【Interview】「映画を作る」より「広河さんという人間を表現する」のほうが先なんです~『広河隆一 人間の戦場』長谷川三郎監督インタビュー

広河さんを分かりたい、そのための取材でした

 ここから、 『人間の戦場』について具体的に伺います。

おねがい:批評媒体の性質上、作品理解のため、以降はかなり内容の細部に触れております。インタビューというより、囲碁でいう対局後の検討戦に近いものです。
ラストがどんな場面なのか、また、取材順と構成順の違いは、など、事前に知ると興趣を削がれるとお感じの場合は、映画をご覧になってからお読み頂くと幸いです。

広河さんは2014年に「DAYS JAPAN」の編集長を退任、フォトジャーナリストに専念されることになりましたが、映画の話があって取材を始めたのは、その前になるんですね。

長谷川
 そうです。取材当初はまだ、
本格的に取材活動を再開される前だったので、広河さんが「DAYS JAPAN」の編集長の仕事をされているところと、救援活動をしている現場に取材に行きました。そこでよく分からなくなってしまったんですよね、広河さんのことが。
福島の子どもたちのための保養センター「沖縄・球美(くみ)の里」に行っても、理事長の広河さんは、子どもたちが遊んでいる様子を静かに微笑みながら見守っている。もちろん、遊んでいるだけじゃないですけど、一向にジャーナリストっぽくないわけです。広河さんって一体何者なんだ、と。

それで「沖縄・球美の里」のある久米島で、「(福島の子どもたちの保養は)ジャーナリストの役割を超えているのではないですか」と広河さんに質問しました。このインタビューが、映画の終盤の「ジャーナリストである前に、一人の人間でありたい」という広河さんの哲学、そして今回の映画のテーマとなるロングインタビューになったんです。
そういう哲学を持つに至った広河さんのお話を伺いながら、この言葉を咀嚼するためにも、一緒に現場を歩きたいなと思って。

時期的にも、まさに広河さんがフォトジャーナリストに専念し、これから再び現場を歩くタイミングでした。一緒に歩いて広河さんが拘ってきた現場を見つめ、さらに、どんな風に取材相手と向き合っていくのか目の当たりにすれば、広河隆一という人間を深く知ることが出来る、と思ったんですよね。

 『広河隆一 人間の戦場』は全体の構成が緻密で、しかしユニークなところがあって掴みあぐねるところがあったのですが。
広河さんが築き上げてきたジャーナリスト観を語る、映画の終盤のロングインタビューがほぼ最初の取材だった。構成ではそれを逆にした……と伺って驚くとともにナルホド、とも思います。最初に核になる話を聞かされてから、取材を進めた。つまりその過程と、映画の、だんだん広河隆一という人間を納得していく進行が重なり合っている。

長谷川
 そうなんです。広河隆一という人間を分かりたいと思った、そのための取材でした。しかも冒頭のパレスチナ、彼の原点と言える地は、実は最後の取材なんですよ。福島、チェルノブイリ、パレスチナと同行しながら、自然と過去へ過去へと遡っていくことになったんです。でも、撮っているのはあくまで広河さんの今だから。そこをどう組み立てて見せていくか、構成は編集で相当に悩みました。

 長編の醍醐味だろうなと思いつつ、その苦労は想像を絶しますね。その上で、久米島のインタビューへとしっかり帰結できている。

長谷川
 時代は刻々変わっていますから、間を置いたら広河さんの発言の意味も変わってくるところがあるかなと思ったら、それは無かった。あのインタビューの強さ、問いかけてくる力はなかなか無いな、と改めて思いました。映画の中のインタビューとしては、異様な長さだと思うんですよ。それでもほぼノーカットで、聞けますからね。


ラストは、別のバージョンも考えていました

 『広河隆一 人間の戦場』の展開を大きなハコにすると、

  • パレスチナ
  • 広河隆一プロフィール
  • イスラエルのキブツ
  • (80年代当時の写真が中心のベイルート)
  • 福島県郡山市
  • チェルノブイリ/プリピャチ
  • ベラルーシ・ミンスク市の保養施設
  • 久米島の保養施設


こういう
展開です。どれだけ順撮りだったのだろうと思ったら、久米島が取材の最初で、パレスチナが最後だった。
パレスチナを冒頭に据えたのには、フォトジャーナリストとしての広河隆一、をまず見てもらう意図がありましたか。デモでパレスチナ市民とイスラエル警察が揉めているところに、まさにスーッと近づいて撮る。これが現場での広河流の現場だ、というところを。

長谷川
 はい。事前の説明はあまりせず、見る人をいきなり広河さんの世界に放り込んでしまいたいな、と思って。
よく分からないままパレスチナ自治区の取材現場から始まって、抗議をしている人たちと会ったら、まだよく理解できないうちに催涙ガス弾が撃ち込まれてくる。逃げ惑うなかで、必死に何かを捉えようとしてシャッターを切る。
これがまさに今の現実の世界であり、広河さんの見てきた世界なのか、と思ったんですよね。取材をしている我々自身も催涙ガス弾を喰らいながら、どうなってるんだこれは……となりながら、でしたから。

