【連載】ポルトガル、食と映画の旅 第6回 ミーニョの旅の実り text 福間恵子

翌2月20日日曜日は、総選挙の投票日だった。ポルトガルの政治のことなど、チンプンカンプンだったが、新聞を買った。いく先々で見てきたPS(Partido Socialista、社会党)の書記長ジョゼ・ソクラテスの写真が大きく載っていた。

ポルトガルの議会は、日本のように二つあるのではなく一議会で230議席。この総選挙まではPSD(Partido Social Democrata、社会民主党。日本で言えばかつての自民党にほぼ匹敵)が政権を握っていた。今回は社会党PS(日本の社会党か?)がかなり力を伸ばしているらしい。宿の若い主人に選挙についてすこし尋ねてみた。投票所は日本と同じように、役所や学校など。今回は絶対PSが勝つよ、と言った。彼はきっとPSを支持しているのだろう。

よく晴れたブラガの街はふだんの日曜日という感じで、家族連れがのんびり散歩していた。夕方になると中心にある広場に椅子が並べられて、マイクやスピーカーが準備されはじめた。もしかしたら、ポルトガルの政権が交代する歴史的な(?)瞬間に立ち会うのではないかと、ちょっとドキドキしてきた。それでも街は静かなものだった。

夕食は、人がたくさん入っている庶民食堂という感じのところに行った。カウンターに座る。メインメニューに、ドブラディーニャDobradinha(ドブラーダDobradaの縮小辞、料理名には縮小辞がよく使われる)があった。尋ねると、トリッパス・ア・モダ・ドゥ・ポルト Tripas à moda do Portoのことで、ミーニョではドブラーダって呼ぶんだよと、てきぱき働いている笑顔の青年が答えてくれた。おお、出会えた! トリッパスのポルト風煮込み。Dobradaの意味は、牛の内臓あるいは内臓の煮込み。ここのドブラディーニャは白インゲンとトリッパス(牛の胃、日本ではハチノスとも呼ばれる)を煮込んだもの。これにたっぷりのライスがよそってある。このメイア・ドーゼと赤のヴィーニョ・ヴェルデを注文、4.75ユーロ。

ドブラーダ(トリッパスと白いんげん豆の煮込み)

この料理にはおもしろい話がある。ポルト生まれのポルトガル語の先生から教わった。15世紀からの大航海時代、エンリケ航海王子はじめ多くのポルトガル人たちがポルトから大海へ出た。長い航海のための保存食として、牛や豚の肉を塩漬けにしたり干したりして持ち込んだ。大量に出た残りの内臓などをどうしたか。

「当時、肉は庶民の手には入らないけど内臓はたくさん残ったでしょ。それを工夫してこんなおいしい料理にして、ポルトの名物になったのよ。北に行ったら、必ず食べてね」と先生は言った。北の地方で必ず出会う料理で、お店によっても各家庭によってもそれぞれ自慢の味があるらしい。そして、今はもう言われなくなったが、ポルト人のことを「トリペイロスtripeiros」(トリッパスの人)と皮肉的に呼んだそうだ。

ここのドブラーダはクセのないやさしい味で、とてもおいしかった。家庭でふつうに作られるような料理に、ふつうの食堂で出会える。これこそがポルトガルの食のすばらしいところだ。おなかも心も満たされて外に出ると、通りはたいへんな騒ぎになっていた!

社会党PSの旗が、車から人の手から家々の窓から、喜びにひるがえっていた。ちょうど夜9時をまわったところ。選挙の開票がはじまり、PSの勝利が届いているのだ。クラクションが鳴り響き、人々は通りに出て走り回り、広場にはぞくぞくと人が集まってライヴ演奏が始まっている。広場近くのPSの事務所の前、大判ポスターのジョゼ・ソクラテスの顔が、選挙前より笑っているように見える。こちらも興奮してきた。

宿に戻って、テレビをつけた。リスボンからの中継が映されている。開票は完了していないが、各地でPSが大差をつけて勝利したと、アナウンサーが興奮してしゃべっている。窓を開けて下の通りを見れば、PSの旗を振りながら歩く人々がまだたくさんいた。

