【連載】「ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー」23回 『RACER-レーサー 風戸裕』

 
コースで待っているのは死の影と、青春の燃焼

同時に、追悼の再プレス盤なのを踏まえて聴くと、どうしても内容以上の感傷が走る。
風戸はこの後、ホントにヨーロッパでF2出場を果たし、F1で走る話も出始めた矢先に事故死するわけだから。

もともと本盤には、死の影が濃い。
ヨーロッパでレース中に第一線のドライバーが死んだことや、風戸のチームのメカニックをつとめた若者も、マシンがピットに飛び込む不測の事故で命を落としたことを、伝えている。
モーター・スポーツの世界の華やかさの陰には、死が近くにあり、それゆえに人を惹きつける残酷さがあるのだと、制作スタッフは托し込んでいる。

「危険に挑み命を賭ける場だからこそ」と美学で魅力を擁護し、安全策が緩くても目をつぶっていられる時代は、スポーツにおいては遥か遠くになった。おそらく、女性アスリートの増加と対応している。それでも、アイルトン・セナや、プロレスラー・三沢光晴のようなことが起きる。スポーツはつくづく、因果なものを内包した文化だと思う。


では、そんな危険な世界に十代から飛び込んだ自分自身を、レース界のプリンス・風戸はどう考えていたのか。

風戸「レース・ドライバーは常に、まあ、そういう危険性もあるわけですけども。……うーん。まあ、僕個人の考えとしては、僕は、そういうことに打ち込めるっていうことで……非常に、充実した、人生が送れると思っていますね。そのことがあるからレースをやめるとか、そういう考えは持っていません。ですから、死については、死はもちろん、うーん、恐ろしい一面もあるでしょうけどね。……まあ、みんな一度は死ぬんですからね、うん……。自分の選んだ道を思いっきりやるってことは素晴らしいことで、それの、それの見返りに死はあるんだけど、それ以上にレースは素晴らしいと思っています」

本盤では他にも、ジャーナリストの取材に答え、チームのスタッフとミーティングする風戸の肉声が録られているものの、どちらかといえば現場音扱いだ。落ち着いて自分の考えを述べているのは、書き起こしたこの部分ぐらい。
しかし、将来に可能性が開けている21歳の若者のレース観を窺うには、十分な言葉だ。「……」や「うーん」が多いが、熟考ではない。早く自分の仕事の魅力を言いたくて、それで、もどかしくて詰まっている。

誰でも、前しか向いていない年齢の時ってこうだよね。命を削る思いをした先に、体中の細胞が震える興奮と歓喜が待っている。そんな経験をした者が、簡単には降りることはできない。
青春とは何か。きっとこの風戸のように、死を恐れるよりも素晴らしいものがあるんだ、とまっすぐ答えられる瞬間のことなんだろう。


日本初のF1公式戦が開催されたのは、風戸の死から2年後

おまけに、もう1枚の聴くメンタリーについて触れます。
1976年にCBSソニーから発売された『F-1 GRAND PRIX F-1 WORLD CHAMPIONSHIP IN JAPAN’76』


この年、F1世界選手権の最終戦が富士スピードウェイで開催された。
日本ではじめてのF1公式戦。しかも、紙一重のチャンピオン争いを演じる「奔放な天才児」ジェームス・ハントと「冷静な頭脳派」ニキ・ラウダの、決着の舞台となった。劇的要素たっぷりだったので、サッカーのワールドカップが初めて日本で開催された時みたいに盛り上がった。その模様を収録したレコードだ。
(ちなみにハントとラウダの、ほとんど『王将』のようなライバル譚は、2014年に公開されたロン・ハワード監督の『ラッシュ/プライドと友情』でバッチリ描き込まれている。面白い映画ですよ)

これがまた、聴きどころが沢山あるので、いずれこの連載でくわしく紹介できれば。
ここで書いておきたいのは、富士でF1に初参戦した高原敬武の、レース後のインタビュー。高原は日本人ドライバーでは最上位の9位に入る大健闘を見せた。
しかし、これで日本人ドライバーも世界で通用すると証明されましたね、と水を向けるマイクに、こう答えている。

高原「それが大きな間違いじゃない? あの、自分の、自分というのは僕たちのね、日本のレースというのが分かってない証拠じゃない? ヨーロッパ行って少しやってくればね、いかに自分が大したことないか分かるんじゃないですか。大体、ワン・レースぐらいでね、俺は、まあ俺とか日本人がいけるんだと思うのはね、大きな間違いです」

9位に入った程度で、簡単におだてないでくれ、と本気で悔しがっている。この強烈なプライドが、後々の中嶋悟、鈴木亜久里らの戦いにつながっていく。
高原は、前述した通り、風戸裕が命を落とした1974年6月2日のレースの出場者だ。しかも、舞台は同じ富士スピードウェイ。
まだまだ俺たちはこんなものじゃないとにべもなく答えた時、高原は無意識でも確かに、2歳年上だった風戸の存在を背負っていたのだ。
そう考えながら2枚の聴くメンタリーを聴くと、ちょっとばかり、鼻の奥がツーンとなる。

盤情報

『RACER-レーサー 風戸裕』
1970-1974(再発)/東芝EMI
2,000円(当時の価格)


<Check it out!>

2月4日土曜日、イベントやります!
本連載で取りあげたレコードを生で聴こう!

ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー atポレポレ坐 Vol.Ⅲ
2月4日(土)19時より(18時30分開場)

東中野 space&cafeポレポレ坐 にて開催!
【News】2/4(土)開催!ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー at ポレポレ坐 Vol.Ⅲ

 
【執筆者プロフィール】 

若木康輔(わかきこうすけ)
1968年北海道生まれ。フリーランスの番組・ビデオの構成作家、ライター。

ここで少し、渋谷毅の音楽についても。マシンの走行音やレースの現場音の合間に、ファンキーなオルガン・ジャズを演奏してキマッてます。そして、事故死をナレーションが語るパートでは、粛々と鎮魂のレクイエムを奏でます。日本ジャズの大御所としての渋谷氏を、僕はほとんど知らないのですが、由紀さおり「生きがい」の作・編曲、「夜明けのスキャット」の編曲者でいらっしゃるというだけでも、ポーッとなってしまう。ちょうど由紀さんワークスにかかっていたのと同じ頃に、聴くメンタリーでもこんな誠実な仕事をされていたとは。とても嬉しいです。

http://blog.goo.ne.jp/wakaki_1968