【連載】「ワカキコースケのDIG!聴くメンタリー」第24回 『LENIN SPEECHES RECORDED 1919-1921』

革命までの理想と、勝利の後の現実

今回、とても『レーニン全集』というわけにはいかなかったが、レーニンの著作を少し読んだ。

『世界の名著52 レーニン』(1966・中央公論社)に収録の「貧農に訴える」(日南田静真訳/1903)と、『帝国主義論』(角田安正訳/1916-2006・光文社古典新訳文庫)。
さらに、『世界の名著52 レーニン』をまとめた江口朴郎の、同著収録の「レーニンと現代の課題」。この評論がずいぶん理解の助けになった。
その上で、説明したいことの結論から言う。レーニンの時代と今は、モノサシ自体が違うのだ。

レーニンが青年だった19世紀末は、帝政ロシアでも飛躍的に資本主義が広がった時代だ。重工業の発達に伴い、都市部では新たな無産階級である工場労働者が増えていた。
一方で農村地帯の農民は、1861年の農奴解放令で貴族や領主の支配から放たれた後も、変わらず貧しさにあえいでいた。正当な権利を与えられず、自分の馬や土地を持てないことには、いくら働こうと楽にならないのだと、むしろ農奴解放によって搾取の構造が明らかになった。
農業国がそんな実態なのに資本主義が促進されたら、ますます資本家だけが進歩的役割を担い、後進的な地域は取り残されていくばかりだ。ただでさえ資本主義は独占に傾きやすく、民衆の生活向上はすなわち資本家の利益減少につながる、根本的な欠点を抱えている。果てには金融資本が国を支配する、帝国主義に発達するだろう。
だから、労働者と農民はプロレタリアートとして連帯し、要求を認めさせよう。ブルジョワによる政府を倒し、自由な社会条件で生きる権利を掴もう。人民主体による民主主義を実現し、そこから社会主義へと段階的に発展していこう。

これがレーニンと、レーニン率いるボリシェヴィキ(マルクス主義を理論的根拠とする社会民主労働党の一派)の、革命までの基本的な考え方だ。
僕らは選挙権が平等にあり、健康保険などの制度が当たり前としてある国で生きている。それが一体、いつから当たり前になったのかは、イデオロギーの好き嫌いを抜きにして、誰でも一度は考えたほうがいいだろうと思っている。

しかし。政権の最高指導者になれば、全て理想通りにはいかない。
本盤が録音されている3年間のうちにレーニンは、戦時でやむを得ないといえ、農村から農産物の強制没収を行った。そして、政敵の裁判無しでの処刑を行っている。先述のトロツキー『レーニン』によれば、1917年の時点ですでに、それ位やるようでないと革命は徹底できない、と譲らなかったそうだ。その断固たる姿勢は、後継者のスターリンや戦後のクメール・ルージュの、粛清のお手本となった。

ベロワさんは今回、レーニンの録音が革命後の内戦の時期だったのを、歴史の授業で厚く学ぶ機会が少ないのでとても面白かった、と言ってくれた。そして、現実に国民はどんな気持ちでレコードを耳にしたのか、レーニンの声はどれだけ民衆を団結させたのか、多少は疑問にも感じながら訳したそうだ。


何百万という労働者がまるで一人の人間であるかのように」

もう一つ、ベロワさんに訳してもらった演説を紹介しよう。
1920年に吹き込まれた、B面のトラック2「労働の規律について」。

「なぜ我々は世界中の資本家からの支援を受けたユデーニチや、コルチャク、デニーキンといった白軍の将校に勝つことができたのか?
なぜ我々はこれからもこの困難な時期を乗り越え、産業と土地の分配を立て直すことができると堅く信じているのか?
我々が地主と資本家に打ち勝ったのは、赤軍の兵士、労働者、そして農民の一人ひとりが、これは自らの生死に関わる戦いであると自覚しているからだ。
我々が勝ったのは、労働者階級と農民階級のうちの最良の人々が皆この搾取層に対する戦争において、類稀なるヒロイズムを発揮し、勇敢さによる奇跡を幾度となく引き起こし、これまでに見ぬような喪失にもくじけず、自らを犠牲にして、後悔なく裏切り者や臆病者どもを倒したからなのだ。
そして今我々は、混乱した時代に勝つこともできるとはっきり信じている。なぜなら、全労働者階級と農民階級の最良の人々が、あの時と同じような覚悟とヒロイズムをもってこの立て直しの事業に立ち上がろうとしているからだ。
そして、このように何百万という労働者がまるで一人の人間であるかのように団結して、最良の人々に導かれて進むとき、勝利は確実なものである。
裏切り者は軍から追放された。今我々は彼らに向かって言おう、
『裏切り者よ出ていけ!自分の利益のみを追求し、仕事をさぼろうとする者は出ていけ!勝利のために必要な犠牲を恐れる者も出ていくが良い!』
労働の規律よ、ようこそ!労働に熱意を!労働と農業に全力を傾けよう!
赤軍の最前線で命を落とした者たちに栄光あれ!
自らの後ろに何百万もの労働者を携え、全身全霊を持って労働の最前線を進む者に、永遠の栄光あれ!」

「ソヴィエト権力とは何か?」と同じく堂々とした言葉の連なりのようで、読むとやはり、違う。何かが濁っている。締め付けてくる感じがある。
レーニンはもうこの頃には、世界のインテリゲンチャの胸を熱くさせた「民衆の中に身を置く英雄」からは変容しているんだな……と理屈より先に、細胞が感じる。


だからレーニンを否定する、というわけにもいかないのだ。僕の中には、劇作家でもないくせに大構えで人間を見たい回路があって、振幅の大きな人物に気が行く。

「個人としては感情的に人と接することは少ない人物だった」という証言を読んだ。確かに、しばしば対立してきたトロツキーの才能と実行力を買って腹心に迎える、度量と合理性があってのロシア革命の成功である。一方で本人は「残酷な行為も歴史的大義のためには避けられなかった」と、生前に述懐しているそうだ。

ロマン・ロランやゴーリキーといった文人との交際を大事にし、しかし革命後は自ら袂を分かった。こういう逸話を読むと、どうしても、シンとしたものが胸に残る。

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