【特集 山形国際ドキュメンタリー映画祭2015】「パトリシオ・グスマンとクリス・マルケル」text 金子遊 批評≒ドキュメンタリズム②

『光のノスタルジア』©Atacama Productions (Francia), Blinker Filmproduktion y WDR (Alemania),
Cronomedia (Chile) 2010

グスマンのエッセイ映画

『チリの闘い』に見られる物語構成の妙と、ナラティブの先にある何かにむかってドキュメンタリー表現を更新しようとする、相反するふたつの欲動はいったい何であるのか。そのことに関して、パトリシオ・グスマンはインタビューで次のように語っている。  

いずれにせよ、わたしたちの仕事はセンセーショナリズムなしで、よいストーリーを語ることなのです。シンプルで、人間的な物語によって、物語自体によって語らせます。イメージによって現実を構成して、ナレーションでは説明しすぎないこと。わたしはナレーターがすべての余白を埋めてしまうドキュメンタリーが、あまり好きではありません。そのような作品は、ナレーションの言葉にあわせて、実例となるイメージをときどき示してみせるだけだからです。
(「パトリシオ・グスマンとの対話」ホルヘ・ルフィネッリ、私訳)

多くの通俗的なドキュメンタリー映画や番組に見られるように、構成台本に沿ってイメージ(映像)がそれに従属するかたちで配置されるのではなく、ナレーションが説明しすぎずに、イメージや物語自体で語ることのできるドキュメンタリー作品。あるいは、ナレーションがすべての余白を埋めてしまうのではなく、映像との創造的なかかわりのなかで、言葉によって新しい文脈や詩的な感興を提示することができると信じること。パトリシオ・グスマンが70年代につくった政治ドキュメンタリー『チリの闘い』のなかに、すでに後年の彼がたどり着くことになる「エッセイ映画」の要素は萌芽していたといってよい。

ところで「エッセイ映画」という言葉を最初につかったのは、映画批評家のアンドレ・バザンだといわれている。クリス・マルケルが撮った『シベリアからの手紙』(58)を見たバザンは、この映画について書いた文章のなかで、こんなふうに書いている。一般的なドキュメンタリー映画では、映像トラックが優先される要素としてあって、映像を編集し、それを補完するために音声トラックにおけるナレーションというものが使われている。ところが、クリス・マルケルの「エッセイ映画」では、映像と音声の関係が異なり、別の機能をもたされている。もっとも重要なのは、目には見えない知性というものであるので、それが表現される手段は言葉になる。そして、映像の要素はコメンタリーとして「声」で話される言葉を補完するための、三番目に重要なものでしかない。多くのドキュメンタリー映画では、映像の連なりを補完して、それに物語や文脈を付与するものとしてあるナレーションというものが、マルケルの「エッセイ映画」では転倒したかたちで成されていると指摘したのである。

『真珠のボタン』© Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema – 2015

このアンドレ・バザンによる定義は、わたしたちがパトリシオ・グスマンのドキュメンタリー映画である『光のノスタルジア』と『真珠のボタン』を考えるためのヒントを与えてくれる。この二本の映画を見ると、前出のフレデリック・ワイズマンの質問のように、誰もが抱く疑問がある。それは『光のノスタルジア』が、チリ北部のアタカマ砂漠における天文学や考古学の研究における宇宙と「光」と記憶の関係をメタファーとして使いながら、どうして軍政時代のチリで処刑されて、砂漠に埋められた人たちをさがす遺族のエピソードへと結びつけられるのか。あるいは『真珠のボタン』において、カウェスカル族やヤガン族といったパタゴニアの自然と共生していた先住民たちが、ヨーロッパからの植民者に虐殺されていった歴史をたどるドキュメンタリーが、どうして「水」を媒介にしながら、ピノチェト将軍時代に鉄のレールをくくりつけられて太平洋に沈められた人たちの話に接続されなくてはいけないのか、である。

