【記録文学論①】 『ピンチランナー調書』 text 中里勇太


 「――ピンチランナーに選ばれるほど恐ろしく、また胸が野望に湧きたつことはなかった! あれは草野球の受難だ。いまあの子供らは、ピンチランナーに呼びかけないが、たとえこのような場合にもおそらく……」。一ページ目に置かれた原子力発電所のもと技師であるひとりの男のことば、それを糸口として小説は始まる。だが、〈原子力発電所のもと技師〉であり〈受難〉、〈いまあの子供らは、……呼びかけない〉と、それらの語を目にした瞬間、もうこれ以上、ページは開かなくてもよいのではないか、と目まいに襲われたわたしたちの足場はすこしずつ(……)崩落しかけている。

書き下ろし作品として一九七六年に刊行された大江健三郎の長編小説『ピンチランナー調書』。原子力発電所のもと技師である森・父と、作家の「僕」には、ともに同じ部位に頭蓋骨欠損を負って生まれてきた息子がおり、学校へ通う息子の送迎を通して二人は出会う。やがて、森・父は教師や父母と教育方針を巡って対立し、息子とともには学校を去る。しばらく音信が途絶えていた森・父から「僕」へ手紙や創作が送られてくるようになると、その後は、作家である「僕」が森・父のゴーストライターとして小説を書くという構造で展開していく。

物語が大きく飛躍する前に、森・父は自らが被爆した事件を語るが、それは無防備な輸送とともに喜劇的に描かれている。護衛もなくたった三人のスタッフで核爆弾二十個分の核物質を積んだ大型トラックを走らせていたさい、『オズの魔法使い』の「ブリキマン」そっくりの格好をして金属音をたてながら動きまわる核物質泥棒に襲撃され、「ブリキマン」が手に持っていた刺股で突つかれるうちに、漏れ出た核物質によって火傷を負い、森・父は被爆する。事件がきっかけで原子力発電所を休職中の森・父は、いまだに金をもらっていること、守秘義務があることを漏らし、この事件の被爆の核心を話すこともない。

この件からわたしたちが否応もなく想起するのは、三月十二日の東京電力福島第一原子力発電所の爆発であり、喜劇的な描写にもかかわらず、その輸送の無防備さに自然災害に対してあまりにも無防備だった原発を重ねるどころか、刺股という無力な武器にことの核心を見てしまいかねない。放射性物質が拡散していく経路がほぼ生きていくことに等しいことにつよく戦いたわたしたちにとって、およそ襲撃には相応しくない刺股を突きつけられたこともパロディとしては読めずよけいに胸を突く。

文庫版巻末に併録されたエッセイ「『個人的な体験』から『ピンチランナー調書』まで」で大江自身が述べるように、「『ピンチランナー調書』の文章のかたちと記述のしくみは、複雑化している。しかしその複雑さを構成しているいちいちの層は、くっきりして」おり、小説を構成する内ゲバ、連合赤軍とおぼしき「ヤマメ軍団」、政治経済界の「大物A」氏の存在、地方から上京する道化集団などといったいくつもの層同様に、森・父が述べる原発の事象も、たしかにその層のひとつに過ぎない。

だが「ひとつのかたまりをなすイメージを書きつけ、いったん書きつけられたイメージを読みかえして、自由にそれをつくりかえて行く、その想像力の行為」を中心にすえている大江にとって、書きつけた「ひとつのかたまりをなすイメージ」がその先見性により、現実に追いつかれてしまうことも起こり得る。それはいまなにが起きているのか/起こりつつあるのかを考える契機として浮き彫りになり、フィクションの記録性として存在するのではないだろうか。息子の森が通う学校の教師や父母を前に森・父が打った次の一席は鋭く現代性を帯びている。