【連載】「視線の病」としての認知症 第11回「声をあげる人」と「聴く耳を持つ人」text 川村雄次

信仰を持たない私は、神についてもスピリチュアルなものについても、彼女たちほど真剣に考えたことがなかった。だが、この「神を失う」ことをめぐる2人の対話の、下手に触れればたちまち壊れてしまうガラス細工を扱うような緊張感は伝わってきた。「神をわかる力」は「最後に失われる」のか「最後まで失われない」のか。エリザベスは「最後に失うもの」と言ったが、クリスティーンは「最後まで失われない」とメモしていた。エリザベスは、初めクリスティーンの書き間違えだと思うが、実は自分のほうが間違っていたのではないかと疑い始める。自分が鈍感で見過ごしていた「違い」に、クリスティーンが当事者ならではの敏感さで気づかせてくれたと考えたのだ。なぜなら、第三者の立場で考えると、「最後に失う」のか「最後まで失わない」のかはほとんど同じに思えるが、当事者にとってはその微妙な違いが、「神を失って死ぬ」のか「神を感じながら死ぬ」のかという、地獄に堕ちるか天国に昇るかほどの違いになるのであろうから。それは、当事者と話してみなければわからないことだった。

正直なところ、私にはどちらが正しいのかはわからない。にも関わらずエリザベスの回想を長さや難解さをいとわず引用したのは、彼女のクリスティーンに対する姿勢や視線の向け方に、「新しさ」や「可能性」を感じたからである。これほどの深さで認知症を見つめ、認知症の人と話し合った人がどれだけいただろうか?それはエリザベスが言うように、「指導する/される」「支援する/される」という一方的な関係性ではない。まさに「ともに歩む」のである。

彼女は、自分がクリスティーンに対して行ったことの要点を、「その人自身の文脈で一番深いレベルで見る。すると多くのことが変わり始める」と表現した。まさにその通り。クリスティーンが生きた証拠だった。

「クリスティーン、あなたの経験はとても重要だわ。絶対本に書くべきよ」。彼女に本を書くように勧めたのは、エリザベスだった。話し合いの前後にクリスティーンが書きためたメモがその材料になった。クリスティーンは原稿を1章書き上げるごとにエリザベスに見せ、話し合い、内容を深めていった。こうしたやりとりを重ねながら、クリスティーンは自分なりの答えを見つけ、暗い穴に引きずり込まれるような恐怖や絶望から脱していったのである。そして診断から3年経った1998年、1冊目の本を出版。認知症の人が絶望から立ち上がろうとする日々を自ら描いた希有な記録として注目され、世界に大きな影響を与えた。

本は、クリスティーン1人が書いたものではなく、「クリスティーンとエリザベス」という2人の対話の積み重なりから生まれたものであり、2人が歩いた旅路の記録だった。

クリスティーンとエリザベス

この旅によって変わったのはクリスティーンだけではなかった。エリザベスもまた旅を始めた時とは違う自分になっていた。看護師として、自己喪失の危機にさらされたクリスティーンという人間が持っている底力を知ることによって。また牧師として、そうしたどん底にある人間を見捨てない神の大きさを知ることによって。人間や神を見る目が鍛えられ、看護師としても牧師としても、ひと回り大きく、また強くなったのではないだろうか。彼女自身、「自分が成長する機会になった」と振り返っている。一次ロケの後の編集室で、編集の鈴木良子さんをして「こんな美しい人を撮らずにいられる神経がわからない!」とまで言わしめたエリザベスとは、「クリスティーンとの旅を通じて成長したエリザベス」だったのだ。それが「意味のある美しさ」の意味だったのだと思う。

出版後、クリスティーンは人生の新たな一歩を踏み出していく。結婚相談所を訪ね、紹介された元外交官のポールと結婚したのである。彼女と対話しながら、認知症の旅をともに歩む役割は、エリザベスからポールへと引き継がれた。エリザベスは言う。「スピリチュアル・ディレクションとは、なくてはならない人になることではなく、その人が自分の力で自分自身の旅を歩んでいけるように手助けすることです。彼女はいわばもう一人のスピリチュアル・ディレクターを見つけたのです。クリスティーンは今、人生のパートナーとともに旅をしているのです。」

