【連載】「ポルトガル、食と映画の旅」第19回 ポルトガルを食べる text 福間恵子

福間恵子の「ポルトガル、食と映画の旅」
第19回 ポルトガルを食べる

第18回からつづく)

初めてポルトガルに行った2003年、アレンテージョ地方の世界遺産の町エヴォラで買った料理の本がある。ポルトガル各地方の料理シリーズ本のアレンテージョ版(『Cozinha Regional do Alentejo』)。全150ページほどのうち写真は8ページのみ、挿絵もない。でも、軽い紙質も、1ページ一料理のレシピのレイアウトも、A5サイズも、とてもシンプルで気に入った。一冊約10ユーロ、1300円ほど。変形サイズで写真だらけで重くて高い料理本は買う気にならない。まだポルトガル語を習う前だったので、よしこれで言葉をおぼえていこうと思ったのだ。

その後、ポルトガルに行くたびにこのシリーズを買い求めて、手元には10シリーズがある。1990年代にほぼ一年ごとに出版されたこのシリーズは、2010年ごろには、リスボンの主な書店から姿を消した。絶版になったのだろうか。

北から、トラス・オス・モンテス、ミーニョ、ベイラ・アルタ、ベイラ・リトラル、ベイラ・バイシャ、リバテージョ、エストレマドゥーラ、アレンテージョ、アルガルヴェ、そしてマデイラ島の10冊。残念なことにアソーレス諸島だけがない。あるいは出版されなかったのか……。

ポルトガル各地方の料理シリーズ本

この10冊はわたしのポルトガル料理のバイブルである。一見古くさくて洗練されていなくて文字だらけの本ではあるが、じつは中身が濃い。各地方の料理の特色を語るイントロダクションは興味深く、料理項目はスープに始まりパン・デザートに至るまで一品に1ページをあて、巻末にワインの醸造所まで載っているものもある。著者は女性四人と男性二人の六人。このシリーズ本を読み現地で実際に食べることをとおして、ポルトガル料理というものを身体に染みこませていくことができた気がする。この連載でこれまで取り上げなかったポルトガル各地の個性の見える庶民的な料理を紹介していきたい。

北部ミーニョ地方では「クリスマスに、タラではなくタコを食べる」という話を、この連載の第13回で書いたが、タコもさることながら、ミーニョといえばカルド・ベルデ Caldo Verde 発祥の地である。Caldoは煮出し汁・ブイヨン・スープの意味で、カルド・ヴェルデは訳せば「緑のスープ」、つまり野菜のスープのこと。野菜のスープはポルトガルじゅうどこに行っても、どこの家庭でも一番ポピュラーなスープで、日本の味噌汁に匹敵するものだ。だからあらゆるヴァリエーションがあり、メニューでの呼び方も「caldo」は使わず「sopa」(スープ)を使う方が多い。「sopa de 野菜の名前」として、いくつもの種類がある。けれども、味のベースはほとんど同じ。日本でも家庭によって味噌汁の味がちがうように、ポルトガルのカフェも家庭もそれぞれのスープの味を持っている。

カルド・ヴェルデの作り方はとてもシンプル。オリーブオイルでニンニクの香りを出して、玉ねぎをよーく炒めて、じゃがいもを加えて水を少し入れて、やわらかくなるまで煮る。それをミキサーなどでピュレ状にして、さらに水とオリーブオイルを加える。これが煮立ったら、ケールの千切りを加えて、全体がなじんだら塩で味を整えてできあがり。器に盛ったら、チョリソの輪切りを一枚のせて、オリーブオイルを一滴たらしていただく。

ベイラ地方で食べたカルド・ヴェルデとパン。

ケールと書いたが、これはあちらでポルトガルキャベツと言われているもので、ケールの一種。巻かないキャベツの種類で、太めの茎に一枚また一枚と、濃いめの緑の大きな葉が付いている。

北に向かうバスに乗っていると、あちこちの畑にこのキャベツの姿を何度も見る。まるで収穫後のブロッコリーの茎が伸びたようなそれに、硬そうな緑の葉が付いていて、あれはなんだろうとずっと思っていた。北部の町の市場で、その硬そうな緑の葉を重ねて売っているのを見たとき、あれだ! と思って質問したら、カルド・ヴェルデのヴェルデだったのだ。

日本でケールは手に入りにくいので、冬のキャベツの外側の硬いところを使ったり、小松菜を使ったりする。あちらで何度も食べているし、レシピどおりに作っているつもりだけれど、微妙にちがう。こういうシンプルなものこそが、ほんとうは一番むずかしいのだとつくづく思う。

