【Report】旅するシネマの卵たち〜躍進するカンボジアの若手映像作家たち〜 text 宮崎真子

ダグラス・ソク『ターンレフト・ターンライト』ポスター

この数年、映画やアートの分野で東南アジア、特にカンボジアは国際的にも広く注目を集めている。国内的に見ても映画では独立系、アートではコンテンポラリーの分野で若手中心に自ら活動をオーカナイズし、国内外の協働展開など、まだ規模は小さいながらも、力強くパワフルな動きを継続中だ。さらにこの数か月は、カンボジアからアーティストの来日や作品展示等の機会が相次いだ。彼らの軌跡や活動、作品世界の一端を紹介してみよう。


カニータ・ティスとクメールロック・ポップ

さる7月3日、UPLINKで日本プレミア上映された『ターンレフト・ターンライト』(2016/原題:Turn left Turn Right)はプノンペン・オールロケのダグラス・ソク(韓国系米国人)監督の長編デビュー作。A.I.T(アートイニシアティブ・トーキョー)による特別上映企画で、ソク監督と共にアフタートークに登壇した主演のカニータ・ティスは現代美術のアーティストで、その翌々日 7/5から六本木の森美術館と新国立美術館で幕開けした「サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで」で大型インスタレーション作品『天使の小屋(Tep Soda Chan)』を出品している。カニータは、2015年にA.I.Tが行ったアーティスト・イン・レジデンスで3か月東京に滞在、もうひとりのカンボジア人アーティスト、ラタナ・バンディと新作合同展を山本現代画廊で開催した。

ソク監督は、プノンペンで撮影監督として参加した『Dream Land』(2012、スティーヴ・チェン監督)で、アシスタントディレクターを務めていたカニータと出会う。『ターンレフト・ターンライト』はカニータを主演に起用し物語を紡ぎつつ、監督も観客も、今現在のカンボジア・プノンペンと出会っていく作品といえる。

カニータ・ティス。褐色の肌・豊かな黒髪、時にはワイルドかつ天心爛漫な類まれなキャラクター、何所でもフリーフォームで音楽に合わせて踊りだすパフォーマーとしての魅力にインスパイアされ、ソク監督が創り上げた60-70年代黄金期のクメールロック/ポップスで彩られた12のトラック。それぞれにプノンペンの日常の小さな愛すべき物語が綴られている。

職を転々として気ままな日々を送る現代のプノンペンに暮らす20代のカニータ。伝統的な価値観で結婚や安定を望む母との距離、病気がちの父の為の密かな計画、今現在の激動のプノンペンの光景~ホワイトビルディング、バイク群、市場、スタジアム、アンコール遺跡での即興ダンス、昨年日本でも劇場公開された『シアター・プノンペン』(2015)にも母親役で出演した、往年の大女優かつ今なお現役のディー・サベットとの出会い、舞台でのダンスでの交流、父をつれて追憶の海辺へ邂逅・・・。

カニータ・ティス

現在はソウル在住でK-POPのPVも手掛けるソーク監督だが、『ターンレフト・ターンライト』では、各エピソードの描写を極力シンプルにストレートに撮ることを意識したという。作品はカニータのキャラクターの魅力も相まって、独特のユーモラスな叙情性と同時にリアリティを獲得することに成功している。

カンボジアの映画、音楽、伝統芸術は、75-79年のクメール・ルージュの支配によって当時一線のアーチストや関係者が殆ど処刑されるか、死亡や行方不明となり、一旦完全な断絶に直面している。特にポップス・ロックの人気歌手は最たる堕落腐敗の対象として粛清されるか、地方の教育キャンプで亡くなっている。劇中の楽曲の歌手達、キングオブ・クメールロック・ポップスと呼ばれたシン・シサモット(Hidden flower ・Espanol/1932-76)とや、数多くのデュエット曲を歌い、シアヌーク国王から黄金の歌声と称えられたロ・セレイソティア(I’m so shy・old pot tasty rice /1943-77)、やはりシサモットのデュエット歌手として名を成し、また作曲も手掛けた軽快なロックンロールのパン・ロン(Restless heart /1946-78)。といった当時の三大スターはいずれも亡くなり、エンディングのサイケなガレージロック、Cycloのヨス・オーラレアンも生死不明となっている。