クリスティーンたちがポールの果たしている役割を「介護者」と言わず、「ケアパートナー」という造語で呼んでいることは既に記した。「介護する/される」というだけの関係ではなく、ともに人生という旅を生きるパートナーだというのだ。その原型は「スピリチュアル・ディレクター」だった。診断後、「人生は終わった」と思っていたクリスティーンは、エリザベスと出会い、再び旅の続きをともに歩み始めた。そしてポールとの出会いによって、それまで想像もしなかった「診断後の人生」が花開いていく。

私たちが執筆過程を取材していた2冊目の本は、そうした彼女の人生展開の記録だった。タイトルは、『認知症とダンスを 認知症とともに前向きに生きる私の物語』。この本でクリスティーンは、認知症とともに生きることを、華やかなダンスのイメージで描き出した。ダンスのパートナーはポールである。パートナーは互いに尋ね合う。「あなたはどうしたい?」「どうしたらあなたを助けられる?」そして相手に合わせてステップを変えていく。ポールがリードすることもあれば、クリスティーンがリードすることもある。また、パートナーが交代することもある。そもそもこのダンスは、エリザベスからポールに引き継がれたものなのだ。

ポールというパートナーに励まされ支えられ、彼女は講演活動を始めた。インターネットを通じて世界各地の認知症の人たちとつながり、「私たち抜きに私たちのことを決めないで」をスローガンに掲げる国際的な当事者ネットワークDASNI(国際認知症権利擁護・支援ネットワーク)を結成した。そして、当事者として初めてADI(国際アルツハイマー病協会)の理事になった。

これらのことから私たちは何をくみ取ればいいのか?「認知症の人は何もわからない」という見方を改めたほうがいいということだろうか?「当事者が声をあげることで社会が変わる」ということだろうか?あるいは、「クリスティーンはすごい。新しい時代の扉をひらく人だ」ということだろうか?すべて全くそのとおりなのだが、私たちが2度にわたるロケを終えて帰国し、撮影したすべての映像を見終えた時、編集の鈴木良子さんが口にしたのは、別の観点だった。「声を上げる人は偉いけれど、聴く耳を持つ人が大事なのよ」と言うのである。確かにそうだった。クリスティーンは暗闇からひとりで脱したのではなかった。

その後私は、クリスティーンの言葉や生き方に触れて、多くの認知症の人々の旅が始まり、医療やケア、社会の変革を求めて声をあげるのを目撃し、日本でまた海外でそうした人たちを取材して多くの番組を作ることになったが、そのかたわらには必ず「聴く耳を持つ人」がいた。認知症の旅も、認知症とのダンスも、ひとりでは始められないし、続けることも出来ない。「声をあげる人」と「聴く耳を持つ人」の両方がそろわなければ、何も始まらないのである。

完成した2冊目の本に、クリスティーンはこう書いている。この一節こそ、彼女がまずエリザベス、そしてポールと対話を重ね、旅を続けながら到達した認識のエッセンスであり、認知症多発時代を生きる私たちの指針とすべきものであると、私は思う。

病気を変えることはできないが、それとどう向き合うかは変えられる。自分の人生を変えるには、それだけわかれば十分だ。認知症になったら自分がなくなってしまうという嘘。その嘘を、私たち自身が捨て去れば、認知症があっても、新しい未来を創り出すことが出来る。そして一番大切なことは、家族や友人たちに、「認知症の旅を一緒に歩んでください」と求める資格が自分たちにあると気づくことなのだ。
<クリスティーン・ブライデン著『認知症とダンスを』より>
(英語原文から馬籠久美子訳)

このような旅を歩きながら、「死ぬ時、私は誰になるのか?」を問い続けたクリスティーンが2冊目の本でどんな答えを出したのかについては、次回記すことにしたい。

(つづく。次は9月1日に掲載する予定です。)

【筆者プロフィール】

川村雄次(かわむら・ゆうじ) 
NHKディレクター。主な番組:『16本目の“水俣” 記録映画監督 土本典昭』(1992年)など。認知症については、『クリスティーンとポール 私は私になっていく』(2004年)制作を機に約50本を制作。DVD『認知症ケア』全3巻(2013年、日本ジャーナリスト協会賞 映像部門大賞)は、NHK厚生文化事業団で無料貸出中。