カルド・ヴェルデも野菜スープも、ポルトガルじゅうほとんどのカフェに必ず用意してあって、その値段は1ユーロ以下のところが多い。量はもちろん、大きなスープ椀にたっぷり。これにパンをつけてもらって1.4ユーロほど。ひとり旅のお昼は、これだけでとても満たされる。

リスボンの下町で、幾度か目にした光景がある。混んでいない時間のカフェのカウンターにいたときのことだ。わたしから離れたカウンターの隅に、気がつくと貧しそうな気配の男性が立っていた。彼の前に、カウンターの中からそっとスープとパンが差し出された。店の人もその男性も無言のままである。老齢にさしかかったその男性は、時間をかけすぎないけれど、ていねいにパンをちぎりゆっくりとスープを口に運んだ。そして、顔がほころんで、ナプキンで口を拭うと店の人にむかって小さな声で「ありがとう」を言って店を出た。店の人は客の誰にも言うセリフで「またな」と彼に返した。わたしはしずかに胸があつくなった。

男性はこの店の家族でも親戚でもない他人だ。わずかなお金を稼いでいるが、なくなってしまうと店の厚意を受けている。彼のような人はポルトガルのどこにも少なからずいる。そして、そういう人をそっと受け入れる人たちがいる。きっとそうだ。それは豊かさのあかしというよりも、ちょっと大げさになるかもしれないが、人への尊厳ではないか。

スープとパン。あるいは味噌汁とごはん。食べることの基本の食。カトリックもブッダもイスラムも越えて、人は共に生きていくものだと、あらためて教えられた気がした。

カルド・ヴェルデ。滋養に満ちたなつかしい味。リスボンの「寛容」を体現しているのは、この国民的スープと言っていい気がする。

(リスボンの旧市街ロッシオ広場のそばの壁には「Lisboa, Cidade da Tolerância」という言葉が、世界各国の言葉に訳されて書かれている。日本語ももちろんあり「リスボン−寛容の都市」とある。)

トラス・オス・モンテス地方は、山また山の寒冷の地である。映画『トラス・オス・モンテス』で見たように、ここは古くから牧畜で生きてきた人々の土地だから、肉の保存食が作られている。ここだけでなく、ポルトガル北部の内陸では、良質のソーセージ・生ハムやチーズが作られてきた。

トラス・オス・モンテスの、スペインとの国境の町ミランダ・ド・ドウロで、アリェイラAlheiraというソーセージを初めて食べた。Uの字にくねったアリェイラをじっくり焼いてあって、真ん中に半熟目玉焼き、まわりにポテトフライとオリーブ。一見ふつうのチョリソのように見えたが、食べてみるととても不思議な味だった。いろんなハーブが混ぜ込んであるのはわかるのだが、つなぎに使われているのはもしかしたらパン? 小麦粉? 中身がふんにゃりしているのだ。プリッと肉だけではない感触。表面はカリッ、中はやわらか。肉はすり身のような細かいミンチ状で、何が使われているのかわからない。色は赤みがかっている。でも、これがあとを引くようなおいしさなのだ。

アリェイラ。上は、バカリャウ・ア・ブラシュ(タラとポテトフライの卵とじ)。

アリェイラはチョリソの一種で、その元祖はミランダ・ド・ドウロだった。シリーズ本の『トラス・オス・モンテス』のレシピによれば、驚くほど多くの材料を使っている。肉は主に豚だが、その部位たるや、舌付きの頭、脊椎、胃袋、塩漬けした腹肉、腰肉、生ハムの切れ端など。さらに鴨やウサギも入ることがあるという。香辛料には塩・コショウ・パプリカ・パセリ。そして少しの酵母で焼いたパンを大量に使っている。つなぎは、パンとそれぞれの肉の部位を調理した汁である。つまり、肉文化の「余さず使う」部分が集められ、日常的にあるパンとまぜこんでソーセージにしてあるのだった。だからでもあるのだろう、値段は安い。

山に囲まれ、寒風吹き荒れるトラス・オス・モンテス地方のきびしい冬のために、大量に用意された保存食の最たるものだったのだろう。とはいえ、これは昔ながらの作り方であって、いまではポルトガルのどこででも食べることのできるアリェイラにあっては、もっと手に入りやすい材料で作られていると思う。

このときの独特のアリェイラの味が忘れられず、リスボンやアレンテージョの田舎町で何度か食べたが、もっと洗練されているものや中身があまりに柔らかすぎるものばかりで、ミランダで食べた以上の美味しさには出会えていない。

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