『ホームレス理事長 ~退学球児再生計画~』(監督:圡方宏史)。
全国の上映会も含めて4万人を動員した『約束 名張毒ぶどう事件 死刑囚の生涯』(2012/監督:齊藤潤一)に続く、東海テレビ放送制作の劇場公開ドキュメンタリー、第6作目にあたる。
ざっくり紹介すると、野球の強豪高を様々な事情で退学した子を集めて設立した愛知県のNPO「ルーキーズ」のドキュメント。「ルーキーズ」はドロップアウトした球児たちに再び野球と勉強の場を! と実に熱く、きもちのいい理念のもと運営されているのだが、夢を語る理事長自身は毎日、資金繰りに追われている。借金で首がまわらない。しまいには部屋を追われて、タイトル通りのホームレスになる。それでも「ルーキーズ」をやめない。
さて、このありさまは一体なんなのだ。あさっての方角に向かってひた走るような理事長の姿を、どう捉えればいいのだろう……と、見てしまったら、しばらく立ち止まらざるを得ない映画である。
僕は実のところ、第4作『長良川ド根性』(2012/監督:阿武野勝彦・片山武志)のあとの、『約束 名張毒ぶどう事件 死刑囚の生涯』がドラマの手法で作られたことで、東海テレビがドキュメンタリー番組を映画版にして公開する路線は、いったんピリオドを打つか、しばらくはお休みするのではないかと予感していた。
『長良川ド根性』がそれだけの映画だったからだ。「分かりやすく伝えようとはしない」は、6本全てのプロデューサーである阿武野勝彦が、映画に進出した当初から唱えてきたテーゼだったが、『長良川ド根性』までくると人物探求のアプローチはほとんどもう文学の領域に近い。ドキュメンタリーとして発表し、ドキュメンタリーの枠のなかで評価を受けることがそろそろ窮屈になっているのではないか? とも感じられていた。
しかし、『ホームレス理事長 ~退学球児再生計画~』は、『長良川ド根性』さえ上回る、ものの見事にモヤモヤさせるドキュメンタリーだった。
プロデューサー・阿武野勝彦氏へのインタビューは、以上の感想から始めた。
(取材・構成:若木康輔 構成協力:リンリンコリンズ凜凜)
こういう団体が世の中にあるし、それが今の社会です
阿武野 ああ、そうですか。僕の中ではかなりスッキリしている作品なんですけど(笑)。
——スッキリというのは?
阿武野 見て下されば、いろんなものを感じとってもらえるものになっていると思っているんです。
メッセージはひとつじゃなくて、様々な見方ができるものだなと思って頂ければ、世の中が少しでも豊かになることにつながる。そうなればこんなに嬉しいことはないなあ、と。
——ドキュメンタリーに限らないことですが、人が映画や作品に接して気持ちが動く場合には、大きく二通りあります。訴えたいテーマがある作品をまっすぐ受け止める気持ちよさ(あるいは物足りなさ)と、両義的な意味合いを孕んだものを見る面白さ。
後者は、例えば向こうの立場からすると自分じゃなくて向こうのほうが正しい、そうした価値観を提示されて、どう捉えればいいのだと咀嚼することで価値が出てくる。阿武野さんがスッキリしているとおっしゃるのは、見る人に考えさせるものがしっかり作れたという意味ですね。
阿武野 そうです。意外とPOPに見れるし、笑いもあるし、ちょっと胸を掴まれるようなこともあるし、「これ問題じゃない?」って思われるシーンもあるし。ひとつの物語のなかに、様々なものの見え方がするエピソードがありますから。
それに、取材のプロセスが描かれているでしょう。まさか、山田豪理事長がアパートを追い出されるとまでは思っていなかったのが、こうなってしまうというか。
——NPOをやっている少し変わった人物がいる、が出発点ではなかったわけですか。
阿武野 当初は、理事長を追いかけるつもりは、ありませんでした。監督の圡方宏史たちがカメラを持って現場で泳ぎ、取材の中心は「ルーキーズ」の子供たちと池村監督でした。特に、小山君という子の「ルーキーズ」から離れたり戻ったりを見ていく、といった取材を繰り返していくことになりましたが、いろいろなものが見えていたんだと思います。しかし、なんとなくですが、これでは、僕は、面白くないと思っていたんです。
