【Interview】映画が完成したからおしまい、というわけにはいかないんです~『放射線を浴びたX年後2』伊東英朗監督インタビュー

戦後、アメリカが中部太平洋ビキニ環礁で行った水爆実験で被ばくした日本のマグロ漁船は、第五福竜丸だけではなかった。 
南海放送のディレクター・伊東英朗は、この事実について丹念に番組で追い続け、取材のひとつの集大成として劇場版の『放射線を浴びたX年後』を監督した。公開されたのは2012年。映画は同年の主だった映像賞を総ナメする形になり、自主上映は現在も多くの人を動員している。

しかし、伊東はそれで自分の役目が終わったとは思っていなかった。水爆実験の影響を受けたマグロ漁船の元乗組員や遺族の方々への取材を続け、NNNドキュメントで放送の番組を演出し、書籍を刊行した。その過程で川口美砂さんという、マグロ漁船乗組員の父の早逝はビキニでの被ばくに関係しているのではないか、と疑念を持つ女性が現れ、伊東と行動をともにするようになった。
そうして出来上がったのが『放射線を浴びたX年後2』だ。川口さんが画面上も軸になったことで、映画の雰囲気は、ジャーナリスティックな前作とはまた変わったものになっている。その点を中心に話を伺った。

なお、このインタビューは同席者が全員発言する、ややイレギュラーな進行となったため、座談形式の記事として構成しています。
(構成・neoneo若木/構成協力・リンリンコリンズ凛凛)



発言者
伊東英朗(監督/南海放送)
猿田ゆう(宣伝配給協力/ウッキー・プロダクション)
皆川ちか(ライター)
若木康輔(neoneo編集室)


僕には川口さんの気持ちがよく分かった

皆川
 まず、映画を拝見する前に、伊東監督が去年の秋に出された著書のほうの『放射線を浴びたX年後』(2014・講談社)を読みました。とても面白かったです。登場する方々の肉声が活き活きしていて、しっかりと温度が感じられて。ノンフィクション・ノベルのような臨場感を感じながら読みました。「聞きたかったら土の下に行ってこいや」「五〇年前に来い」といった言葉が、グサッとこちらに刺さってきました。

伊東
 ありがとうございます。あの言葉はね、直接聞いた僕の胸にも突き刺さりました。

若木
 今回、伊東監督にお話を伺うにあたって、猿田女史から、聞き手に女性も入って貰ったらどうかと提案がありました。川口さんが実質上の主人公になっているからでしょう?

猿田
 はい、そうですね。

若木
 それで、同じ回のマスコミ試写で見た皆川さんに聞いてもらうことにしたわけです。川口さんが映画の中心人物になったことには、伊東さんなりの企み、計算があったのでは、などを。

伊東
 フフフ、計算なんか無かった、と言ったらどうします?

若木
 それはますます興味深いですよ(笑)。

皆川
 川口さんは、高知県室戸市出身で、マグロ漁船乗組員だったお父様を早くに亡くされている。伊東監督が追っているテーマの当事者です。そういう女性を主人公に据えることで、前作とは違った物語のダイナミズムが生まれると判断したのではないか。あるいは、伊東さんが川口さんのパーソナリティに惚れ込んだのか、など、いろいろ考えたのですが。

伊東
 それは映画の作り方の部分で、でしょうか。それとも、運動の部分で?

若木
 今日は映画監督の伊東さんに、映画の作りの話を中心にお聞きしたい。

伊東
 分かりました。実のところは必然なんですよ。こういう形になったのは。

皆川
 その必然とは何かを伺う前に、お二人が知り合ったきっかけを教えていただけますか。映画の中で川口さんは、前作を見て伊東監督との縁ができた、と話されていましたけれど。

伊東
 一昨年、2013年に、今回の主要人物である元マグロ船漁労長の山田勝利さんが、室戸で前作の上映会をやってくれました。その時、たまたま川口さんが東京から帰省していたんです。ちょうど帰る日に、妹さんから「こんな映画がある」と誘われ、見て、お父さんとのつながりに驚いたそうなんです。それで川口さんは、映画を作った人間に直接話を聞きたいと猿田さんに連絡をとった。それが最初ですね。

猿田
 室戸での上映会には私も行き、パンフレットを売っていたので、川口さんとは直接顔を合わせて名刺交換はしていました。それで、監督に会いたいという熱がすごいな、と感じたんですよ。東京に戻ってからも電話やメールをくれて。

皆川
 いったんは猿田さんが窓口になっていたんですね。

猿田
 監督は連絡先を公表していないので、問い合わせなどは基本、私のところに集まるんです。川口さんとは一度会っているし、お父様のこともチラッと聞いていたけど、詳しくは聞いていないので、どうしてそんなに監督に会いたいんだろう? と不思議には感じていました。

でも何か、先のことは分からないけど、とにかく会ってもらったほうがいい、という気がして。
それで、監督が講演で東京に来て、午前中の1時間位は時間が空くという時、川口さんに連絡したんです。監督には、ほとんど無理やりホテルのロビーで待っててもらって。
その時に初めて、お父様が
マグロ漁船に乗っていた話などを川口さんから具体的に聞いたんです。

©南海放送

皆川
 私はふだんドキュメンタリーを見る時、出てくる人物がどんな人なのか、何をもって、何がしたくてこういう行動に駆り立てられるのか、に非常に興味を持ちます。
川口さんに対しても、取材にここまで深く関わるモチベーションは何だろうと思いました。お父様の早逝の理由を突き止めたくなったとしても、自分の仕事があるなか、毎月のように室戸に帰り続けるのは大変なのでは?
 この熱はどこから出てくるのか? と知りたくなったんです。

伊東
 皆川さんの亡くなった家族が、酒の飲み過ぎで早死にしたと聞かされていたとして。死因は別にあった、殺されたかもしれない可能性が高いと知ったら、放ったらかしにしておきますか?

皆川
 うーん、正直、今の自分の生活と計ると思います。仕事を大切にすることを中心に生活していますから、それを捨ててまでとは言い切れない。取り組みたい気持ちと、現実的に出来る状況かどうかを、どうしても天秤にかけると思います。

猿田
 私もそこは近いかな。やらなきゃいけない仕事がたくさんあるなかで、しかも東京じゃなく地方でのことだと、どこまで比重を置けるか……という感じはある。真相を知るために全身全霊、仕事も何も投げ打って、という答えはパッとは出ないかな。
女の人は、こっちのほうが多いかもしれない。 

伊東 そうですか。僕は川口さんの気持ちは当然のことだ、よく分かる、と思っていたんだけど。

猿田
 でも、前作を見てくれた遺族の方々は沢山いるでしょう。室戸での上映会では、川口さんの妹さんも一緒で。その中で具体的なアクションを起こしたのは今のところ川口さんひとりだけど、だからといって、亡くなった家族に強い思いを持っているのは彼女だけ、とは言い切れない。その度合いは、たぶんひとりひとり違うから。

川口さんにもタイミングがあったんじゃないかなあ、と思うんです。例えば
30代の時に見ていたら、映画に衝撃を受けたとしてもこんな風には動けなかったかもしれないし。

伊東
 確かにそれは言えるかもしれないですね。

▼Page2 映画の中で起きていることはすべて必然です に続く