選挙勝利に沸き立つブラガの社会党PS事務所前。看板の人が党首ジョゼ・ソクラテス。

翌朝も新聞を買った。開票結果が出ていて、全土の行政区ごとにPSと社会民主党PSDの勝敗が色分けされた地図が載っていた。中部以南はほぼPS一色。中部以北ではPSDが勝った区が増えるが、数字を見ると接戦のところが多かった。リスボンもブラガもPSの得票率はPSDの2倍近く、つづいてポルト、コインブラと並ぶ。大都市でPSが圧勝している。北部ブラガンサやヴィゼウでは接戦の末PSDが勝っていた。この構図は予想したとおりで、歴史と伝統とカトリックの強い北部に、根強くPSDの支持があったということだ。ミーニョの中心ブラガで、PSが強かったのは意外ではあったが、ブラガがギマランイシュのような歴史的美観都市ではなく、政治の中心であることの反映なのだろう。230議席中121議席をPSが取って、政権が逆転した。

ポルトガルは、40年続いたサラザールの独裁が1970年に終わり、1974年の軍事クーデター「カーネーション革命」以後、社会党や中道右派が短期間で政権交代する混乱がつづいた。その後1983年からは、社会党と社会民主党が拮抗するかたちで交互に政権を握り、2005年の総選挙の前は社会民主党政権が3年間あった。ジョゼ・ソクラテスの社会党政権は2011年まで続き、その後ふたたび社会民主党が取り、2015年から現在まで社会党が政権を握っている。

2005年から2011年まで首相を務めたジョゼ・ソクラテス。ポルトガルに行くたびに、テレビで彼の姿と演説を何度も見た・聴いた。人を引きこむ語りのうまさと言葉の明快さ(ポルトガル語学習になるのだ)に、わたしも夫もファンになった。

しかしソクラテスは、首相時代の脱税・汚職などの罪を問われて2014年に逮捕され、1年以上の刑務所生活を送った。逮捕されたとき、ちょうどポルトガルにいたので、マスコミがこぞって過剰な報道をしたのをつぶさに見た。国民の反応もとてもきびしかった。無理もない、元首相の逮捕なのだから。けれども、国民の反応のきびしさの裏には「ソクラテスはゲイである」という揶揄が含まれていたように思えた。テレビに映る彼を見ては、「おかまのソクラテス」と下品にあざ笑う人たちをあちこちで見かけた。同性婚法が2010年から施行されたこの国においても、差別意識の根は深い。

ソクラテスがふたたび表に登場して、過去の自分の潔白を主張していると、ポルトガルの新聞web版はこのところ頻繁に報道している。

さて、実り多き旅の終わりは、いつものようにリスボン。最後の夜、あろうことかカビデーラに出会えた! そのころの定宿だったアメリカーノからすぐ近くの小さな食堂。何気なく通りかかって、貼り出してあるメニューを見て、小躍りした。メニュー名は「Galo Capas de Cabidelaガロ・カパス・デ・カビデーラ」。鶏まるごとカビデーラ。骨も内臓も血もすべて入っていた。とびきり美味しかったのは、言うまでもない。もちろんメイア・ドーゼを注文したが、食べきれなかった。レタスのサラダと赤ワインのハーフで6.70ユーロ。1000円以下。

この幸運を皮切りに、リスボンの下町庶民食堂の実力を知らされるのはこれからである。

リスボンの下町食堂で出会えたカビデーラ

(つづく。次回は5月5日頃に掲載します) 

【訂正】
第5回「リスボンのシネマテカ」本文後半、ミゲル・ゴメスについて記しているなかで、「自分にふさわしい顔」(2004)について、日本未公開としましたが、誤りでした。2013年7月に行なわれた特集「ポルトガル映画の巨匠たち」で、上映されていました。
たいへん失礼いたしました。おわび申し上げます。

福間恵子 近況

福間健二監督第1作『急にたどりついてしまう』デジタル化と、第5作『秋の理由』DVD発売を記念して、5月20日(土)から1週間、ポレポレ東中野にて「福間健二映画祭」(仮題)を行なうことが決定! 詳細は追って告知していきます。ご期待ください!