人を好きになり、魅力を知り、それを差し出す
― 具体的な内容に入る前に、ここで番組ディレクターとしてのお話も伺います。
『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』から3年の間に、番組も何本も手掛けていたのですよね。
長谷川 はい。僕の原点であり、表現者としてのベースは、テレビです。でも、僕は少ないほうですね。先輩たちはもっともっと多作です。僕は年間にして4、5本ですから。
― いやあ、それだけやっていたら十分だと思います。
長谷川 かける熱量は、映画もテレビも変わらないんですよ。ただ、情報やメッセージの出し方は自ずと違いますけど。映画はずっと残っていくものですから、中で見せるインタビューにしても、時代を経れば発言の意味が全く変わることがあるでしょう? だから言葉を選ぶ時は、どれだけ普遍性を持っているだろうか、と意識します。
テレビはやっぱり今ですよね。どれだけ今の時代の、現実の空気を吸ったものを、どれだけ旬のうちに出せるかが大きな基準になります。
― いつだったか、Eテレの「課外授業ようこそ先輩」を見ていて。業者目線を忘れて楽しく見ていられた回でした。するとその回の制作のエンドクレジットがドキュメンタリージャパン、演出が長谷川三郎だったんです。その時、僕は2つの意味で唸りました。それだけ番組のフォーマットに溶け込んだものを作ってらっしゃることへの感嘆。一方で、ずいぶん人がいいんじゃないかと(笑)。
長谷川 アハハ、はい。
― 作家、鬼才と呼ばれてナンボの演出家には、ねじ伏せるような、おッ、今回は異色作だぞと思わせるタッチで枠を揺さぶるタイプがいます。エンドクレジットを見てナットク、みたいなね。長谷川さんはそうならず、粛々とその枠のカラーに沿っている。
映画で賞をもらいました、今までの長谷川とは違いますんでヨロシク。そんな風にはならないんだなーと。
長谷川 ならないですねえ。本当に自分に自信が無いので、どこに行っても新人の気持ちでやっています。でも、一方で、どこかで今までの番組フォーマットとは違う色を、と目指してはいるんですよ。
僕自身が大好きだし、よく演出をさせてもらっている「課外授業ようこそ先輩」の場合だと、例えばOBの先生と子どもたちのやりとりは、出来るだけナレーションを排除して音声を活かし、生の会話の力だけでどこまで見せられるか、などの挑戦はしています。
長年続いている番組なら、まずその番組のファンである視聴者の方がどう見てくれるのかを考え、そこから発想します。番組を愛している人たちを裏切らないものを作りたい。お客さんの気持ちを第一に考える料理人みたいな感じですよね。その中でちょっとだけ調味料にこだわりたいというか。自分を発揮できる部分はそこですかね。
― まずファンの視聴者のことを考える。穏当な発言のようだけど、高いハードルをご自分に課していると思います。ファンはある意味、ものすごくワガママですからね。いつも通りのものを見たいと望み、だけど本当にいつも通りだと不満になる。
長谷川 今ちょうど「情熱大陸」をやらせてもらっています(2015年11月15日放送 モデル・ボクサー高野人母美)。ディレクターとしては初めてなんですよ、このキャリアで。
だから結構ドキドキしながら、これまで先輩たちが作ってきた回を見ています。どういう番組枠なんだろう、視聴者の方はあの時間帯にビールを呑みながら、どんな気分でこの番組を見ているんだろう……視聴者の気持ちに一度なってみて、だったら自分は何を見たいかなと、やはりそこから考えます。その上で、自分ならいつもと違うこんなシーンを使うな、ひとつのシーンをたっぷり見せるのはどうかな、とか。そういうところで挑戦したいとは思っています。
― 人気のある長寿番組は、定期的にマイナー・チェンジするでしょう。フォーマットが変ったり、出演者の傾向が変ったり。ドキュメント番組はそういう点で、プロデューサー・システムに則って製作されている。
長谷川 そうですね、番組としての大きな枠組みを考えるのは、やはり局のプロデューサーの方です。そういう意味では、視聴者の方はもちろんですが、世界観を構想する立場であると同時に最初の視聴者でもあるプロデューサーの方を満足させるものを作りたい、とも思っているんですよ。
彼らが作りたいと思った番組、いわば「家」の中で、彼らがイメージしている細部(家具)を丁寧に積み上げながら、「あれ、新しく作られたこの椅子も意外と座り心地がいい」と思ってもらいたい。人に喜んでほしいと考えるのが優先になるのは、性分でしょうね。
― 映画もテレビもかける熱量は同じ、これはよく分かる気がします。でも、出口の風景はずいぶん変わりますよね。視聴者は直接、姿が見えないけれど、劇場に足を運ぶ観客とは間近に接することができる。映画監督になっての体験が、テレビの現場にフィードバックすることはありましたか? 例えば、直接見て返してくれる存在がプロデューサーだけなのを、物足りなく感じるようになったとか。
長谷川 そういうのは全く無いんですよね、残念ながら(笑)。逆に、調子に乗らないようにしなきゃと気をつけて、さらに小さくなっちゃっている感じです。
『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』でたくさんの賞を頂けて、とても嬉しかったのですが、それはあくまでも福島菊次郎さんの力です。そのことは常に自覚しています。
あえて何が変わったかというと、自分のやり方は間違っていなかったんだな、と確認できたことです。以前のインタビューでもお話しましたけど、自分には強烈な作家性みたいなものは無くて。むしろ人のことを好きになり、その人の魅力を取材の中でひとつひとつ拾い上げていって、自分が見てきたのはこういう人だった、とストレートに差し出すやり方です。
自分はこういう愚直なやり方しか出来ないと思っていたんだけど、それを沢山の人が見てくれ、支持してくれることが分かったのは自信になりました。
だから『広河隆一 人間の戦場』でも自分の色を考えるより、もっともっと愚直に、現場で起きたことを通じてその人の向こう側にある世界を出していこうと。そういうスタイルにさらに進みました。言ってしまえば、作家性の無さが自分の武器だと思っていますから。
▼page4 広河さんを分かりたい、そのための取材でした に続く