【連載】「視線の病」としての認知症 第11回「声をあげる人」と「聴く耳を持つ人」text 川村雄次

クリスティーンの話を聞くエリザベス・マッキンレー

「視線の病」としての認知症
第11回 「声をあげる人」と「聴く耳を持つ人」

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2004年の2度にわたるオーストラリアロケの目標は、クリスティーンの本がいかに書かれ、1995年の診断に始まった彼女の「心の旅」がどこに行き着くかを確かめることだった。この点については、鍵を握る人物がいた。エリザベス・マッキンレーである。大学で老年看護学を講じる看護師であり、牧師でもあった。彼女の名前はクリスティーンの1冊目の本の要となる所で何度か登場する。また序文に、「彼女がいなければ、この本は書き上げられなかったし、出版されることもなかっただろう」と書かれているので、クリスティーンにとって大切な人であることは疑いようがなかった。だが私は、「認知症とともに生きるクリスティーン」について番組を作る上で欠かせない人とは当初考えていなかった。今考えると、彼女が果たした役割を抜きにした番組などあり得なかったはずなのだが、そのことに気づくまでには時間がかかった。

 2004年4月からの第1次ロケは、2冊目の本を書きつつある最中で、クリスティーンは折々に書き上げた原稿を日本に送り、私たちは日本から送られてくる出来たての翻訳を参照しながら、何をどう撮るか考えを練った。

ロケの後半、私たちはキャンベラまで1500キロの旅に同行した。いつもポールが乗っている車で、小さな鯨のような形のキャンピングトレーラーを引っ張っていく2泊3日の旅。飛行機に乗れば数時間で行けるところを、自然公園の中にテントを組み立てて泊まりながら山を越え、3日かけて旅するのである。私たちは、その後ろをロケ機材運搬用の車で追いかけた。私たちの車の乗り心地があまりよくなかったこともあり、撮影の南波友紀子と私は時折ポールの車の後部座席に乗せてもらった。ポールは運転しながらずっとぼそぼそと低い声でクリスティーンに話しかけ続けている。クリスティーンは、車の前をカンガルーが走り去る時、雨が通り過ぎて虹が出た時、いちはやく見つけて喜びの声をあげる。実に楽しげな長距離ドライブ。2人にとって旅は単なる移動以上のものだった。1年中温暖な海辺の町を出て、南極方向へ走り、海抜およそ580メートルのキャンベラに近づくと、秋の気配がどんどん深まっていく。街路樹の葉が鮮やかに色づき、輝きながら散っていた。

自然公園で宿泊の準備をするポール

オーストラリアの首都キャンベラは、クリスティーンが官僚として働き、認知症と診断され、ポールと出会い、結婚式を挙げた土地である。2人は町外れのオートキャンプ場でテントを組み立て、旅の疲れを癒やした後、私たちを人工の湖の畔に案内してくれた。そこは6年前、結婚相談所で引き合わされた彼らが初めてデートした場所だった。その時すぐポールと通じ合うものを感じたクリスティーンは、自分が認知症と診断されていることを知らせておかなかったことを後ろめたく思い、ありのままを打ち明けた。「この人と会うのもこれが最後になるだろう」と思いながら。ところがポールは、「そのことなら何とかなると思うよ」と応じたのだ。私たちは、その時の2人のときめきやためらいを追体験するような、ドキドキする感覚を味わいながら撮影していた。

木々に囲まれた湖面には、野生のスワンが泳ぐ。私たちは、最新の原稿で彼女の現状を表す比喩として描かれていたスワンが、クリスティーンにとってごく身近な鳥であったことを知った。彼女は、自分をスワンに喩える。水上を優雅に滑るスワンは、水面下では浮かび続けているために必死に足で水をかいている。だがクリスティーンは、足を動かし続けることに疲れ、今にも溺れそうだと感じている、というのだ。2人は今、どんな思いでスワンを見つめているのだろう?

湖で私たちは、クリスティーンの思い描くスワンが黒いことを知った。北半球ではスワンといえば白鳥だが、南半球では黒鳥なのである。

首都キャンベラ

ロケを進めながら、私たちはクリスティーンの疲れに気を使うようになっていた。認知症初期の人たちの中には、疲れやすさを訴える人たちがいる。クリスティーンの言い方を借りると、「正常なフリをするために、減ってしまった脳をフル稼働させる」ので、エネルギー切れになるのだという。クリスティーンの場合、疲労が限度を超えると偏頭痛が起きる。そうなると何日も寝込むことになりかねない。

私たちは、撮影という行為が彼女に与えるストレスについて意識するようになっていた。認知症であろうとなかろうと、自分のいる空間に他の人がただいるだけでもストレスを感じるものだが、その人がカメラを持っていたら、ストレスは高まる。自分にカメラを向けられたなら、なおさらである。「何かをやらなければいけない」「言わなければいけない」という気持ちにスイッチが入るのだ。そうした被写体となる人自身の表現への意欲やテンションの高まりは映像の力の源であるが、ストレスと疲労の元でもあった。またクリスティーンは、「認知症のため、一度入ったスイッチを自分で切るのが難しい」と言っていた。私たちは、そのシーンに何の意味があるのか、本当に必要かを厳密に問い、お互いに確認しながらカメラを構えるようになっていた。本当に必要な時にだけ彼女にスイッチが入るようにと考えたのだ。当たり前と言えば当たり前のことなのだが、この取材においてはとりわけ重要なことだった。私たちは、クリスティーンが首筋を触り始めたら偏頭痛の前兆なので、すみやかに撮影を終え、彼女から離れることに決めていた。

クリスティーンとポールは人工湖の畔を歩いた後、先ほど記した重要人物、エリザベス・マッキンレーのオフィスを訪ねた。彼女は聖マルコ神学センターという研究機関の長だった。訪問にあたり私たちは「同行するけれど、テープを回さないことにしよう」と確認し、クリスティーンたちにもそう伝えた。

部屋に入ると、クリスティーンは執筆中の本に書こうと思っていることについて堰を切ったように話し始めた。私たちが見たことのないほどいきいきと楽しげでハイテンション。まるで少女のようだ、と私は思った。そんな彼女をエリザベスは澄んだ青灰色の眼差しで見つめ、相槌を打ちながらすべてを吸い込むように聞いている。ポールは女性2人の世界に入り込めないのか、少し距離を置いたところに立ったまま動かない。「何か」が起きていることは確かで、撮影の南波、音声の吉川、私の3人とも「撮りたい」という思いを抑えがたがったが、予めの約束を最後まで愚直に守り通した。

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