左から三浦崇志監督 大力拓哉監督
2007年のデビュー作『タネ』からコンビを組み、大阪を拠点にして毎年のように作品を発表し続けている大力拓哉と三浦崇志。国内では映画祭以外でほとんど上映されてこなかった彼らの代表作2本、『ニコトコ島』(2008年)と『石と歌とペタ』(2012年)が遂に一般公開される。岩山や森といった圧倒的なロケーションの中で、遊び、歌い、話しながら、目的も行き先もわからぬまま歩き続ける3人の男。時間を失ったかのような空間で繰り広げられるその不思議な旅は、 いつしか観る者に根源的な問いを突きつける。「我々はどこから来てどこへ行くのか?」 世界でも類を見ないオリジナリティ溢れる作品群はどのように生み出されたのか。幼なじみという2人の監督にこれまでの歩みを聞いた。
(取材・構成=小林英治)
「今日はバンドしよう」、「今日は映画しよう」とか、日替わりで遊んでた
――今回上映される2人の代表作『ニコトコ島』(2008年)と『石と歌とペタ』(2012年)は、非常にオリジナリティ溢れる作品で、爽快感と自由を感じました。監督の2人は幼なじみということですが、出身は大阪ですね。
三浦 はい。大阪でも南の河内の方で、都会ではないです。
大力 山とかがぎょうさんあるとこですね(笑)。
三浦 もともと小学校から一緒なんですけど、僕は中学はずっとサッカー漬けやったんです。それで受験でちょうどクラブが終わるときに、大力に映画を教えられるような感じでめっちゃ仲良くなりました。
大力 僕は父親が映画好きで、「映画と本はお金あげる」と言われてたので、中学の頃からよく映画を観てたんです。大きな映画館でやってるような映画ばかりだったですけど。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』観て興奮して、部屋の窓にスプレーで「バック・トゥ・ザ・フューチャー」って書いたり。
三浦 マンションなんですけど、遊び行くと外から見えるんですよ(笑)。高校はお互い違うところやったんですけど、一緒にバンドを組んでたんで、高校でも毎日のようにめっちゃ遊んでました。
――自分たちで映画を撮りたいと思うのはいつ頃ですか?
三浦 たぶん真似して作るきっかけみたいのは、『鉄男』を観たときに、最後にスタッフロールが出たら、全部のパートが「塚本晋也」だったので、「これ1人でできるんや、作ってええんや!」って驚いて、じゃ自分らもできるかなって思ったんです。それで大力の友達のおばちゃんのビデオカメラを借りて、自分らも撮ろうって。
大力 作品というより、1日外でいろんなもの撮って、帰って2人で観て笑って終わりみたいな。最初はそんなふうにビデオで遊んでました。バンドするのとかあまり変わらない感じです。
三浦 いっときほぼ毎日会ってたので、「今日はバンドしよう」、「今日は映画しよう」とか、日替わりで遊んでたんです。
大力 そのあと僕は大阪芸大の映画映像学科に行ったんですけど、大学の映画の勉強は僕がやりたいものじゃ全然なかったから、あまり大学には行かず、三浦くんと一緒に自分たちでやってました。
三浦 僕は専門学校入って映像科の個人制作コースをとったんですけど、大力と2人でアタマから考えて完成しきった最初の作品が、僕の卒業制作として撮ったものです。その作品が専門学校の卒業制作展で選ばれて、映画館で上映されました。面白いのできたと自分らが思って、しかもそれが評価されたのはすごく嬉しかったですね。
『ニコトコ島』より
しりあがり寿さんが審査員長だったから大賞に選ばれたと思う
――2007年に『タネ』がイメージフォーラム・フェスティバルに入選し、翌年にシネアストオーガニゼーション大阪(CO2)助成作品として『僕達は死んでしまった』を撮っていますね。
大力 『タネ』は卒業制作含めると3本目の作品です。CO2は僕らが応募した年は審査員に沖島勲監督がいらっしゃって、沖島さんが『タネ』を推してくれはったみたいです。
三浦 一つ前の作品と次回作の企画書がセットで審査の対象になるんですけど、沖島さんは『タネ』は絶賛してくれはって、「企画はゼロ点」って言われました(笑)。
大力 でも通してくれて、CO2で助成金もらって作ったのが『僕達は死んでしまった』っていう作品です。でも、このときは初めてエキストラ含めていろんな人に出てもらったり、スタッフも僕ら以外に何人かいたりとかしたんですけど、その体制で撮るのがストレスというか、すごくやりづらいと感じたんです。それで、ちょっと違うかなと思って、『ニコトコ島』を3人だけで作って、それ以降は基本的に同じスタイルです。
――『ニコトコ島』は翌年のイメージフォーラム・フェステイバルで大賞を受賞しますが、3人のうちのもう1人、『ニコトコ島』と『石と歌とペタ』どちらにも出演している松田さんはどういう関係ですか?
大力 松田くんはずっと音楽やってて、僕が大学生のときクラブに行ってたときに彼もよく来てて、ちょこちょこ喋るようになって仲良くなったんです。その頃、三浦くんと映画作ろうってなってたんで、最初のときから手伝ってもらって、『タネ』に出てもらってからは、ずっと出演してもらってます。
三浦 受賞に関しては結構運がいいかもしれないです。イメージフォーラム・フェステイバルはしりあがり寿さんが審査員長だったから大賞に選ばれたと思うし、CO2も沖島さんじゃなかったら獲れてないと思います。
『石と歌とペタ』より
▼page2 ストーリーがどうというよりは、その場所がどう面白く使えるか に続く