【連載】「ポルトガル、食と映画の旅」第20回 ポルトガルという場所 text 福間恵子

 アヴェイロの運河に架かる橋。小船に乗る漁師が櫂を持っている。

「ポルトガル、食と映画の旅」
第20回 ポルトガルという場所 

第19回 からつづく)

2018年の新年を、アソーレス諸島で一番気に入った島テルセイラですごしたわたしと夫は、リスボンに戻るとその足でアヴェイロ Aveiro に向かった。アヴェイロはベイラ・リトラル地方の中心地で、ポルトの南100キロほどの海沿いにある漁業の町。いつか行こうと思いながらまだ訪ねていなかった。

アヴェイロまで北上して、4泊5日の行程で南に下りながら、ピオダオン Piodão という秘境の村と、あとは気分次第でまだ行ったことのない町を訪ねる計画をしていた。

ピオダオンは、ベイラ・リトラル地方の内陸部に点在するスレートの村のなかで、一番の秘境と言われているところだ。ここへ行くのに、公共の交通手段はない。もっとも近い町までバスで行って、そこからタクシーを使って行くしかない。レンタカーを考えた。ところがピオダオンのあたりは、ポルトガル本土で一番の山々が連なるエストレーラ山脈の南側に位置するので、それなりの標高があり道路は狭くてヘアピンカーブが続くという。国際免許証を持参していたものの、ちょっと自信がない。断念するか、タクシー代を奮発するか。

これまで訪ねたポルトガルの辺境は、平日なら最低一日2便のバスがあったが、皆無というのは初めてのこと。それに挑戦する価値があるのだろうか。アヴェイロには夜着くので2泊する。その間に資料を集めて考えることにした。

アヴェイロは大きすぎず小さすぎず、なかなかいい町だった。ポルトガルのガイドブックに、あでやかな色に塗られた壁の家々の写真を見るだろう。それがアヴェイロだ。複雑な入り江を持つ海岸沿いのこの町には、運河が深く入りこんでいる。そこをかつて海藻を運んでいた、弓のようにそり返った舳先をもつモリセイロという小船が、いまでは観光船として行き来している。それを横目で見ながら、潮の香りを身体に浴びて、市場に並ぶイキのいい魚を見てまわった。夏はもっとたくさんの観光客がやってくるのだろう。1月は人も少なく、海からの陽射しはやわらかく、のんびりした空気に包まれていた。親切なトゥリズモで資料をもらって、目的もなくぶらぶら歩いて、安くて美味しい食堂にも出会えた。このままずっとここにいてもいいか、そう思えるほどの心地よさがアヴェイロの町にはあった。

とはいえ旅は、まだ知らない土地への誘惑がいつもつきまとうものだ。タクシーを使ってピオダオンに行こう。そう決めて、宿も予約した。

アヴェイロ発11時34分の列車でコインブラまで1時間。ここで内陸部に入るバスを1時間待つ間にお昼。13時30分発のサイア Seia 行きのバスに乗り込む。この途中にあるオリヴェイラ・ドゥ・オスピタル Oliveira do Hospital で下車した。ここからタクシーである。広いバスターミナルだが、いま乗ってきたバスもいなければ人もまばらで、がらんとしている。だが、タクシーが一台いた。運転手がわたしたちを見ている。こちらから近寄っていって、値段交渉した。

「ピオダオンまでいくらですか?」

「45ユーロだ。ピオダオンまでは1時間かかる」

40ユーロを覚悟していたが、まだOKは出さない。

「35ユーロで行ってもらえないだろうか」

「うーん、わかった。35ユーロでいいよ」

思いがけずすんなりと交渉成立。運転手の顔がやさしく見えてくる。彼の名前はルイス。ちょうど15時。さあ出発だ。

果たしてピオダオンまでの1時間の道のりは、想像をはるかに越えるすさまじいものだった。標高700〜800メートルぐらいある山を三つも越えた。上っては谷底まで下り、また上る。その道は側道もない細い山道だから、窓から見下ろすと恐ろしいほどの高さで冷や汗が出る。レンタカーにしなくて正解だった。

さらに驚くべきことに、このあたり一帯は去年の10月に起きた山火事でほとんどの山が焼け焦げていた。道のそばの樹々は折れて黒い炭と化して死んでいる。ポルトガルで大きな山火事があったのは、ニュースで知っていたが、まさかその焼け跡の山を走るとは思いもしなかった。この惨事について、ルイスさんが詳しく教えてくれた。

ベイラス地方の山は、古くから松が植林されてパルプ産業を担ってきた。ポルトガルの紙質は世界でも良質なのだそうだ。ところがこの大規模な火事で松はほとんどやられた。松が再生するには長い年月がかかる。壊滅的な打撃だ。ところがユーカリは強いのだそうだ。「見てごらん」とルイスさんが指す方向には、幹だけになった背の高いユーカリが林立している。

「ユーカリはまだ生きていて、地中の水分を吸う力が強いから、2年もすれば再生する。これを松の代わりにしてパルプを作る計画が進んでいるけど、ユーカリは質が良くないんだ」。

そう言われてあたりを見まわすと、ユーカリの木ばかりが目立つ。この山火事は鎮火するのに1週間以上かかったという。

40分ほど走ったあたりから、瓦礫だらけの山になってきた。樹々が焼けて瓦礫になったのではなく、もともと石しかないような山だ。瓦礫はスレートの原石なのだそうな。そして、風力発電のあの白い風車があちこちに設置してある。

ポルトガルには原発はなく風力発電がさかんで、あちこちの丘でこの風車を見るが、こんなに間近で見たのは初めてのことだ。とても大きい。そのすぐ脇の道をカーブしながら上っては下る。瓦礫の山を通りすぎると、緑の山になってきた。風向きで山火事を逃れた地域だそうだ。そうしてやっと集落にたどりつくが、まだそこは途中の村だった。さらにアップダウンを繰り返して午後4時、ピオダオンの集落が谷底の中腹に見えた。

「さあ、着いたぞ」とルイスさんが言う。

ピオダオンの村。山の右側稜線に風力発電の風車が立っているが、空の白さに消されている。

濃いグレーのスレートの屋根と石の壁の家々が、急な山の斜面にへばりつくように縦に連なりながら建っている。地味でおごそかな光景だ。集落の底には小さな川が流れ、見上げれば山頂には風力発電の風車が並んでいる。写真で見たとおりの景色がそこにあった。

ピオダオンに着いて、集落唯一の広場にタクシーを停めて、ルイスさんはわたしたちの重いスーツケースを両手に提げて、上り下りする石畳を慣れた足取りで歩き、集落の少しはずれにある宿まで運んでくれた。ルイスさんにお礼を言い、握手を交わして別れた。

宿は古い調度でしつらえたすばらしいところだった。経営者の奥さんもすてきな女性だ。日本から来たとあいさつすると「明日、日本の人の予約が入ってるわ」と言われて、びっくりした。明日の戻りのタクシーについて尋ねたら、なんとピオダオンにはタクシーはなく、途中の村にもないから、オスピタルに戻るのだったらルイスさんに頼むしかないことがわかった。いやはや。ここに来るほとんどの人は車なのだ。明日の日本人もきっとそうだろう。ルイスさんは村の事情を知っていただろうから、わたしたちが数泊すると思ったのかもしれない。

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