——『石の賛美歌』の映像を見ていてどうですか。その頃にちょうどパレスチナを取材なさっていたのだと思いますが。
土井 映画を見ていて、昔を思いだしました。『石の賛美歌』にもありましたが、ガザ地区でイスラエル兵に抵抗する市民や子どもたちが銃で撃たれて、病院へ行くと、人々が血を流していたり、頭を撃たれて半身不随になった子どもがいたり、そのような状況をまさに私は取材していました。第二次インティファーダになると、パレスチナ人側が抵抗に銃を用い、イスラエル側は銃だけではなく、戦車や戦闘機まで使って、パレスチナ人を攻撃しました。そのため多くの死傷者が出ました。第一次インティファーダの時は、パレスチナ人が投石などで抵抗したため、第二次の時ほど多くの死傷者が出ませんでしたが、抵抗を抑えるために、投石したパレスチナ人の腕の骨を叩き折るような政策も取りました。これは当時のラビン国防相の発案です。イスラエル兵がパレスチナ人青年を捕まえて、鉄の棒で腕の骨を折るシーンがアメリカのテレビニュースで報道されこともあり、アメリカでもイスラエル人とパレスチナ人のイメージが大きく変わりました。それまでは「被害者」のイメージが強かったイスラエルのユダヤ人が実は、凶暴な「抑圧者・占領者」である実態を見てしまったのです。
『石の賛美歌』の映像を見て、ものすごい衝撃を受けました。当時の私はジャーナリストとして、映画のなかで出てくるような出来事を写真で撮影し、文章で伝えていました。この映画に改めて映像というものが持つ力を実感しました。写真や文章では絶対にあらわせないあの空気、あの音、人々の叫び声。ですから『石の賛美歌』のドキュメンタリー部分は、とても貴重な記録だと思います。ミシェル・クレイフィは本当は『石の賛美歌』をドキュメンタリーとして完成したかったのではないか。けれど、それだけではあまりに生々しいので、オブラートに包み込むためにフィクションの男女の恋愛ストーリーを挟みこんでいる、そんな風な印象も持ちます。クレイフィが共同監督でつくった『ルート181』(03)のように、ドキュメンタリーにすれば良かったのにとも思います。クレイフィは48年のイスラエル占領下に生まれたパレスチナ人だから、ガザ地区で起きている出来事に対する痛みはよくわかっていた。おそらくもっとも見せたかったのは、パレスチナ人たちの家が、イスラエルによって強制的に破壊される最後のシーンのような現実だったのでしょう。
『石の賛美歌』について
——仰るとおりなんですが、ミシェル・クレイフィをパレスチナの映画監督と呼べない面もあります。プロフィールを振り返っておくと、クレイフィは1950年にパレスチナ北部にあるナザレという町で生まれています。少年時代は自動車工をしていたが、お兄さんがベルギーにいるということで、21歳のときにヨーロッパへ渡っています。映画と演劇をベルギーで学び、30歳前後に映画監督としてデビューをしました。『石の賛美歌』は外国暮らしをしているパレスチナ人のジャーナリストの女性が、取材のために自国に戻ってくるという設定ですが、そこにはクレイフィ自身と同じようにワンクッションを置いて、インティファーダを見ざるを得ない視点が提示されています。
それから問題のフィクション部なのですが、男は1967年の第三次中東戦争の時期に抵抗運動に関わり、長らくイスラエル当局によって投獄されていた人物です。女は恋人の投獄によって絶望し、アメリカへ亡命して記者になってパレスチナへ戻ってきた。彼女は記者として西岸地区を取材してまわり、男と一緒にガザ地区へ入ろうとしている。つまり、ドキュメンタリー部分は彼女の主観から眺められたパレスチナの現状という構造になっている。それが監督のクレイフィが見たパレスチナと重なるわけです。その2人が再会し、東エルサレムにあるナショナル・パレス・ホテルで20年ぶりに情事を重ねるというストーリーですね。東エルサレムはイスラエル側のパレスチナ人居住地区という複雑な事情を抱えた場所ですし、地理的にもガザ地区や西岸地区といった闘争の現場から少し離れている。民衆蜂起を行っているのは彼らより若い世代であり、目の前で起きている第一次インティファーダと恋人たちの間には微妙な距離がある。この空間的・時間的な距離をもって現実を描くところにクレイフィなりの誠実さがあるのだと思います。この立ち位置は、自分の一部を痛みや悲しみをもって見つめる態度とでも言えるでしょうか。
