【対談】月釜×沈没 対談! 佐藤零郎(『月夜釜合戦』監督)×加納 土 (『沈没家族 劇場版』監督)スペシャル対談

『沈没家族 劇場版』より ©おじゃりやれフィルム

「穂子さんに、僕もやれてるよってことを見せたかった」

― 『沈没家族 劇場版』の、90年代の世相のなかで穂子さんと共同保育を始めた人たち。『月夜釜合戦』の、多くは高度経済成長から取り残される形で釜ヶ崎に集まった人たち。そこには時代も年齢も違うけれど似通ったものがある気がします。

僕は沈没家族に参加した男性たちと年が近いから、心理がうっすらと分かるんです。一緒に土を育てようという目的は実はきっかけで、なんとなく世間に対して疎外感があって居場所を探しているうち、子どもの面倒も付いてくる場所に辿り着いた。そういう人もいたと思う。

加納 90年代半ばは阪神大震災やオウム真理教の事件があって、物凄く窮屈に時代が変わり、みんなが不安になっている時代だったことは、後付けですが知っています。そんな頃にペペさんが「だめ連」を始めて、ふつうのようには就職できない、家族を持てない社会的なダメさを「交流」を軸に肯定していくパワーが、沈没家族とつながっていたのは面白いと思っています。土を育てることより、沈没家族へ行けば誰かがいることが優先しているような。
それに、穂子さんはペペさんを共同保育に誘う時「子育てを経験しておく機会はこの先訪れないかもしれませんよ」と言ったそうですから。そういう人たちにとっても子どもと触れ合える場所、甘えてもらえる場所は貴重だったんだろうなと思います。

佐藤 ちょっと話がずれるかもしれないけど、僕の中では気持ちが残るのは山くん。山くんには、釜ヶ崎によくいる人たちと重なるところがあるんだよね。

加納 そうなんですか? そこは伺ってみたいです。

佐藤 釜ヶ崎のなかで出会う人のなかには、結婚して子どももいて、でもいろいろあって家を出てそれっきりになっている人が割と多いんです。「子どもは今頃幾つになったかなあ。君と同い年位とちゃうか?」みたいな。だから僕は余計に、山くんに感情移入してしまった。
『沈没家族 劇場版』を見ると、穂子さんが山くんと子育てするのはしんどくて、でも一人では子育ては難しいという現実に切迫した状況から沈没家族が生まれたのが分かります。そして、その穂子さんの考え方が今一人で子育てをしているシングルマザーにとって、突破口を示すものになっている。じゃあ沈没家族と距離を置くことになった山くんには突破口は無いのか。そんなことはない、血のつながった家族ではなくても誰か共に生きられる人はいる、俺は釜ヶ崎でそれを見てきた、と言いたい。

加納 うん……。

佐藤 『月夜釜合戦』の大洞なんて、まさに山くんみたいな男。それで血のつながらない子どもと、最初はイヤイヤだけど一緒に暮らすことになるわけやん。血のつながりが一番素晴らしいとは思わないけど、何かしらで他者と一緒に生きていくことを人は欲している。墓地の踊りのシーンはまさにそういうことで、あれは、新たな共同体のスタートやね。

加納 山くんにも、大洞みたいにカラっとしたところが欲しいなってのはあるんですけど……。

佐藤 いやいやいや! 大洞にもジメッとした部分はあるのよ。俺、山くんは相当好きだな。映画の中で土くんが、沈没家族をどう思ってるのかと詰めていくやん。そこで、どうもくそもない、俺は嫌いだよ!ってカーテンを閉めながら。自分の気持ちや孤独感を正直に吐露している。
俺は山くん擁護。彼からしたら、やっぱり「あんた沈没家族に毒されてるよ!」だし(笑)。それに土くん自身、山くんを映画の構成上一番いいところに置いているやん? 起承転結で言えば転。沈没家族について肯定的に掘り下げていったところで、本当の父親なのに当事者になれなかった山くんを登場させて、沈没家族について考える視点を複眼的にしている。

加納 自分は共同保育で育ったけれど、血のつながった別の家族も確かにいた。両方描くことが、自分にとっても映画にとっても必要かなと思っていました。
『月夜釜合戦』より ©映画「月夜釜合戦」製作委員会

― 『沈没家族 劇場版』は、山くんとの再会を経て、改めて母親の穂子さんに戻っていく。当時の穂子さんはこんなことを考えていたんだ、と撮影を通じて整理できたのですか?

加納 できましたね。撮影を始めるまでは、当時の穂子さんには彼女は目指すべき家族・社会の形のゴールがあり、沈没家族はその実現に向かっていくためのものだったのかと想像していました。でも零郎さんにさっき言ってもらったように、実際は、人に助けてもらわないとやっていけない理由が大きかった。そこから、自分がラクになることが土のためにもいいこと、と考えを進めていたんです。

佐藤 そのあたりが山くんにどこまで届いているかだよね。山くんにしたら穂子さんの始めたことは運動でしかなくて、その目的のために自分が排除されたという思いがあるんじゃないかな。そしてその運動が山くんを排除するのではなく山くんをも解放する運動、男からの解放や血のつながりからの解放、親からの解放につながれば良かったんだけどね。

加納 最初は穂子さんも共同保育に山くんを巻き込もうとしていたんだけど、山くんはそれは無理だっていうことで。でも彼からすると、マスコミにも取り上げられるような実験的な家族形態のために自分が弾かれたという思いは残っているようですね。
こうして記録したことは映画になりましたし、山くんと僕の関係は今後も続いていきますから、どこかで折り合える日が来るといいなと思っています。
『沈没家族 劇場版』より ©おじゃりやれフィルム

― 人には、ひとりで生きる芯を持って初めて他人の助けが必要だと気付けるところがあります。

佐藤 そうですね。だから他者のほうにも、どのタイミングでヘルプするかよく考えることが必要になります。周りの手助けが、その人の自立を阻害してしまう場合もあるから。
僕は釜ヶ崎に入って、自分のやってることが何なのかしょっちゅうわからんくなるんです。支援というのは嫌いなんですよね。本来は僕、もらうほうが好きなんですよ。炊き出しは食べさせてもらうほうが好き。何かをしてあげるっていうのは好きじゃない。助けを求められたらやるけれど、求められてない時にやるのは相手の力を奪うというか、その人の力を信じていないことになる。
穂子さんも、沈没家族でそこをよくよく考えていたと思うんですよ。

加納 映画を作って良かったのは、沈没家族が支援する側/してもらう側の関係ではなかったと分かったことですね。シングルマザーを助けに行ってあげるという優位の感覚は集まった人たちにはなかっただろうし、もしもあったら穂子さん自身が拒否していたと思います。

― 結局、『沈没家族 劇場版』の本当のテーマは穂子さん、お母さんという気がする。

加納 うーん、それはありますね。やっぱり一番撮りたかったのは穂子さんだったというか。穂子さんをもっと知りたくて、そのために沈没家族の人たちに会いにいったのかもしれないです。……僕には、母親に対する劣等感があって。

佐藤 ああ、それ、映画の中でも言うてたね。

加納 自分がやりたいことに対して忠実で、うまく人を巻き込んで、しかも個人を尊重し合った上で実現させている。そのバランスが人としてカッコいいな、負けたくないなと思っているんです。映画を作ることがリベンジマッチというか。保育人の人たちと再会して当時とは別の関係を自分なりに作っているし、映画を通して僕は僕のつながりを今作っているところだし。やれてるよっていうのを穂子さんに見せたかった。ずっとライバルみたいな感じです。
『沈没家族 劇場版』より ©おじゃりやれフィルム

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