今、80年代以降生まれの若いカンボジア人達の間では、クメールポップ・ロックの再発見ブームだという。かつて東洋のパリと呼ばれた60年代のプノンペンの街中にポップス・ロック、ダンスミュージックが流れ、老若男女が皆それぞれ楽しんでいたような熱気が再現されたかの如くだ。リティ・パンの『消えた画』(2014)で、数少ない色鮮やかなシーンである下町の街角のロックバンドのライブシーンを思い浮かべずにはいられない。実はバンドのボーカルは、クメール・ルージュ以前にロック歌手だった、リティ・パンの兄がモデルだという。

1987年生まれのカニータは、アーティストとしての幅広いスタイルの作品発表と並行して、映画や音楽などの分野でも多彩な活動を展開している。ある意味時代の目撃者・同行者ともいえるし、表現活動する人たちは、ジャンルを超えて繋がっているようだ。

王立芸術大学ではインテリアを専攻したが、在学中、アート研究者であり、内戦終了後欧米から帰国しアート教育活動を手掛けていたリンダ・サパンのワークショップで現代アートと出会う。サパンがプロデュースを手掛けた60-70年代のクメールポップ・ロックのドキュメンタリー『Don’t Think I’ve Forgotten: Cambodia Lost Rock and Roll 』のリサーチや、2010年以降開発の為に埋め立てられ、住民が強制撤去させられたた“ボンゴック湖問題”についてのプロジェクトにも関わったことで、2011年に湖の近隣地域にある自身の自宅に立ち退き住民から集めた様々な生活道具等を集め、交流の場とした。その展示の一部を再現したのが今回の『天使の小屋(Tep Soda Chan)』である。

カニータ・ティス『天使の小屋(Tep Soda Chan)』 Photo by Maco(Mali)Studioscentcat 2017

『天使の小屋』のカンボジア語タイトル“Tep Soda Chan’’は、60年代に作られた同名のクメール映画から取られていて、天から舞い降りてきた少女が庶民の家庭で貧しくも幸せに暮らす物語だ。仏植民地時代から今に至るまで、政治や歴史に様々に翻弄され続けているカンボジア人たちの日常の困難に立ち向かう姿を作品に重ねている。

「サンシャワー:東南アジアの現代美術展 1980年代から現在まで」では、共に歴史や社会の問題が土地に残した傷跡をコンセプチュアルな写真作品で切り取ったカンボジアの二人の若手作家、リム・ソクチャンリナ、ヴァンディー・ラッタナの作品にも要注目だ。

リムは、日本からの資金も投入されているタイ国境を結ぶハイウェイの拡張で、真っ二つに切断された民家を記録した『国道5号線』。ヴァンディーはベトナム戦争中の爆撃で出来た多数ある同じような大きさの農地にある池を撮ったシリーズ『爆弾の池』をそれぞれ展示。二人は、カンボジア初のアーティストコレクティブ「スティーブ・セラパック」(美術の反抗者の意)の創設者でもある。

リムは「サンシャワー」9/30-10/1に開催された「六本木アートナイト」での野外上映イベントで来日。プノンペンのカジノ近くの取り壊し待機中のビルの壁画に描かれた壁画の前を行きかう車や人の極彩色の夜光景を捉えた作品「Urban street night club」を上映した。ちなみに初来日は2011年、NIPAF(日本国際パフォーマンスアートフェスティバル)でパフォーマーとして、共同設立したアートスペース「Sasa」を尋ねた主催者から誘いを受けたという。

デビィ・シュウとプノンペンの映画人コレクティブ「Anti-Archive」

『ターンレフト・ターンライト』は、ソク監督自身のプロダクション「SEA OAK STUDIOS」と、プノンペンを拠点とする「Anti-Archive」の共同制作だ。