そうはいっても、『光のノスタルジア』と『真珠のボタン』を単なるドキュメンタリー映画ではなく、「エッセイ映画」なのだと考えたらどうだろう。たしかに『光のノスタルジア』では、その観測的な好条件を理由に、アタカマ砂漠に世界中から集まる天文学者の活動に取材し、古代人の壁画や彼らの村の跡地、19世紀の鉱山の廃墟が残るその砂漠に関して考古学者らにインタビューしている。しかし、この映画にわたしたちが本当に驚きをおぼえるのは、彗星にのって地球へやってきた物質やカルシウムというものと、軍政の政治犯として捕われた人たちの遺骨が結びつけられるときである。あるいは、古代人のミイラを収集している博物館のエピソードと、いまも砂漠で遺体を掘り起こし続ける遺族たちの姿が結びつけられるときである。

『真珠のボタン』においては、どうだろうか。たしかに生き残りが20名程度になってしまった、パタゴニアの先住民たちの歴史には目をみはるものがある。だが、わたしたちがこの映画を見る経験のなかで驚愕するのは、イギリスへ連れていかれて「文明化」された先住民のジミー・ボタンの挿話と、ピノチェト将軍らの粛清によって海の底に沈められた人たちの服のボタンが、「ボタンつながり」で接続されるときのほうではないか。つまり、2本のパトリシオ・グスマンによるエッセイ映画において、わたしたちは取材された映像をながめながら、グスマンのコメンタリーの言葉によって喚起される、その背後にある彼の「知性」の運動のほうに驚き、かつ感動しているのではないか。

1970年代初頭のチリにおける、48歳の働きざかりの映画アクティヴィストであったクリス・マルケルと、スペインの映画大学からもどったばかりの若き映画作家であった29歳のパトリシオ・グスマンの出会い。ふたりの映画作家が60年代後半から70年代にかけての集団製作と政治映画の季節をくぐって、一方は『サン・ソレイユ』(82)という記憶をめぐるエッセイ映画の金字塔を打ちたてたこと。もう一方が40年前の「9・11」にこだわり続けながら、『光のノスタルジア』と『真珠のボタン』というやはり記憶をめぐる独自のエッセイ映画を完成させたことに、めくるめく目眩に似たものをおぼえずにはいられない。詩人のたましいを内側に秘めたふたつの知性が、40年のときをこえて映画のなかで独立した小宇宙同士のように応答しあっているところを目撃するとき、わたしたちは静かに心をふるわせずにはいられないのである。

『真珠のボタン』© Atacama Productions, Valdivia Film, Mediapro, France 3 Cinema – 2015

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【News】山形国際ドキュメンタリー映画祭で南米チリの巨匠パトリシア・グスマン監督の代表作『チリの闘い 三部作』一挙上映!

【上映情報】


『チリの闘い 三部作』(1975-78
(チリ / 1978 / スペイン語 / モノクロ / ビデオ(原版:16mm) / 263分)


監督、製作:パトリシオ・グスマン/撮影:ホルヘ・ミューラー・シルバ
編集:ペドロ・チャスケル/録音:ベルナルド・メンス

【上映日時】
10月12日(月・祝) 午前10時00分〜15時28分
【上映場所】山形市民会館小ホール
ラテンアメリカ特集詳細:http://www.yidff.jp/2015/program/15p4.html

『光のノスタルジア』
(2010年/フランス、ドイツ、チリ/16:9/90分)

監督・脚本:パトリシオ・グスマン/プロデューサー:レナート・サッチス/撮影:カテル・ジアン
編集:エマニュエル・ジョリー/天文写真:ステファン・ガイザード/製作:アタカマ・プロダクションズ
配給:アップリンク

2015年10月10日(土)より、岩波ホールほか全国順次公開

『真珠のボタン』
(2015年/フランス、チリ、スペイン/16:9/82分)


監督・脚本:パトリシオ・グスマン/プロデューサー:レナート・サッチス/撮影:カテル・ジアン
編集:エマニュエル・ジョリー/写真:パス・エラスリス、マルティン・グシンデ/製作:アタカマ・プロダクションズ
配給:アップリンク

2015年10月10日(土)より、岩波ホールほか全国順次公開

【執筆者プロフィール】

金子遊(かねこ・ゆう) 
批評家・映像作家。著書に『辺境のフォークロア』(河出書房新社)ほか多数。新刊の共編著『国境を超える現代ヨーロッパ映画250 移民・辺境・マイノリティ』(同上)は10/17刊行。よろしくお願いします。「neoneo」編集委員、「山形国際ドキュメンタリー映画祭2015」コーディネーターなど。
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