「社会主義は労働者を裏切らない」
ひょんな縁からイベントを手伝ってくれることになった若い女性が、ロシア語が出来る後輩の大学生を紹介してくれた。
ニーナ・ベロワさん。ロシア語が分かるどころか、ご両親ともにロシア人で。仕事の関係でずっと日本に住んでいたから、ベロワさん自身は生れも育ちも日本。つまり、ヒアリングは出来て日本語の翻訳文も書けるという。嘘みたいに要望にピッタリ。
とはいえ、翻訳を頼むのは少し迷った。
だって、ペレストロイカ以降に生まれたロシアの女の子に、「レーニンの演説レコードを聴いてみて」なんて。そんなにカンタンには言えませんよ。レーニンなんて、旧体制の暗黒時代を象徴する、嫌悪の対象かもしれないし。以前、会津のある老人が、客人が長州出身と知ると未だに顔色を変える話を聞いて、ギョッとしたことがある。歴史の傷は、どんなさわり方をするか想像できない。
ところがベロワさん、とてもクレバーだった。虚心でレーニンの肉声に接したい主旨を、すみやかに諒解してくれた。
訳してもらった中から、彼女が「一番本質的な話をしているのでは」と推してくれたものを、全文紹介する。
A面のトラック5、「ソヴィエト権力とは何か?」。
「ソヴィエト権力とは果たして何であるか? 国内の大部分が未だに理解できない、またはしようとしないこの新しい権力の本質は一体何であろうか? 各国の労働者たちを惹きつけてやまないこの権力の本質は何であるか?
それは、今まで国家というものは金持ちや資本家に支配されていたが、今、歴史上はじめて、今まで資本主義が見下していた人たち、そう、国家の大部分を成す人たちが権力を持っているということなのだ。地球上最も民主的な国でも、最も自由な国でも、資本主義が力を持っている限り、また土地が私的に所有されている限りは、国家は少数の者たちに支配されているに過ぎない。そしてそれらの支配者10人のうち9人は資本家か金持ちから成っているのだ。
我々の国家ロシアでは今、世界で初めて、搾取的な権力者を除いて労働者だけが、勤勉な農民だけが、ソヴィエトという大衆組織を作っている。そしてこのソヴィエトこそ、国家運営の全権力を持っているのだ。だからこそ「ソヴィエト」という言葉は今や世界中で理解されるだけでなく、労働者に最も愛される言葉となったのである。世界中のブルジョワがなんと言おうと関係ない、これが現実なのだ。そしてだからこそソヴィエト権力は、各国の反共産主義者がなんと言おうと、近い将来必ず全世界で勝利するのである!
我々の組織運営に多くの問題点があることは我々もよく理解している。残念ながらソヴィエト権力は万能の護符という訳ではない。というのも、過去の過ちをすぐに直すわけではないし、識字率の低さや、教育の欠落、野蛮な戦争の傷、そして共有財産をことごとく強奪した資本主義の名残といったものは、数日で解決できるものではないからだ。しかし、ソヴィエト権力のおかげで我々は社会主義に移行できる。ソヴィエト権力のおかげで、今まで搾取され見下されてきた者たちが立ち上がることができる。ついに彼らが、家計を、工業生産を、そして国家の運営を全て自分の手で行うことができるのだ! ソヴィエト権力は社会主義への道であり、社会主義は国家の大多数である労働者が選んだ結果である。だからこそ社会主義は裏切らない。だからこそ社会主義は不滅なのである!」
革命の必要を簡潔に説き、そして、これからのロシアはプロレタリアート(労働者階級)こそが主体なのだと鼓舞する。アジテートのお手本のようなスピーチだ。
広い国土に向けて、いかに革命の意義を伝えるか
内容が分かった上で改めて聴くと、レーニンのカリスマ性はよく分かる。早口だが重心は低く、絶叫調にはならない。確信を持ってズイズイと押していく。本来はマルクス主義を学ぶ思想家・著述家で、社会主義革命の理想を唱えるうち、実現できるタイミングが訪れた―という順番の人なので、知的な裏打ちがある。ひらたく印象を言うと、怒ると怖いけどマジメな子、誠実な子には優しい、頼もしい先生という感じ。
それにしても、1919年になってなぜまた、こんな基本的な話を吹き込んだのか。
盟友のトロツキーが1924年に発表したレーニンとの回想録、『レーニン』(2004・光文社古典新訳文庫)にはこんな記述がある。
「十月革命の後、写真家や映画撮影隊が何度となくレーニンを撮影した。彼の声は蓄音機のレコードに録音された。彼の演説は速記されて印刷された」(森田成也訳)
1917年にソヴィエト政権が樹立したものの、その時点では、革命に勝利した地はまだ都会のペトログラードとモスクワだけ。そこから、広大な農村地帯に革命の意義を周知させていく、気の長い作業が始まったのだ。なにしろ、テレビはおろか、ラジオ放送もまだ試験段階だった時代の話である。
映画のほうではこの時期、ジガ・ヴェルドフらが籍を置くモスクワ映画委員会がニュース映画―反革命勢力や外国との闘いと勝利を描く―をどしどし作っては「扇動列車」で各地に運び、上映したことが、エリック・バーナウ『世界ドキュメンタリー史』(近藤耕人訳/1978・風土社)の記述で知られている。
フィルムを運んでプロレタリアートの団結を促す「扇動列車」には、移動中に新聞や雑誌を発行できるように印刷機まで積み込まれていたそうだから、当然、レーニンの演説レコードや蓄音機も荷物のうちだったはずだ。
だから、革命から2年経ってもレーニンは蓄音機の吹き込み口の前に立ち―しかし心は、ロシアで何が起きたのかまだよく分かっていない遠い地の農民に向けて―、ソヴィエトとは何かを、飽くことなく一から説いた。前年に撃たれた傷が完治していないことを考えると、雄牛のようなスタミナだ。
とはいっても、社会主義こそが最善、資本主義は悪、と言い切っている演説だから。イデオロギーの偏りに嫌悪を感じる人は、とても読んでいられないだろう。その生理は僕もよく分かる。ここは少し説明させて下さい。
▼page3 革命までの理想と、勝利の後の現実に続く