——阿武野さんが書かれたプロダクションノートには、本作はもともと夕方のニュースの企画だったと書かれています。ニュース番組のなかで、特集コーナーのVTRとして紹介されるものですね。
高校を退学して甲子園に出る夢を閉ざされた球児たちが、また別のかたちで野球をやっている。カメラが入った当初は大人への不信感をむき出しにした、やんちゃな子たちが、白球を追ううちに活き活きと甦る。これ自体はきっと誰が見ても気持ちのいい、ニュースの特集Vに素晴らしく適うトピックスです。
ただ、長尺のドキュメンタリー番組にする場合はそれだけでは足りなくて、そこで阿武野さんが、周囲の大人をもっと掘るよう指示したのではないか。そう想像していたのですが。
阿武野 最初はニュース企画で、圡方は約10分の特集を2本作って放送しました。僕も彼も同じ報道局という部署にいますから、それを見て、粘り強い取材だし、これはこれでいいと思っていました。
この話とは別に、1本ドキュメンタリーを作ろうと。誰にディレクターをやってもらおうか。圡方がいいんじゃないかと。そこで、圡方に「何でもいいよ。ルーキーズじゃなくてもいいから」とやりたい企画を自由に出すように言ったんです。で、結局「ルーキーズをもっと追ってみたい」と。
スタッフを決めて、取材に送り出しました。数ヶ月のあいだ、圡方が取材していたのは、子どもたちと池村監督でした。それはそれで、日系ブラジル人の選手が不法滞在かもしれないと悩んでいる、帰国するなどという話があったり、いろいろなことが目まぐるしく起きているという感じでした。ドラマと映画で大ヒットした『ROOKIES』とは少し違う、実写版ROOKIESのようなドキュメンタリーになるのかな、それでもいいかな、と考えた時期もありました。
しかし、やっぱり面白くない。で、思いつきですが、もしも、チームを支えている大人たちのほうを追うとどうなるのかな、と。
「山田理事長は毎日何やってるの?」と訊きました。「金策です」と圡方が答えました。これが、とても気になった。古い言葉ですからね、「金策」なんて。何言ってんだろうって。
圡方としては、捉えどころがない山田理事長にはあまり触れず、子どもたちと池村監督の青春物語に絞って番組をまとめようとしていたと思います。だけど「理事長を追ってみてよ」とプロデューサーに言われたら、手を付けないわけにはいかない(笑)。実際に追いかけ始めたら、理事長の得体の知れない沼にはまっていってしまった。それが、作品の縦軸になっちゃったという感じです。
——この、neoneoという媒体でドキュメンタリーについて紹介させてもらっていますけど、実は僕、理事長の姿を見たあと、やめたほうがいいかな、と半分本気で考えてしまいました。
阿武野 (笑) それ、どういうことですか?
——手弁当なのはもちろんですが、neoneoの記事を作るのに本業の仕事を断ったり、遅らせてもらったりはしょっちゅうなわけです。そのくせ、ドキュメンタリーの魅力をもっと広く世間に伝えたいだなんて立派なことをフワフワと言っている。neoneoに参加してもお金にならないから……と痛いところをグスグズ言う子には「やるのかやらないのか、どっちなんだ!」とムキになって怒ってしまう。そういう自分をこの映画で、鏡のように見てしまうんです。具合が悪くなってしまいそうなぐらい。
阿武野 (笑)
——金を返せなくて頭を下げたことがあるとか、給料を遅配する会社にいるのにやめられないとか、ネガティヴな経験を積んでいる人ほどたまらない映画だと思います。
それでも、理事長はひた走っている。〈あかるい『ゆきゆきて、神軍』〉と名付けたくなるようなところがあります。
阿武野 なんでしょうね。『ホームレス理事長 ~退学球児再生計画~』に、『ゆきゆきて、神軍』を感じる方が、映画人に多いですよ。
——フシギと重なりますね。やはりそこは、山田さんのような規格外の人物を見つけたということに尽きるのでしょうが。
プロデューサーとしてやっていることは、ニセ占い師と同じです
——そこで知りたいのが、阿武野さんのプロデューサーとしての仕事のかたちです。
ドキュメンタリー番組のプロデューサーは、取材がある程度まとまってからラッシュや粗編の状態を見るという方と、割と細かく報告を求める方とに大きく分かれると思います。阿武野さんは、どちらでしょう?
