出てきたわけですけども、三島由紀夫は、最後はお腹を切るわけなんですけども、「殉死」でしたかね、そういう作品を書いています。映画も撮ってるんですけども、最後おなかを切って、それを切った人がどうなっていくかというところまで、作品、短編なんですけども描写しています。この作品、寺山さんの感性と三島由紀夫の時代への感性とをですね、視野にいれながら『クール・トウキョウ』というのはできてるというふうに考えることができると思うんですね。

村木さんの『クール・トウキョウ』から3年後に、1970年の11月25日に三島由紀夫は市ヶ谷の自衛隊に乗り込んで、乱入して、そこで腹を切って死んでいくわけです。大ざっぱにそういうことなんですけど、まず70年代と90年代というふうに見たときに、90年代っていうのは70年代のくり返しっていいましょうか、反復的な展開なんだっていう、それを示すようないくつかの事例を申し上げて、それで村木さんの映像から触発されたところを入れながらですね、そのあたりのことをお話してみたいと思います。

いろいろあると思うんですけども、いくつか拾ってみます。ひとつは1970年に起きた三島由紀夫の割腹自殺なんですけども、それは実はオウム真理教の事件という形でですね、あるいは麻原彰晃という存在にですね、ちがったかたちでくり返されています。三島由紀夫という存在は、麻原彰晃というかたちをとってですね、90年代によみがえったというふうに考えることができるんですね。オウムというと、全共闘、連合赤軍を思い浮かべる方が多いんですけども、それはかなりわかりやすい対比でして、でも本当は麻原彰晃なんですね。オウム真理教というのは僕の理解の仕方ですと、つまり二代目をもたない宗教なんですね。二代目をもたない宗教というのは自殺する宗教ということになるんですども。そういうとこも、どこか三島という存在の仕方と似ていたような気がします。つまり麻原っていうのは三島の反復的な展開なんだっていうのが、ひとつの見方ができます。

それから、もうひとつの例はですね、僕は犯罪批評をやってきたもんですが、犯罪というところでひとつ例を出してみますと、1971年にですね、大久保清っていう、これ強姦魔なんですけども、女性を8人ほど誘拐して殺してしまうんですね。大久保清が71年につかまっています。それの反復の姿が誰かっていうと、89年にですね、つかまった、幼女を4人誘拐してですね、殺してしまった宮崎勤君がいるわけですけど。彼のなかに大久保ってのは反復したかたちで出てきているというふうに理解することができます。

それからもうひとつ、カタストロフィを例にとってみますと、1973年にオイル・ショックがあったわけです。ぼくは1973年5月頃に会社をやめたもんですから、非常によく覚えているんですが、その秋からオイルショックの影響が出始めてですね、ほとんどパニックに、生活状態がみなさんパニックになるわけなんですけども。ぼく自身もオイルショックによって会社をやめるという目算がたって会社をやめたんですけども、それが一瞬のうちにですね、その目算が崩壊してしまうという体験を味わっています。

その一種のカタストロフィ体験なんですけども、そのショックの体験、傷から癒えるのにですね、ぼくの場合は1990年代に入ってからなんですね。オイルショック体験によってどんな傷が出てきたかというと、あとからこれは気がついたんですけども、あらゆる仕事を、きた仕事を断れないんですね。断れないために何でもかんでも引き受けていくっていうですね、相当、乱暴なことをやってきたんですけども、それがある時期にですね、自分があまり気が進まない仕事を断っているっていう自分の姿に気がつく訳ですね。それが90年に入ってからなですけども、これがオイルショックの影響がここまできてたんだ、それが少し癒えたんだっていうふうに思ったことがあります。1973年のオイルショック、そのカタストロフィがですね、1995年の阪神大震災という経済的なカタストロフィから、もっと何ていうんでしょうか、生命を巻き込むようなカタストロフィに姿を変えて、もう一回反復されるという。そんなふうな見方ができるんではないかと思います。

それからもう一つ例をあげてみます。これが村木さんの作品と時期的には接しているんですけれども、1968年の8月にですね、今はどなたでも知っているんですが、日本で最初の臓器移植がおこなわれました。つまり、脳死体からの心臓移植が1968年に札幌でおこなわれたわけです。これが実はドナー、心臓を提供する側が脳死だと見なされて、そのドナーが本当に脳死だったんだろうかということを大変疑問視する声があがってきて、和田さんの近辺、和田寿郎さんという方が手術したんですが、その近辺からも疑惑の声があがってきました。68年8月の心臓移植事件が非常に大きく作用してですね、脳死論議、臓器移植論議も長い間タブーになってきたんですが、これがここのところにきて脳死を人の死とみなすということによって、臓器移植への道を開いたわけなんです。68年の小さな事件が、現在にいたってようやく脳死を人の死と見なすという法律として出て来るわけなんですけども。これも68年、60年代後半というのはほとんど70年代と見なしちゃっていいわけですけど、それの反復、くり返しというふうに見ていいと思います。で、そんなふうに70年代というのは、90年代と断絶していて非常に対比的にその差異をあきらかにするということは、思った以上にできにくくて、むしろ70年代の延長として90年代を位置づけることが、むしろ容易なんじゃないか。いろんな事象を見ていくと、そんなふうに思えて仕方ありません。つまり、90年代っていうのは70年代の反復的な展開なんだっていうふうに考えてみたいわけです。それが今日のぼくの考え方の骨子になると思います。

▼page2 三島由紀夫と寺山修司1 偶然性と必然性につづく