Anti-Archiveは、プロダクションではあるが、映画人のミニマムなコレクティブとも言える。設立メンバー達はそれぞれ異なるアジアの背景を持っている。カオスな熱気に溢れ様々な人を引き込む国際都市プノンペンならではのユニークなグループと言えよう。Anti-Archiveという多分に皮肉を含んだネーミングは、カンボジアの特異でユニークな過去の歴史と現代について意識し、考える映画人に呼びかけているという。

2009年、設立メンバーのカンボジア系フランス人デビィ・シュウ(Davy Chou、1983年生まれ)と台湾系アメリカ人のスティーブ・チェン(1981年生まれ)がプノンペンで出会う。デイヴィはクメール・ルージュ以前に謎の失踪をした祖父が、黄金時代のクメール映画界の重鎮プロデューサーだったと知り、自作の50-70年代のクメール映画のドキュメンタリーの、スティーブは元々の専門の建築でカンボジアのコロニアル建築について、それぞれの映画のリサーチの為にプノンペンに滞在していた。共通のアジア映画のアイドル――ホウ・シャオシェン、ジャ・ジャンクー、アピチャッポン・ウィーラセタクンを持っていたことでふたりは意気投合。翌年、スティーブはデビィの長編ドキュメンタリーデビュー作『ゴールデン・スランバーズ』(2012、同年の東京国際映画祭=以下TIFF で上映)のセカンドユニット監督を務めることになる。

ふたりは「カンボジアには新しい映画の世代を育てるプラットフォームが必要」との合意に達し、若きカンボジア人監督ニアン・カヴィッチと共に、2014年にAnti-Archiveを設立した。そして2016年には釜山国際映画祭のプログラマーであった韓国人パク・スンホがプノンペンに移住、4人目のメンバーとして迎えられる。パクは映画祭戦略やカンボジア映画祭のプログラムを担当しているが、現在はプサン映画祭の運営するアジアフィルムスクールのプロデューサーコースで学んでおり、Anti-Archiveのプロデューサーとして始動する予定だという。

デビィ・シュウ監督(左)と、ロケ現場でスカウトされた『ダイヤモンド アイランド』主演男優の一人、ヌオン・ソボン
(東京国際映画祭2016にて Photo by Maco(Mali)Studioscentcat 2017)

内戦後のカンボジアには、リティ・パンが2006年に設立した「ボパナ視聴覚リソースセンター」と「カンボジア・フィルムコミッション」しか映画教育や制作をサポートする機関も、確かな映画産業の基盤もなかった。

デビィはリサーチでプノンペンに長期滞在していた2009~11年の間に、「Kon Khmer Koun Khmer」 という若い映画人団体設立に協力し、映画制作のワークショップや黄金期クメール映画の上映会を企画する等の活動を手掛け、カンボジア若手映画人から次世代リーダーと目されている。デビィ自身はリサーチで初めてプノンペンに来るまでは、フランスの生まれ育ちで(両親は70年代にフランス移住)当時はクメール語も解らず、という状況だったのだが、映画という共通言語が多くの実りをもたらしたといえよう。そういった経緯からAnti- Archiveは、国内のインディペンデント映画制作の為のプロダクションシステム、同時に海外の映画人のカンボジアでの撮影や製作をそのミッションに掲げている。

2016年、デビィの長編劇映画デビュー作『ダイアモンド・アイランド』(TIFF2016で上映)が完成。物語はまさに今のカンボジアの若者の群像劇だ。カジノにもほど近いプノンペン郊外、その名を掲げた中国資本によるぎらぎらとした巨大な開発地域に働き、暮らす彼らの日常の光陰を描いている。「Anti-Archive」とカンボジアとフランス、ドイツ、カタール、タイとの国際共同製作及び投資で完成した。カンヌ2016の監督週間部門で受賞し、ヨーロッパ、アメリカ、アジア各国でも公開されている。

▼page2 ニアン・カヴィッチの新作『White Building』に注がれる熱い注目 に続く