正直に言おう。前回の2011年、震災特集上映「Cinema with Us」に、結局私は足を運べなかった。あまりに巨大で、東京に暮らす自らの状況とかけ離れた「震災」という現実に向き合えと言われても心の準備ができなかった。怖かったといえばそれまでだ。
それから2年が経った今回、ふたたび「Cinema with Us」は特集される。足を運ぼうと素直に思った。手探りだけど、仲間の声や映画を通して、この問題への関わりを自分なりに引き寄せ続けた2年という時の歩みがあったからだ。
つまりはこうだ——時が経つから新たに見えることもあるだろう、作家にとっても、私たちにも。その思いを念頭に、コーディネーターの小川さんに話を聞いた。
(聞き手・構成=佐藤寛朗/電話による取材)
———小川さんはふだん「せんだいメディアテーク」で学芸員という御立場でお仕事をされています。どういうきっかけで「ともにある」のコーディネーターを務められることになったのですか?
小川 前回(2011年)の「Cinema with Us」では、シンポジウムのひとつで司会をしただけでしたが、企画が継続するということになり、事務局から声をかけていただきました。山形映画祭でコーディネーターを務めるのははじめてです。私自身は仙台生まれの仙台育ちで、文化施設で仕事をしているので震災にまつわることに関わることが未だ多いということもありますが、自分が生まれ育った街が被災したことの意味は、まだまだ大きいと思っています。
———東日本大震災から2年半が経ちましたが“震災の映画”を山形で集中的に見せることの意味として、今回、改めて考えたことはありますか?
小川 プログラムに組むにあたって考えたことは、大きく上げてふたつあります。
ひとつは作品を「映画祭で見せること」の意味、そして、このプログラムを「継続させること」への意識です。
映画を、あるいは映画を通じて社会を見ようとする人達が集まる場が“映画祭”であるとすれば、それは震災復興の会議の場とはまったく違うものですよね。まずそのことを、念頭に置きました。
震災をめぐる社会的な問題を軽視するつもりはありませんが、復興を巡る主張の何が正しくて、何が正しくないかということは、実ははっきり見えているわけではありません。土地によっても違うし、個人個人によっても違います。
映画としての表現が、主張の正しさと一致するとは思いません。むしろ、様々な視点とアプローチを持った映画がこの山形映画祭という場に集まること自体が、現実の社会の問題と多角的に関わる上でもとても貴重なことではないかと思います。
———なるほど、主張の「正しさ」だけでは、見えてこないものがある、と。
小川 当たり前のことですが、現実に起きたことは、そのままの形で残すことはできないので、なんらかの表現に変換する必要がある。そのひとつが“映画にする”ということだと思いますが、個人的には、映画という「表現」を通して理解するということは、厳しい現実に対して一定の距離を取る方法のひとつだとも思っています。
「震災への関心が薄れている」と言われるような状況のなかで、私自身はまだまだ家を流されたり、家族を亡くした方と出会う機会も多いし、そのことにとても気を使います。当事者と、それ以外の復興に関わろうとする人々の尺度に温度差がある問題に対して、差がある現実、という形で認められるのが、映画という表現のひとつの力でしょう。その現実が認められないと、それこそ忘却や風化を許すまじ、という単一の議論になってしまいます。
——そのあたりの温度差を意識することが、『ともにある』プログラムをどう継続するか、という問題に繋がるのかも知れませんね。
小川 とかく「正しさ」が力を持つ問題なのかもしれませんが、長い時間をかけないとわからないこともあると思うのです。山形には当事者ではなくても関心の高い人が集まってくると思いますので、復興のための最適解はなにかということとは別の、持久走のような視点が必要かとも思いました。映画祭の場だからこそ表現できる作品選びを心がけたつもりです。
———作品の選定について聞きます。まず報道によると、日本からの応募作品約300本のうち、約100本が震災関連だった(10月4日、朝日新聞夕刊による)そうですが、これについてはどのようにお考えですか?
小川 率直に言って、ドキュメンタリー映画には、社会問題や悲劇を題材に話を作っていく側面もあるので、ある程度は予想はつきました。私としては、その数よりも、異なる事情を持った広い土地で、それぞれの立場から違った作品を産み出していることの意味を、積極的にとらえたいと思っています。
この震災を悲劇だとすれば、映画はその悲劇から搾取するだけではいけないだろうと考えると、同じ場所の記録でも、実にいろいろな捉え方がある事に気づきます。定点観測的に地道な記録に残す作業をしている人もいれば、当事者としての想いを込めて撮る人もいる。あるいは仕事として撮っている人もいるでしょう。当事者だから正しいのではなく、それぞれの立場で撮るときの思いを聞いてみたい気がします。
——福島の原発事故に関連する作品についてはいかがですか?
小川 原発関連の作品はたくさんありましたが、プログラムとして取り上げるのは一部に留まりました。主に海外資本の作品の傾向ですが、ある種の「紋切り型」が多いと感じました。日本という遠くの国の問題を本国に伝えるためには定型にはめざるを得ないのかもしれません。
——その中から15本の選定するのに、苦労したと聞きました。どのあたりが難しかったのですか?
小川 いちばん大きかったのは、見知った土地や問題の作品がほとんどなので、自分の感情を引き剥がして作品を観ていくことが難しかったです。何ヶ月か毎日コツコツと見ていくのですが、正直なところ1ヶ月目くらいで気が滅入ってしまいました。これまで関わったどの作品選考とも違い、題材はひとつだし、自分自身のことでもあるので。
——2011年と、今回の2013年の違い、という意味ではいかがですか?