阿武野 『ホームレス理事長 ~退学球児再生計画~』は、最初は全部ラッシュを見ようと思いました。監督がルーキーですし、細かく報告を挙げてくるんで、ちょっと心配になって。でも、かなり早いうちにやめました。現場をすべて掌握しようとするのは、プロデューサーの悪癖ですから。
スタッフを決めて取材対象を決めたら、極端な言い方ですが「報告はするな」。トラブルがあったり必要な時だけ言ってくれ、と伝えて。今回は、報告好きだったので、報告だけは聞きましたが、編集の第1稿ができるまで、ほとんど口を出さなかったですね。
——それもある程度、サジェスチョンをした上でですよね。
阿武野 でもね、「誰がこの人を追えと言ったのか」と問われたら、僕がって話になってしまいますけど、やってることはニセ占い師みたいなものです。
最初にどんなシチュエーションか訊いた時に、「あれを撮ったら面白いんじゃない? そうすれば、あなたはきっとこうなります。間違いありません」ととにかく答える。それで追っていたら、なんだか本当にそうなってきて、「ああ、あの占い師はありがたい」となる(笑)。ニセモノですよ、だから。
——そうはおっしゃいますけど、現場に口を出す出さないとは別に、グランド・デザインを示すのもプロデューサーでしょう? スタッフがみんな船員でコンパスのきかない海にいるような時、向こうに島がある、とりあえず船を南東に進めろ、と言ってくれるだけでも相当大きな存在ですよ。
阿武野 ああ、それはね、おそらく取材の仕方がそれを必要としてないんですよ。
『ホームレス理事長 ~退学球児再生計画~』は毎日、どうぞ取材に行ってくださいと送り出して。40分テープで500本くらいVTRが回ったと聞いていますから、300時間以上の映像素材です。
ロケに出た日数は大変なもので、正確には掌握していませんが、1年は撮影しているんじゃないかな。そのうち、理事長に取材をした期間は約8ヶ月です。これぐらい行けば、素材はもうイヤっていうほど上がってきます。試合だの、イベントだの、特別じゃない日にどれだけ取材しているかが勝負だと思います。
そうなると、取材の筋を少し間違えていたとしても実はそんなに大差ないというか。露天掘りの取材で鉱脈が見つけられれば、よほど方向性を間違えない限り、ディレクターと編集マンは表現すべき物語を自ずと見つけられると思うんです。
ですから、僕のやることはグランド・デザインを示すことではなくて、存分に取材をしてもらうだけの余裕というか、これぐらいのスケールで取材に行ってくださいと言える環境づくりかな。それを手渡しさえすれば、後はいいものを作ってくれるスタッフだと思っています。
——それでも少し粘らせて頂きたいのが、テレビ版から劇場公開版に至った東海テレビの一連の作品にはやはり共通したカラーがあり、それが阿武野さん個人のカラーではないかということです。
例えば、どれもが強烈な個人を軸に描きつつ、一種の組織論として見ることができます。『長良川ド根性』でも経済基盤への視点が骨太にありましたが、『ホームレス理事長 ~退学球児再生計画~』では、その経済基盤が脆い組織はいかに揺れるものかを、抉るように見せている。
だけど、池村監督も佐野コーチも、なかなかルーキーズを去れずにいる。きっと、山田理事長が語る“美しい明日”を聞いてしまったからなんですよね。
阿武野 はい。
——阿武野さんもプロダクション・ノートで、プロを頂点とするスポーツ界のピラミッドが一度ドロップアウトした子は二度と日の目を見れない構造になっている現状を、ルーキーズを通して問いたかったと書かれています。ここからも、阿武野さんにとって常に組織への思いがテーマにあるのではないかと思われるのです。去年、琉球朝日放送が制作した『標的の村』のパンフレットに阿武野さんが書かれた文章が、まさにそうでした。
阿武野 ああ、ワケの分かんないこと書いてあるでしょ。
——いえ、凄いと思いました。迷ってるということをまんま書かれるから、文章に迫力がある。
阿武野 もう、無かったことにしてほしい(笑)。
——それでも、ここが阿武野勝彦のヘソかな、と僕が勝手に思っているところを朗読させてもらうと、
「ドキュメンタリーは現実に関わるものだ。その現実と組織は地続きで、つまり、自分の足と足元の関係をどう捉えているかが、表現に滑り込んでくると思っているのだ」
映画を作るたびに社内で闘っている心境が、反映されている文章だと思うのですが。
阿武野 そうですね。男らしくないですねえ(笑)。今日、昼間に時間が空いたんで、相田みつを美術館に行ってきてね。最初はこんな説教こかれたくないわとか思いながら、書を見て回っているうちに、だんだんと、そうそう、俺はずいぶんダメな男です、ごめんなさい、相田さん……って(笑)。