ロックとフォークでは客層が分かれる時代のはじまり
海援隊の武田鉄矢も、そうなのだ。試しにと大宅壮一文庫に行って古い雑誌を調べたら、「平凡パンチ」1974年9月30日号の矢沢永吉特集ページ(構成はパロパロ・パンチ)に、証言者として武田が登場していた。屋外のステージで一度キャロルと一緒になったという。
「そのとき主催者がモタついたんだ。とたん矢沢が”オレたちはキャロルだよ。カッコよく出たいじゃんか”ってドナったんだ。ロックがカッコいいものなら、カッコよく登場することじたいがロック。ぼくは、あんとき、あ、負けたな、と思った」
他にも加藤和彦らが証言者として登場し、永ちゃん自身が上昇志向と現状不満を遠慮なくぶつけているこの記事、ヒリヒリするほど面白い。事務所チェックみたいの、多分してないんじゃないか、これ。 売られた喧嘩は今でも買う、と最近もダンプ運転手と乱闘になった話から、永ちゃんはこう続ける。
「失うこと恐れてて、男の勝負はできんじゃん。ぼくはキャロルやめても、屋台ひけますよ。その点で、ぼくとホンマの対マンやれるのは、フォークの連中だけ。あいつら、バカ・チョンに言われようと、ギターいっちょで全国津々浦々まわる根性あるもん。そこが好きよ」
なるほど、ストレートな、永ちゃんらしい認め方だ。フォークかロックンロールか、選んだ音楽こそ違うが、スタイルが生き方と不可分になっている奴かどうかは、俺はすぐ見抜くよと言っている。そして、その鋭さを受け止められる人が、キャロル解散の日にこうして顔を出している。
それでも、大野、なぎら、武田の3人にそれほど客席が湧いていない音の記録に、フォークとロックでは急速に客層が分かれつつある事実が刻まれている。 当日集まったファンにとっては、なぎらや武田の、フォーク・リサイタルならきっと喜ばれるとぼけたスピーチは、まるで俺達/私達のキャロルをおちょくっているように聞こえたのだ。わずかの間にそうなった。それだけロックが急激に普及した。
次に挨拶するのが、そんなシリアスなロックの日本でのパイオニア、ザ・ゴールデン・カップスのリーダーだったデイヴ平尾。
だが、場内は盛り上がらない。反発ではない。71年一杯で解散したカップス自体に馴染みが薄いのだ。キャロルのファンは若く、グループサウンズに熱狂したティーンやブルース・ロックに凝った青年達から一世代移ったのだと、ハッキリ伝わる。
いや、当時だってホームの横浜でなら、平尾さんの人気はまだまだ凄かったはずだ。でももう、レコードをどんどん出してテレビに出て歌っていない人が東京でも顔を利かせられる時期は過ぎている。ロックの世界では矢沢達より上だぜという自負が、残酷なほど浮いている。
「俺と矢沢もいろいろあったけど」
永ちゃんは、挨拶ひとつひとつに感謝し、ゲストを立てている。同時に、平尾のような格上も、先にヒット曲を出した先輩もことごとく食っている。
司会者のマイクが持つ場の支配力を、こんなにフルに行使している例はそうはないのだ。先の「唯一の友達」もそうだし、「すごく尊敬した」とナチュラルに過去形で紹介してみせるのもそうで、立てるも落とすも俺の匙加減だと、理屈よりも感覚のほうが怖いほどよく分かっている。
つまり永ちゃんは、丁寧にゲスト紹介をしながら、矢沢永吉は今後ここにいる誰の風下にも立つつもりはないからそのつもりで、と宣言している。
ミュージシャンじゃないけどライブに協力してくれたバイクチーム、クールスの団長・ヒロシちゃんと副団長・コーちゃんを自分の判断で紹介するのも行使の延長だろう。今や大御所格のベテラン俳優、舘ひろしと岩城滉一が世に出るきっかけとなった……のは、有名な話。
ところが。そんな永ちゃんの天性の政治家パフォーマンスを、最後に紹介される男が止める。
「俺と矢沢もいろいろあったけど」
記念の日に、いっちばん言わんでもいいことをわざわざ言って、あっという間に司会のコントロールを奪う、永ちゃんよりもナチュラルさが危険な男。内田裕也。
裕也さんが紹介された時の反響は大きい。フォーク畑のゲストにしらけ、グループサウンズ/ブルース・ロックの大物に喜ばない若い観客が、ワッと喜んでいる。
渡辺プロ所属のもうひとつ売れなかった元ロカビリー歌手への歓声とは思えない。大阪で後にタイガースとなるバンドを発掘し、フラワー・トラベリン・バンドを仕切ったプロデューサーという認識だって、どこまでこの場に浸透していたか。
もっとダイレクトな、旬の人物に対するワーッ、キャーッなのだ。規模の大きなロック・フェスティバルを次々と手掛け(そこに新進のキャロルを呼び)、個性派女優・悠木千帆(後の樹木希林)と出会ってすぐの結婚で話題を呼んだばかり。それで十分、引き付けられる存在だったのが分かる。
いるだけで目立つ。見る夢のイメージが大きい。自分なりの筋を通さないと気が済まないし、そこをハンパに扱う奴は許せない。不遇の時代に噛んだ唇の血の味は、墓に入った後も忘れない。
矢沢永吉と内田裕也は、よく似ている。
そんなことはない、逆だ、とも思う。
イベントや映画製作で最後まで首の回らない生活をしていた内田裕也には、もし現代に貴族が生きればその生き方は狂態と映らざるをえないだろうと想像させるだけの先天的美学があった。全部率直な人生態度がかける迷惑を、他の言葉で免罪できないから、なんでも「ロックンロール」。
一方、世の中金だ、金は怖い、10円儲けたら1円使えと信じる矢沢永吉には、音楽はメシを食い、ビッグになるための手段だった。しかし手段に対して誰よりも必死で真剣だから、誰のロックンロールよりも俺のが本物、と言い切れる自負が鍛えられた。その確信が後天的美学になっている。
きっと両方とも当たっているのだろう。そして2人とも、剥き出しのエゴに清潔さがある。
▼Page5 矢沢永吉と内田裕也が一緒にやれていた時代 に続く