土井 パレスチナの住民の表情をしっかりと撮っていて、ドキュメンタリー部分のカメラ撮影はうまいですよね。当時、ニュース映像はたくさんありましたが、それを別としたら第一次インティファーダの頃の状況をパレスチナ人側の内情を撮った映像は、多くないと思います。そのような意味においても、とても貴重な映像です。ニュース映像はセンセーショナルなシーンばかりを見せるもので、たとえば、民衆蜂起をしていて誰かパレスチナ人が撃たれて、病院へついていくという決まったパターンがあります。しかし『石の賛美歌』はニュース映像に終わることなく、インタビューをきっちりと撮って、パレスチナ住民の心の襞にも迫っているので、記録映画としても大事な作品だと思いました。
実は、私は何度かミシェル・クレイフィには出会っています。1995年に『三つの宝石の物語』というガザ地区の少年についての劇映画を、彼は撮っていました。私は当時ガザで取材をしていたので、映画の撮影現場を訪ねました。夜のオレンジ畑にイスラエル軍のジープを用意して、クレイフィが少年にいろいろと芝居をつけているところをビデオで撮影しました。そのとき、パレスチナ人であるクレイフィが撮ることと、私たち外側の者がパレスチナを撮ることと何が違うのか考えました。私たちは段々とパレスチナに近づいていくことはできるが、人々の深い屈折した心のなかまで入っていくことはできない。そうするためには、その場所で育ち、その土地にルーツを持ち、人々の心を開かせる何かを持っていないと難しい。たとえば、2013年・山形国際ドキュメンタリー映画祭でグランプリを受賞した『我々のものではない世界』のように、レバノンの難民キャンプで暮らすパレスチナ人が、そこから出て行っても連れ戻されてしまう、出口のない絶望感がリアルに映し出されている。それは文化や歴史、言葉、そして心の壁がない人間にしかできないことなのだと思いました。
私が『石の賛美歌』のドラマ部分で気がついたのは、ジャーナリストの女性が若いときに恋に落ちて、未婚のまま妊娠した過去があるということです。そのようなことをすると、兄か父が家族の恥だとして女性を名誉のために殺害することがある。いわゆる「名誉殺人」のテーマですね。深読みすれば、抵抗闘争に関わっていた男性についても、家族のなかで誰かが投獄されれば、イスラエル軍はその家族の家を破壊するわけです。そのことによって家族がバラバラになってしまう。たしかに、そのような要素はドラマでないと描けなかったのでしょうが、そんなに多くのテーマを入れようと欲張らずに、もっと焦点を絞っても良かったのではないかとも思います。
——それは『石の賛美歌』において、視点人物が男性でなく女性であることと関係しているかもしれません。映画は、女性が外国人記者としてガザ地区を訪問するところで転換点を迎えます。そのあとで女性が男性との恋の前に、つまり最初の愛において妊娠中絶し、不名誉とする家族から逃げたと告白していきます。つまり、この女性はイスラエルの抑圧に抵抗しているだけでなく、パレスチナ人のアラブ的な共同体の矛盾からも逃亡する必要があり、そのためにアメリカへ亡命したことが明かされるわけです。このことはなかなか興味深い。
なぜなら、ミシェル・クレイフィはその前の劇映画『ガリレアの婚礼』(87)の中で、イスラエル軍の司令官とパレスチナ人の村長の対立のほかに、家のなかで村長の家父長制に対立する若い世代の息子や娘の葛藤を描いていたからです。クレイフィのインタビューによれば、彼は自分の「内なる他者としての女性」について考えていたと言う。ここには、外側でイスラエルの支配と戦う者が、家のなかで女性や子供を支配していいのかという問題もある。ナチスドイツのホロコーストの犠牲者であったユダヤ人が、イスラエルに来てパレスチナ人を支配して抑圧し、今度はそのパレスチナ人男性が家では家父長制のなかで女性や子供に権能をふるう。そのような弱者に対する支配の連鎖があるのだとしたら、「女性性」は悪循環を招く暴力の連鎖とは別の価値観としてあることが示唆されているのかもしれません。ヨーロッパに住むパレスチナ人映画作家らしい視点の持ち方なのだろうと思います。
土井 それは金子さんが、クレイフィとその映画に深い知識を持っている人だから読み取れることで、一般の観客が初見だけで、そこまで読み取ることはできない思います。私はできませんでした。むしろ私にはあの男女のラブストーリーは、“邪魔”にさえ感じました。