【連載】ポルトガル、食と映画の旅 第6回 ミーニョの旅の実り text 福間恵子

地方名は、大文字アルファベット・赤字で記しました。

ポルトガル、食と映画の旅

第6回 ミーニョの旅の実り

2005年2月から3月にかけて、2週間の旅程で北部ミーニョ地方(Minho)をひとりで訪ねた。ミーニョは、リスボンに次ぐポルトガル第二の都市ポルトの北に位置する地方で、ポルトガル建国に由来する歴史ある町が集まっている。

ポルトガルのガイドブックを見ると、そこに掲載されている町は、リスボン以北の大西洋側に位置するところが約7割を占めていて、内陸部は極めて少ない。ポルトガルという国を端的に表わしている構図でもある。北から、ヴィアナ・ド・カステロ、ブラガ、ギマランイシュ、ポルト、アヴェイロ、コインブラ、ナザレ、オビドス、シントラ、リスボンなどが、いい間隔を取りながら大西洋岸近くに並んでいる。ポルトガルのツアー旅行の基本は、これらの都市のほとんどと、内陸部代表の世界遺産の町エヴォラを加えて1週間でめぐるというもの。チャーターされたバスでまわることを思えば、さほどハードなスケジュールではない。

じつは、それぐらいポルトガルは小さな国といえる。が、反面で、小さいけれども大きい=狭いけれども広いともいえる。面積は日本の約4分の1。南北に約550キロ、東西に約200キロの細長い国土は、大西洋岸と内陸部、北部と中部と南部で、歴史も風土も文化もずいぶん異なり多様である。そして、大西洋岸の南北は交通の便が発達していて、内陸部はきわめて悪い。それは交通だけの話ではないだろう。狭いけれど広い、とはそういうことだ。ついでに人口のことをおおまかに。ポルトガル全体で1030万人。リスボンが56万人、ポルトが24万人、ブラガが18万人、大学都市のコインブラが14万人、エヴォラが6万人というところだ。

ミーニョ地方の入り口あたりの町にリスボンから入り、その後は移動を重ねて9つの町をかけめぐるという忙しい旅を計画した。かつての貴族たちの屋敷が保存され、かれらの荘園が宿泊施設になっていたりするという「高貴」な土地。そのミーニョの文化と食に出会うことが一番の目的だった。そのなかで、気に入って2泊ずつしたアマランテとミーニョの中心地ブラガについて書いていきたい。

アマランテは、ポルトの東50キロほどのところにある、人口5万6千人ほどの小さな町。その歴史は古く、紀元前4世紀ごろからローマ人が住んでいたと言われている。

リスボンからバスで5時間。この経路のバスは一日3本しかない(ポルトからはもっとたくさんある)。リスボンを午前10時に出発したバスは、大西洋に近い内陸を南北に走る高速道路を北上し、コインブラを経由して午後3時過ぎにアマランテに到着した。

アマランテは、スペイン北部のガリシア地方を源流とするタメガ川のほとりの谷間にある町で、まわりは低い山に囲まれている。このタメガ川は、ドウロ川に注いでいる。

町に近づくと、バスは急に下っていって、川が見えてきて、町が現われたと思ったらバスターミナルに着いた。よく晴れていたけれど、空気はひんやりと冷たい。川にかかる古いローマ橋と対岸の古い街並みを見たとき、この町はいい、直感的にそう思った。

アマランテのローマ橋と町

宿は目星をつけていた。というのもポルトガルに詳しい友人に、その宿はカフェも兼ねていて週1回の割合で、とびきり美味しい鶏の臓物ごはん(Cabidela、カビデーラ)を出すと聞いていたからだ。アマランテに来た大きな目的は、じつはそれだった。

カビデーラは、鶏の肉も内臓も血も入れて煮込み、そこに米を加えた「リゾット」みたいな料理。血が新鮮でないと作れないから、どこのレストランにも毎日あるというものではない。つまりなかなか出会えない料理である。見た目はこげ茶色の雑炊という感じで、美しいとは言えないものだ。しかし、これぞポルトガル! と思えるところがあって、食べたい料理ベスト5のひとつだった。

