【連載】「ポルトガル、食と映画の旅」第9回 ニコの食堂 text 福間恵子

ポルトガルと長いつきあいになる前は、スペインに通いつめた。1986年ごろから8年ほどかけてほぼ全土をまわった。そのころ、スペインのどんな田舎に行ってもバルがあり、ありがたい存在だと思っていた。朝から晩まで、コーヒーもお酒もパンもつまみもあり、一皿料理だって出してくれる。当時(今は知らないが)スペインのレストランのお得なランチは昼だけだったから、ランチとバルがあれば旅の食には困らないし、安くあげられると思ってきた。

ポルトガルに通いはじめて、スペインのバルに匹敵するものがカフェだと思い込んでいたら、ずいぶん違うものだとわかってとまどった。

その違いは、おおざっぱに言うとこういうことだ。スペインのバルは食事の前に飲んでつまむところで、食事はレストランや家庭でしっかりとるもの。ポルトガルのカフェは飲んでつまむこともできるが、そのつまみのヴァリエーションは少なく(野菜類はほとんどない、揚げ物などをサンドイッチにしたりもするが)、それを通過せずに「定食」で飲むことも食べることもまかなうところ。つまり、定食を出すポルトガルのカフェは、ちゃんとした食事の場であるということ。わたしが「食堂」と呼ぶのはそこからきている。この定食はとてもリーズナブルではあるけれども、その量は並ではない。昼も夜もなんてとても無理だ。そのことも含めて、「食堂」とうまくつきあえるまでに時間がかかった。かかった時間は、ポルトガルとスペインという国の違い、ひいてはポルトガルという国を考えることにつながった。

かつて(いまも?)差別的に言われた「ピレネーの向こうはアフリカ」のイベリア半島の二つの国は、ヨーロッパの貧しい二つの国だ。どちらもカトリックの国で、「食べるために生きる」国民であることは同じ。けれども、とりわけEUに入ったあたりから、あきらかにスペインの方が豊かである。だから、古い慣習そのままに、バルでつまんでから食事をとる余裕がある。貧しいポルトガルでは、まっとうな食事をとってお腹を満足させる食のあり方が定着している。それをささえているのが「食堂」だ。

ニコの食堂に通うことをとおして、教えられたことのひとつである。とても単純で感覚的な見方だけれども、たぶんまちがっていないと思う。


ニコの食堂は、調理場もカウンターの中も入れて、幅2〜3メートル、奥行5〜6メートルというところだろうか。広く見ても18平方メートルぐらいの小さな店だ。そこにカウンター席が5つ、4人掛けの小さいテーブル席が5つという具合。25人入るともう身動きできない。朝7時に開店して夜9時に閉める。朝のいわゆる「カフェ」である時間は、ニコがひとりで切り盛りして、お兄さんは仕入れをしてきて「定食」の仕込みをする。ニコも手伝う。お昼は11時半頃から、客がやってくる。14時ぐらいまではほぼ満席状態が3サイクルぐらいある。15時ぐらいで一段落してから、「カフェ」状態がしばらくあって、18時すぎ頃からまた夕食の波が21時までつづく。

客はサラリーマン風の人は稀で、いわゆる肉体労働者が多く、だいたいは近くからやってくる人たちだ。大きな病院がすぐ近くにあるので、そこの看護士さんや医師も制服のままでよく来る。土木作業着を着た人、近所の小売店主、杖をつく老人、貧しそうな青年や黒人の人たち。この店の古いファンだという夫婦が2週間に一度ぐらいの割合で遠くからやってきたりもする。旅行者が迷いこむことはほとんどなく、たまにあるとすればここに来たことのある地元の人が連れてきたりしてのことだ。いずれにしても、ニコの店で金持ち然とした人を見たことはない。

ホールを仕切るニコは、動きも客への采配も機敏そのものでムダがない。飲みものを用意しながら客の世間話に応じるし、きのうのサッカーの試合にも大声でひと文句つける。お年寄りが来れば、体を支えて席につかせる。タッパー持参でスープや煮ものを持ち帰る常連客にも「じいちゃん元気か」と声をかけて対応する。あらゆる仕事をこなしながら、出来上がった料理をテーブルに届けるまでに、10分以上待たせることはない。調理人のお兄さんとの連携は、すばらしいを越えるほどのものだ。そして、なによりも大事なこと。ほんとうにおいしくて、安いのだ。

