【連載】「ポルトガル、食と映画の旅」第12回 セジンブラで魚を食べる  

さて4年後の3月。ふたたびのセジンブラに、夫を連れて行った。リスボンに着いた日に、フェリシダーデさんに電話をして、キッチン付きのあの屋根裏部屋を予約しておいた。彼女はわたしのことをよくおぼえていて、とてもよろこんでくれた。

夫もまた、セジンブラをすごく気に入った。今回もまた4泊して、市場に通った。毎朝、ときには朝昼2回も通ったので、あちこちの店で顔をおぼえられた。「今日はコリアンダーが入ってるよ」と声をかけられた。昼と夜合わせて5回料理した。カンタリルの親分のようなカンタリーリョも、シャプータという不思議な魚も、ナヴァーリャというマテ貝そっくりの貝も、アジもタチウオも食べた。料理はわたし、後かたづけは夫。料理しない日は例の炭火焼の店に行ったり、おいしいテイクアウトの店を利用した。パンは毎朝すぐ近所の店で買った。そして、アゼイタオンの町も訪ねた。

ふたりで大宴会。手前がシャプータ、ワインはアゼイタオンの白。

朝食。白いのがフレッシュチーズのケイジャーダ。

旅のなかで、自分で選んだ魚や野菜を自分で料理する。そして好みをよく知っている相棒といっしょに味わう。こんなしあわせなことがいつかきっとくる。そう思っていた。それがセジンブラで実現した。これをきっかけに、わたしと夫の旅はすこしずつ変わっていく。

旅程の3分の1は、キッチン付きのアパートメントに滞在し料理する。移動型から滞在型へ。年を重ねても旅する意欲はいっこうに衰えないが、体力は目に見えて衰えてきている。もうリュックひとつで駆けめぐるのはむずかしい。それに合わせて旅を計画する。そこでまたあたらしいものに出会う。わたしにとってのポルトガルは、旅のスタイルが変わってもいつまでも尽きない興味の宝庫である。

3月後半のエスピーシェル岬は、4年前の2月初めと打って変わっていた。バスは相変わらず一日2往復のみだったが、岬に着いてみると空き地には30台以上の車が停めてあった。人がうようよいる。あろうことか「巡礼者宿舎」のいくつかの部屋は、土産物屋になっている。もちろん犬の姿は見えない。そして大聖堂は開館していて内部の見学もできるというのだ。アーチを抜けて先端に出ると、大勢の人が歓声とも悲鳴ともつかぬ声をあげている。いやはやおどろいた。エスピーシェル岬は大観光地ではないけれども、本来はこういうところだったのだ。

夫の腕にしがみつきながら、この人ごみ(?)を避けて、大聖堂の西裏方向にまわった。こちらは断崖までの距離がまだ十分あることも初めて知った。ここの草地にしゃがみこんで、広大な大西洋をながめた。遠い水平線はゆるい弧を描いて青色にかすんでいる。あの向こうにはアメリカ大陸があるのだ。いや、その手前にアソーレス諸島があり、もっとイベリア半島寄りにマデイラ諸島がある。そこもまたポルトガルである。

若い歓声を聞きながら、いつの日か必ず訪ねるだろう島の波音を耳に奏でていた。

(つづく)

【今回の旅の舞台】
セジンブラとエスピーシェル岬

福間恵子 近況

北海道との縁が濃くなった。来年夏新作の撮影を予定している、新得町の有機野菜をほぼひと冬分注文。あちらは11月初めには収穫が終わり、これから半年近く畑は雪におおわれる。北にはそんなきびしい暮らしがあることを、野菜をとおして想像できるようになった。それにしても、とびきり美味しいにんじん・カボチャにじゃがいも・たまねぎ。冬のタラとあわせてポルトガル料理にする。