2月の終わり、谷間のこの町は観光客もほとんどいなくて、その宿レジデンシアル・プリンシーペも空いていた。部屋は広く、バスルームには浴槽もついていて15ユーロ。朝食はつかなかったが、この値段、言うことなし! 寒い季節、風呂好きのわたしたち日本人にとって、シャワーだけでなく浴槽があるのは何よりもうれしいことだ。

ここの女主人にすかさず尋ねた。今週はメニューにCabidelaがありますか? 「あら、よく知ってるわね。いつもは水曜か木曜に作るけれど、材料が手に入るかどうかだわね」と言われた。

橋を渡った方の古い町をひとまわりしてから、ここに2泊しようと決めた。建物も人の気配も落ち着きがあって、飾らない美しさがある。市役所のそばにある修道院を改装した美術館も、モダンながらこの町によく合っていた。そして翌日の水曜日には、市が立つというので、これまた逃してはならぬと思った。この市で鶏を手に入れて、宿の女主人がカビデーラを作ってくれることを祈った。

 夕食は、宿のカフェはもう閉めるからと言われて、お薦めの食堂を教えてもらったのに、ちがう店に行ってしまった。店の名前をEstrela(星)と言われたのを、Estoril(リスボン近くの地名)とまちがえた! そのレストランEstorilには客は誰もおらず、かつそこもまたレジデンシアル(ホテル)であることがわかって、わたしは焦った。が、笑顔の夫婦が「さあさあ」と迎え入れてくれたので、いささかひきつった笑顔を返して席に着いた。かくして、野菜のスープと魚のフリートと赤のヴィーニョ・ヴェルデを注文した。料理が運ばれてスープをすすっていると、隅っこのテーブルで夫婦もまかないを食べ始めた。ひとりで旅をしていて、食事時間を少しはずれて食堂に行くと、こういう場面によく出くわす。そして「まかない料理」の方がおいしそうに見えたりする。いや、もちろんスープも魚もおいしかったのだが。

「どこから来たの?」「どこに泊まってるの?」「アマランテは気に入った?」とお決まりの質問をされる。食堂でひとり食べる食事にはこんなおまけが付いてきて、ときどき味の記憶がおろそかになったりする。でも、人のあたたかさを感じるひとときだ。

季節はずれの谷間の町は、夜もしずかに更けていく。

初めての土地に行って、わたしが必ずすることの第一は市場に行くこと。次に、滞在中に市(Feiraフェイラ)が立つならば必ず足を運ぶこと。売られているものはもちろんだけれど、そこで売る人と買いにくる人を見ているのが好きだ。小さな町の市では、野菜も食べ物も衣料品も鍋釜も古道具も、あらゆるものが売られている。近郊の村で自分が育てた野菜や鶏や(生きたまま)卵やソーセージ、お手製のパンやお菓子などが、ずらりと並ぶ。その景色と集う人々を見ていると、その町がどんな町なのかが少しずつ見えてくる。

朝起きると朝食までの間に、身体をほぐすことも兼ねて、町をひとまわりするのが習慣。アマランテの朝は、川もやに包まれて幻想的だ。古いローマ橋のすぐ上流には、左右2車線ある幅広い橋があり、そこに立つと町がほぼ一望できる。その橋を渡って対岸の大外をまわる道路脇の空き地では、もう市の準備が始まっていた。テントを建てたり、トラックやワゴン車から野菜や食料をおろしている。道路を隔てた向かいには、3日後に迫った総選挙(ポルトガル議会選挙)の大きな看板が並んでいた。そういえば、リスボンからのバスの道中でもたくさん見かけた。町の中心に戻ってくると、いたるところに各候補者や「VOTE」(投票を)というポスターが目立っていたことに気づかされた。

宿のカフェで朝食をとり、まずは市から始まって、この町をたんねんに歩いた。アレンテージョ地方では見られない木で出来た3階建ての家があり、それがこのシックで落ち着いた町によく合っていた。北に来たことを実感する。

市に並んでいた野菜は、大根もカブも菜の花もキャベツも、ひとまわり小さくすれば日本のものと同じ。大根はどんな味がするのだろう、どうやって調理するのだろう。そんなことを思いながら、おばちゃんたちがにぎやかに買い物する姿を見るのはほんとうに楽しい。

市(フェイラ)に並んだ野菜たち

▼page2に続く