そんなニコの食堂が好きで集う人たち共通の気持ちが、お互いにゆずりあい、笑顔をかわして、食事の時間を楽しむという空気を生んでいる。

そのなかに、わたしも夫も違和感なく混ぜてもらっている。ニコはテーブルに料理を運びながらでも、相席になった人たちにわたしたちのことを「うちにずっと来てる日本人」と紹介してくれる。ニコの食堂で、東洋人、とりわけ「豊かな」日本人ということで、嫌な思いをしたことは一度もない。

ニコには11年の間に、40回近く行った。季節によってメニューは変わるけれども、ニコの料理の個性はずいぶんわかってきたし、同じ料理も何度か食べてきた。ここの料理を手本にして、日本に戻ると舌が忘れないうちにせっせと再現する。

ニコの料理に限らず、ポルトガル大衆料理には付けあわせに基本があり、とくにジャガイモははっきりしている。肉にはフライドポテト、魚には茹でジャガイモ。この定番に、ニコの場合はにんじんごはんや茹で野菜やサラダなどが付くのがふつうだ。煮込みものの場合は、野菜も肉もときにはパスタも入っているから、その一品のみとなる。パンはもちろんどの「定食」にも付く。これに飲み物とデザートやエスプレッソを加えての勘定。ひとりだと5〜6ユーロ、ふたりだと11〜最高15ユーロ(15にもなることは滅多になく、そのときはワイン飲みすぎか珍しくデザートを食べたとき)。7月のある日のニコのメニューを書き出してみる。魚も肉もたくさんのメニューがあった日だった。1ユーロは日本円で125円前後というところか。

PEIXE(魚)

・タラと皮つきジャガイモのオリーブオイルオーブン焼き  4.25€

・ヒラメのムニエル+ごはん+サラダ           3.75€

・太刀魚のムニエル+ごはん+サラダ           3.75€

・サケのグリル焼き+茹でジャガイモ+サラダ       4.25€

・黒ダイのグリル焼き+茹でジャガイモ+サラダ      4.25€

・アジの塩焼き+スペイン風ソース            3.75€

・メルルーサの煮込み+ジャガイモ+モロッコインゲン    4.25€

CARNES(肉)

・チキンとジャガイモのオーブン焼き           3.75€

・子牛のあばら肉グリル焼き+フライドポテト       5.50€

・羊のあばら肉グリル焼き+フライドポテト        4.00€

・豚のあばら肉グリル焼き+フライドポテト        3.75€

・ポルトガル風豚レバー+フライドポテト         3.75€

・豚バラ肉グリル焼き+フライドポテト          3.75€

・豚モモ肉グリル焼き+フライドポテト          3.75€

・牛モモ肉グリル焼き 目玉焼きのせ+フライドポテト    3.75€

・ミランダ風ソーセージ+フライドポテト         3.75€

写真3 ニコの店の外に貼りだしてあるメニュー。

写真4 黒ダイのグリル焼き+茹でジャガイモ。かなり大きい黒ダイを2枚おろしにして、焼いてある。

写真5 牛モモ肉グリル焼き 目玉焼きのせ+フライドポテト、ポルトガル名物「Bitok ビトーク」。ニコのは肉が見えない!ポルトガルの牛肉も豚肉も昔の味がして、この旨さはやみつきになる。

貼りだしていないことが多いが、「今日のメニュー」があり、それは決められた魚と肉のどちらかのメニュー1品にスープ、飲みもの、コーヒーを付けて5ユーロで、お得だ。

この日の肉メニューは、グリル焼きヴァリエーションがほとんどだが、肉と野菜の煮込みや内臓の煮込み、そら豆やインゲン豆の煮込みやリゾットのようなものもある。魚メニューでは、イカのグリル焼きや小アジのから揚げ、タラとひよこ豆の煮込みなどもよく出される。

デザートを注文する人は多くはないが、それでも焼きりんごやライスプディング、くだものが用意されている。たぶんどれも1ユーロ。ビールは250ccビンが0.75ユーロ、ワインは白も赤も500ccピッチャーが1ユーロ。食事のときはほとんどの人がワインで、ビールを頼む人は少ない。ニコの飲みものも「定食」もデザートも、値段はこの10年間、たぶん変わっていない。夫と二人で(どちらも酒飲み)毎回12〜14ユーロ、日本円で1700円ほど。奇跡のような値段だ。

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