【連載】「ポルトガル、食と映画の旅」第20回 ポルトガルという場所 text 福間恵子

ピオダオンの村の広場。広場近くの家々は大きめだ。

ピオダオンの夕暮れは早かった。5時には狭い路地にオレンジ色の淡い光がもう灯りはじめた。村の小さな博物館に行き、古い鋤や鍬や羊の皮袋を見て、ピオダオンの住民が70人であることを知った。きつい石畳の坂を上り下りしながら、集落をすみずみまで歩いた。家は30軒もないだろうか。2階建か3階建の奥行きのない造りで、石の壁の窓はいちように谷の方向、つまり南を向いていた。狭い斜面にぎっしり建っているので、気がつけば人の家の玄関に立ち、猫の額ほどの庭に入り込んだりした。一番上の家のさらに上方に墓地があった。これまで見てきたポルトガルのどんな田舎の墓地よりもはるかに小さい。

さして距離はないのに急勾配の石段にやられて、広場まで下る間に膝がガクガクしてきた。広場には、村で唯一の白い壁に塗られた教会があり、土産物屋とレストランを兼ねた店が2軒あった。わたしたちのような観光客もそこそこ来ていた。ポルトガルの秘境という「観光地」ではあるのだ。だとしても、こんな村は見たことがなかったし、容易に来れる場所ではなかった。

ルイスさんの友人がやっているレストランで夕食をとった。コインブラの郷土料理である「シャンファナ Chanfana」はヤギ肉の煮込み、もう一品の「Bucho Recheado de Porco」は初めて食べる料理だった。豚の胃袋にいろんな部位の豚肉を詰めたもの。それをたぶん煮るか蒸すかしてから軽い燻製にしてあるようだった。どちらも山の中ならではの料理で、重厚な味わいだった。ベイラス地方の濃いめの赤ワインがよく合った。店はかなりの客でにぎわっていたが、彼らは村から少し離れたところにある大きなホテルに滞在しているのだろうか。村にはわたしたちが泊まる宿「カザ・ダ・パダリア」一軒だけだ。

宿に戻ったが、こんな秘境の夜を早々眠るなんて野暮なことはできない。集落のはずれにある宿の前の道をもっと先まで行くと、街灯も届かぬ闇だった。細い道の淵の下は、そのまま転げ落ちたら谷底である。淵を避けておそるおそる歩く。闇に慣れてくると、人間が光を放つ物体であるかのように、夫の姿は白く淡くぼやけて見えてくる。遠くに獣の啼き声が聞こえる。谷底から水の音も届いている。

山に切り取られた黒い空を見上げれば、大小すべての星たちが平等にさんざめき、空を淡い黄色に染めている。地球はうつくしい。心からそう思う自分の吐く息が白い。

翌朝は冷え込んだが、まだ明けぬうちに起きて村を歩いた。昨夜の闇の場所に行くころに空が白んできた。ピオダオンの村の全貌が徐々にくっきりしてくる。集落と谷底の川の間には、小さな段々畑があり、家畜小屋もあった。ここで人が暮らしていることが奇跡のような土地だ。人々はスレートの家を作り、畑を耕し、ヤギも羊も育てて、めんめんと生きてきたのだ。

冷えた身体で宿に戻ると、すばらしい朝食が待っていた。食堂自体がこれまでに見たこともない伝統的な造りの部屋で、テーブルも棚も焼き窯も黒光りのする年季の入ったものだった。そこに飾られた食器や調理器具も、歴史を感じさせるものばかりだ。朝食を用意してくれた奥さんに尋ねると、ここは彼女の夫のお父さんがやっていたパン屋さんだったそうだ。それで屋号が「Casa da Padaria」(パン屋の家)なのだ。お父さんが亡くなって、その家を改装して宿を始めた。だとしても、部屋とこの食堂と家全体のセンスの良さはご夫婦のものだろう。個人経営のこんなにうつくしい宿は、ポルトガルにそうそうあるものではない。15年間のポルトガルで、初めての体験だった。

ポルトガルのホテルは、個人経営も大規模なものも、ほとんどが朝食込みである。市街地にある大きいホテルは、朝食料金が別になっていたりするが、総じてイギリスのB&Bと同じあり方だ。もっとも基本の朝食は、パン・飲み物にバター・ジャム、どこにでも売っているようなのハム・チーズがつくというもので、食堂でセルフサービス。これに、スクランブルエッグやベーコンや果物・ケーキなどを加えて個性を出すホテルもある。わたしが泊まるのが安ホテルばかりということもあるが、ハムやチーズはどう見ても最低で、カタチだけというものが多い。だからふだんはそれには手を出さないで、パンとコーヒーだけですませる。

ピオダオンの宿「カザ・ダ・パダリア」の朝食のテーブル。

カザ・ダ・パダリアの朝食。フレッシュチーズ、パイオ、ママレード、梨のコンポータ(シロップ煮)。

カザ・ダ・パダリアの朝食もまた基本から外れはしないが、すべてが自家製かこの土地で作られたものだろう。3種のパンもジャムもたぶんバターも3種類のケーキも自家製で、フレッシュチーズもゴーダチーズもプレズント(生ハム)もパイオという名前のハムも、ピオダオンの個性あるものだと思えた。全部食べたくなるほどに美味しそうで、朝からたくさん食べられないわたしはくやしかった。ここでしか味わえないものを選んでいただいた。すべてに挑戦できる大食いの夫を、この朝はうらやましいと思った。どれもこれも実のある味で、身体がよろこぶ。特筆すべきピオダオンの宿カザ・ダ・パダリアの朝食だった。

二人で60ユーロ。往復のタクシー代を入れて130ユーロ(1.5万円)のピオダオンへの一泊の旅。それは決して高くなく、深く心に刻まれるものとなった。

ふたたびルイスさんの車に揺られて、オリヴェイラ・ドゥ・オスピタルのバスターミナルに降り立ち、コインブラに戻った。そこからバスに乗って50分、大きな城があり印刷業で栄えた町レイリアを訪ねた。かつての古い製紙工場が美術館になっているところが休みだったのは残念だったが、城のすぐそばでたまたま見つけた映像博物館 Museu da Imagem em Movimentoは拾いものだった。古いカメラや幻灯機やカメラ・オブスキュラなど、ポルトガルにおける映画以前の「映画」への挑戦の数々が展示してある興味深いところだった。ポルトガルの映画産業もまた古い歴史を持っているのである。

レイリアで一泊して、この旅も残り4日というところでリスボンに戻ってきた。島へ行くときも島から帰るときも、リスボンの街なかは素通りしているので、今回初めてのリスボン滞在になった。そういうときは、シネマテカに行くこと、ニコの食堂で食べること、本かDVDを買うこと、それだけでまたたく間に時間はすぎる。

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