【Interview】映画が完成したからおしまい、というわけにはいかないんです~『放射線を浴びたX年後2』伊東英朗監督インタビュー

川口さんも和気さんも、めちゃくちゃ強いんですよね

若木 お話を、川口さんが実質上の主人公になっている点に。父親の死因を突き止めていくと同時に、父親がどんな風に生きてきたのか、足跡を探す旅、という構造になっていきます。

猿田 川口さんはお父さんが亡くなるのが早くて、しかも家で一緒に過ごす時間が少なかったから。父親のいない時間が長かった分、調べる時の思いは強かったのでは?

皆川 思慕の気持ちですよね。終盤、「女児が生まれた」と喜ぶ日誌が出てきて、お父さんに愛されていたことを確認できる。川口さんの喜びとともに、見ているこちらも心が安らぐような感覚になりました。

伊東 そうですね。ただ川口さんに、父親の面影を探す、という気持ちがあったかどうかは、僕は分からない。お父さんが早くからいなかったと言いますけど、小学校6年生で働き始めるようなしっかりした人格を持つ子が、目の前でお父さんが死ぬのを見ているんですよ。
胸に耳を当ててみたけど、心臓の音が止まっている。左ではなく右の胸かと聞き直したけど、やっぱり聞こえない。そんな体験をしている。お父さんの埋葬などの手続きは全部、川口さんがやったんです。お母さんじゃなくて。

だから、おとうさんの死は相当、強烈に頭に打ち込まれているはずで、父親がいないものとして育った、というのとは違うんじゃないかな。でも、女性2人の意見を聞くと、自信が揺らいできますね(笑)。

©南海放送

皆川 もう一人の主要人物である、川口さんと同じ1956年生まれで同郷の漫画家、和気一作さん。やはりマグロ漁船の乗組員でガンで亡くなられたお父様との、父と息子の話が、川口さんととても好対照になっていました。

伊東 2人とも、めちゃくちゃ強いんですよね。なにしろ和気さんは今、お父さんについての漫画を、遺言まで用意した上で描いているんだから。
和気さんの家も何回も訪ねているんですけど、最初は、まだ漫画に取り掛かれない、「エンディング・ノート」を書いてるからって(笑)。だから描くという話は僕も半信半疑で聞いていたんだけど、和気さんは本気だったんです。父親がそうだったから、自分もいつガンになるか分からない、時間が無いんだと「エンディング・ノート」を子ども達のために用意して、その後、本当にバリバリ描き始めた。

そのバイタリティは、川口さんも同じです。ふつうは映画が完成したら、ヤレヤレ一段落となると思うんですが、今でもひとりで定期的に、室戸に聞き取りに帰っているんですよ。これからも続けるつもりだって。映画に関わることで彼女の人生に変化が起きたわけだけど、それを引き受け続ける強さは、どこからくるのだろうと思います。やはり室戸にはそういう風土があるのかなと。

©南海放送

皆川 川口さんは、伊東さんに協力して自らも率先して調査をする、対等の仲間である。確かに、ふつうのドキュメンタリーの撮影者・被写体の関係とは違いますね。

伊東 本当、そうです。共同作業をする関係でしたね。
僕らの制作側からは「やらせになるのでは」と懸念する意見が途中でけっこうあったんですよ。僕が指示して川口さんに行動させている、話を聞かせている、と取れたみたいで。そういう意味での演出は、一切していません。

聞き取りが終わった後、川口さんに「今の聞き方でよかったですかね」と聞かれて、「相手が話したそうな雰囲気になったら、もう少し待ったほうがいいんじゃないですか?」といったアドバイスは、自分の取材経験を踏まえて言います。それが川口さんの気付きになれば、彼女ももっといろいろなことが聞ける。それは共同作業のうちだと思っています。

猿田 川口さん自身に、調査したい、お年寄りからいろいろ話を聞きたいという思いがあって、映画や映像のために呼ばれて動いているわけじゃないから。

伊東 人を立てて、再現ドラマのように動いてもらって、という作り方はあり得ない。被ばく者や遺族のためにではなく、番組や映画のための細工になるから。それが上手くいけばより事件の解決につながっていくのかもしれないけど、自分は、やってはいけないことなんだと思う。
だから今回、川口さんが名乗り出てくれて、能動的に、一緒に調査してくれるのは、とても嬉しいことでした。

▼page4  映画が完成したからおしまい、というわけにはいかない に続く