『広河隆一 人間の戦場』より©2015aureo


 鈴尾さんは劇映画の編集もされています。そこがどこまで関係あるかは分からないけど、『広河隆一 人間の戦場』には劇の構造、特に近代ドラマツルギーに基づいた人間ドラマに通じる印象がありますね。この主人公を行動に駆り立てるものは何だろうと、その動因を全体のバネにする作り方。そこを押さえない評伝ドキュメンタリーは往々にして弱くなるんだ、と逆に教えられるところもありました。

ですから、広河隆一が新しいテーマを撮り始めた。それは日本の語られない歴史だ、というラストには、おーッとなりましたね。あの年代の人独特の不屈さ、頑固さ。

長谷川
 いやあ、実は、広河さんが新しいテーマの取材を始めたのを映画の中でどう紹介するかで、悩んだこともありました。

 あ、そうなんですか。

長谷川
 撮影は
『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』に続いて、山崎裕です(高野大樹、井手口大騎ダグラスと共同)。最後の場面も山崎さんと現場に行ったんですが、山崎さんが「最後に絶対に入れるべきだ」という意見だったんですよ。

「彼はカメラマンだ。人生の終盤にああいう大きな、壮大なテーマに挑むところに、とてつもなくシンパシーを感じる」と。 山崎さんは「沖縄・球美の里」で終ると救援活動のイメージのほうが強くなる。フォトジャーナリストとしての生き方と繋がっているなら、カメラマンの姿で終ることも必要だ、とも言われました。そうなると……影響されやすいんでしょうね(笑)。若い鈴尾の意見、ベテランの山崎さんの意見、いただきながら作っているんですよ、僕は。

 長谷川さんが当初考えていたラストは?

長谷川
 福島、チェルノブイリと現場を歩いてきた広河さんが、福島の子どもたちのために「沖縄・球美の里」に救援活動を行う場面を描きながら、その感慨を大切にして、映画にピリオドを打とう、という考えでした。
編集室で鈴尾ともそう合意していたところに、山崎さんがやってきて「新しいテーマに踏み出した広河さんを映画の最後に入れるべきだ」となったんです。それで2人でしばらく悩んで。「やってみるか」と入れてみたら、「うーん……けっこういいな」(笑)。

実際、ずっと海外の目まぐるしい世界情勢をテーマにしてきた広河さんだけど、では母国の土地は誰のものだったのか、そこに誰が生きていたのか、という思いはずっと持っていたと聞かされてはいたんです。編集長との兼任を離れてフォトジャーナリストに専念して、初めてそれに取り組めるようになった。
だから、当初考えていた締めくくり方とは違ってくるけど、「広河さんの人生を残す」というテーマに立ち戻って、エンディングにしようと。誰かは感じてくれる場面だろうと思っています。

 僕は入っていて良かったと思うほうです。広河さんのキブツでの蹉跌は、(パレスチナの村民の家屋を壊した)瓦礫を見つけたことからでしょう。それは、チェルノブイリ周辺の焼かれた村にもつながる。誰かが「そこにあった。居た」と記録しないと、事実さえ消されてしまうものに広河さんは拘り続けてきた。山人など、日本の正史に残らなかった人々の跡を撮ることと見事につながりますし、ラストに付け足したことで映画全体のバランスは悪くなっていない。それだけの編集・構成の積み立てが出来ていますよ。

長谷川
 
『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』とおなじように、編集に時間をかけてフウフウしながら構成しました。インタビューで押すより、冒頭はチェルノブイリで始まったほうがいいかなど、いろいろ考えましたけど。

結局は、広河さんの人生を辿るという道筋が一番伝えやすいんですよ。まず、再び現場の最前線にいる現状としてのパレスチナがあり、それからジャーナリストの原点となったキブツを訪ねて。一方で福島、チェルノブイリと続けて、救援活動をすることになる必然を追って……と。映画のスタイルとしてどうかは正直あまり考えていなくて、広河隆一という人間がちゃんと伝わればいいと、途中で覚悟を決めたんですよ。だから冒頭にパレスチナを置いたり、途中で福島県のことが入ったりしているけど、大きな展開は広河さんのヒストリー順なんです。

『広河隆一 人間の戦場』は、厳密には全体が統一されていない映画だと思います。ロングインタビューがあり、チェルノブイリの圧倒的な現場があり、「沖縄・球美の里」での違うトーンがあり、またロングインタビューがあり、新しいテーマが始まって終わる。
広河さんがその時代のなかで見たもの、撮った写真、考えたことを伝えることを、1本の映画としてまとめることよりも優先して考えよう、と思って作っていった話なんですよね。

▼page5  つきつめれば、面白いのは映画ではなく人間なんですに続く