小川 直後だった2011年に比べると、視覚的なインパクトによらない作品が増えました。もうひとつは、生きている人を描く以上、震災が人生のすべてを塗り尽くしているわけではない、と思わせる作品が多くなったということです。
つまり、生き残った人には、当然それぞれの人生がある。それは自然な感覚だと思います。表現として的確かどうかはともかく、一定の時間や人々とのやりとり——街の人々であれ、作家との関係であれ——を通して見えてきた“何か”を捉えた作品が多いのが、今回のプログラムの特徴です。
——それでは、具体的な作品についてお聞きします。
小川 たとえば『輪廻 逆境の気仙沼高校ダンス部』(監督:宮森庸輔)は、ダンス部の女子高生の日常を良く捉えていて、彼女たちの自然な会話の中から、被災の状況がさりげなく語られていたりする。『還ってきた男 ―東京から福島 しあわせへの距離―』(監督:竹内雅俊)では、個人的には共感できないところもあるけれども、福島を離れざるを得なくなった中年男の哀愁が画面から強く漂ってくる。被災の事実そのものから、被災で変わった個人の事情が見えてくる段階になったのかもしれません。
——記録のバラエティという意味ではどうですか?
小川 『波伝谷に生きる人びと ―第1部―』(監督:我妻和樹)は、南三陸市の海岸沿いの集落の人々の暮らしや風俗を記録映画にするために、震災前に監督が撮り続けていた映像をまとめています。その意味では、地震の映像はほぼまったく出てこないのですが、震災で失われた貴重な情景の記録が見せたい、ということが、作品を仕上げる上で、大きなモチベーションになったようです。
ユニークさでいえば、『仙台の下水道災害復旧』(監督:高野裕之)なども貴重です。監督自身は土建屋さんで、仕事の時にカメラを持ち込んで復旧作業を撮っていた。これが映画なのかという問いはあるかもしれませんが、作家でもマスコミでも見ることができない光景をすくい上げてきたという点で重要なものです。
——一方で、ストレートに原発事故が及ぼした問題を追求した作品もありますよね。
小川 山形が初の上映となる『遺言 ―原発さえなければ―』(監督:豊田直巳、野田雅也)がそうですね。飯舘村の人々を中心に描いた4時間の大作ですが、直球勝負の力強さに圧倒されました。ストレートという意味では、『A2-B-C』(監督:イアン・トーマス・アッシュ)も面白い。今回のプログラムでは、震災とは別の切り口として、家族の視点があると思います。“お父さん目線”の作品には、「土地」や「仕事」の物語が出てくるのに対し、この作品は“お母さん目線”で、子どもたちの健康を守る気持ちや、放射性物質を浴び続けることの不安が素直に受け止められている。監督は日本に在住するイギリス人で、取材相手を確信犯的に挑発したりもするのですが、独特の立ち位置がある作品です。
——被災した当事者が撮影した作品、というのはありますか?
小川 直接津波で家を失ったり、親族を亡くした方が撮った、という作品は今回はありませんが、『南相馬市原町区 僕の町の住民』(監督:岡達也)や『ソノサキニ』(監督:島守央子)などが、被災地域に実家がある監督という意味で、それに近いかもしれません。『ソノサキニ』は震災の影響で経営の変化を余儀なくされた監督の父親を描いた作品です。
——最後に、『Cinema with Us』では、作品の上映に付随して、2つのディスカッションがありますね。どのようなことがテーマになるのですか。
小川 「震災映像のアーカイブ」と、「震災を撮り続ける作家」たちという、でふたつのディスカッションがあります。アーカイブは、今後、山形映画祭でも震災映像の収集・公開することを構想しているのですが、そのことに向けた、公開の企画会議のようになれば良いですね。作家のほうは、先ほど話した同じ土地を複数の立場の人間が撮り続けていくことを念頭に置いて、個人的な熱意と組織や制度の間にあるものが浮かび上がると良いかなと思っています。ドキュメンタリーを撮ること自体がひとつの典型的な解釈にはめ込まれるのではなく、いろいろな人がいろいろな形で関わりながらできているという、当たり前のことを考え直したいです。
【開催情報、プログラム詳細はこちらから】
公式HP:http://www.yidff.jp/
新設!YIDFF Live!→http://www.yidff-live.info/ (会場のお知らせなど)
【関連記事】
【Pickup】特集★山形国際ドキュメンタリー映画祭2013 「生きる意欲をくれた映画祭」藤岡朝子さん(ディレクター)インタビュー
【Pickup】特集★山形国際ドキュメンタリー映画祭2013 「開かれた“場”の可能性—ヤマガタ・ラフカットの狙い」 橋浦太一さんインタビュー
【Pickup】特集★山形国際ドキュメンタリー映画祭2013 「いま東南アジアが熱い!」若井真木子さん(「アジア千波万波」部門コーディネイター)インタビュー
【Pickup】特集★山形国際ドキュメンタリー映画祭2013 「分かりやすいシステム=ストーリーに寄りかからないために――それぞれの『アラブの春』」加藤初代さんインタビュー 聞き手=萩野亮
【Pickup】特集★山形国際ドキュメンタリー映画祭2013 「マルケルの歴史、それはメディアの歴史」小野聖子さんインタビュー 聞き手=藤田修平
【プロフィール】
小川直人(おがわ・なおと) せんだいメディアテーク学芸員/logueメンバー
1975年宮城県生まれ。映像文化を軸とした企画や書物の編集、教育活動を行う。仙台市にある文化施設・せんだいメディアテークほか、地元のクリエイターらで組織するlogue(ローグ)、プロジェクトFUKUSHIMA!など