【連載】「ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー」第24回 『LENIN SPEECHES RECORDED 1919-1921』

1917年、ロシア革命が起こる。
指導者レーニンは帝政を打倒した後も、
精力的に演説をレコードに吹き込んでいた。

これこそ、まさに歴史的録音。

赤いレコードを埼玉で見つけた

廃盤アナログレコードの「その他」ジャンルから、ドキュメンタリーを掘り起こす、「DIG!聴くメンタリー」。約2ヶ月振りの更新となります。今回も、よろしくどうぞ。

この間に、東中野のポレポレ坐で、実際に聴いていただくイベント版の3回目を開いた。今回は、当日に回した盤の1枚、LENIN SPEECHES RECORDED 1919-1921(1959)を取上げる。

レコード会社の名前は、ロシア語のため分からない。ただしジャケットに英語も表記されていて、それに写真もあるから、レーニンの演説をLP化したレコードなのは一目瞭然。
去年(2016年)の初冬、埼玉県某市のレコード店で見つけた時は、真ッ赤っ赤の迫力にのけぞりそうになった。もちろん、こんな大物を1,000円強で掘り当てたワクワクも込み。

カウンターにいたのは、おっとりした雰囲気の大人の女性で、
「こういうものは一体、いつ売れるんだろうって思ってたんですよー」
どうやら店主の奥様がたまの店番をしているらしい、と思われた。個人で中古レコード店を経営する男性は、まずそんなことはお客に言わない。むしろ、〈誰が買うんだこんなもの盤〉がいかに充実しているかが腕の見せどころだから。

しかし(おそらく)奥様も、かなりの接客センスの持ち主だ。こんなレコードを買うお客には、ある程度の軽口を叩いても失礼にはならないし、逆にくすぐられて喜ぶものだと呑み込んでいる。実際くすぐられ、ついでに歌謡ものをもう1枚買い足しちゃったのが僕です。

ところが、おそらくの奥様、会計のレジを打ちながら、ちょっと言葉を選んだ。
「あの」
「はい」
「やっぱりその、色は決まっているものなんですか」
「はい?」
「ほら、ねえ、シャツが」
その日、僕は赤いコーデュロイのシャツを着ていた。質問の意味が2秒後に分かった。
「いえいえッ、これは偶然。共産主義だから普段の服まで赤いってことは無いでしょう」
「ああ」
「こういうレコード聴くのが、僕、純粋に好きなんです」
「そうですか。ありがとうございます」

振り返ってみると、まるで説明になっていなかった。今はあれで良かった、(世の中にはまだ革命を信じている人がいるのねえ……)とヘンに感心されているほうがロマンがあるぞ、と思っている。入手をきっかけにウラジーミル・イリイチ・レーニン(1870-1924)について勉強し、感じるところが多かったからだ。

内容はひたすら、レーニンのスピーチ。ノイズの少ない、良い録音の状態で力強い肉声を聴けるのだが、なにぶんロシア語なので、最初はどう受け止めてよいやら。

ただ、うまいことに元の持ち主が、内封のクレジットに日本語訳を書き込んでくれていた。


革命からソ連の成立までの間、内戦の時代の録音

以下、メモのままを。

【A面】
〈1919年〉
○全ロシア中央執行委員会議長、同志ヤコフ・ミハイロヴィチ・スヴェルドロフの追憶
○第3共産主義インターナショナル
○ベラ・クンとの無線による交渉についての報告
○赤軍へのアピール
○ソヴェト権力とはなにか?
○どのようにして勤労者を地主と資本家の抑圧から永久に救いだすか

【B面】
〈1920年〉
○運輸のための活動について
○労働規律について

〈1921年〉
※2つあるが、これは日本語訳のメモは無し

各タイトルに「29」「30」の番号とページ数が添えられているのは、『レーニン全集』との対照だろう。
たぶん大月書店から昔出ていた、40巻以上の版。学生時代に神保町の古書店に入るとよく、棚の上のほうにドーンと、新入りの布団を奪って寝転ぶ牢名主のように控えていたやつ。僕は手に触れもしなかったけれど、風景のひとつとして覚えている。

元の持ち主は、きっと若い頃(昭和30年代後半)に全集を月賦で買ったのだ。僕が本盤を買ったのは、国鉄の工場があった辺りの街の店だから、勤めもそうだったのでは。
昼間は油にまみれて働き、夜は重たくなる瞼をこすりながら、1ページずつ頑張って読んで。そんな時にレーニンのレコードを見つけて。組合活動もしないといけないのに、辞典と首っ引きで、演説と著作の内容を照らし合わせる作業は大変だっただろうなあ……。

メモの字を見ているだけで、初期の山田洋次バイアスかかりまくりの妄想が走ってしまう。
ともかく、本盤で真摯に勉強した人は確実にいたのだ。古書や中古レコードの書き込みに抵抗がある人はいるでしょうが、僕は見知らぬひとの人生の一断面に触れるようで、嫌いではない。


1919年から1921年にかけてといえば、ロシアはまだまだ動乱の最中にあった。
1917年の十月蜂起で、ソヴィエト(革命派の議会のこと)が政権を握ったものの、待っていたのは諸国の軍事的干渉、反革命勢力(白軍)との内戦。課題は山積み。
しかもレーニンは1918年に政敵に狙撃され、負傷の後遺症で健康を崩している。内戦が一段落し、ソヴィエト社会主義共和国連邦=ソ連が成立したのは、本盤の録音の翌年、1922年のことだ。そしてこの年、レーニンは発作で倒れ、政治の表舞台から徐々に姿を消すことになった。

本盤はいわば、ロシア革命の最高指導者が現役バリバリだった最後の3年間の、声の記録。どんなことを言っていたのだろう。

▼page2 「社会主義は労働者を裏切らない」に続く