【Review】更新されゆくもの、流動と生成――愛知県美術館「これからの写真」展のあとに text 影山虎徹

|写真技術の変容

新たな二項対立を生んでしまう大きな要因に、われわれを取り巻く写真技術そのものの変化があげられる。日本では、1981年に富士フィルムからインスタントカメラが発売され写真撮影がより一般市民にとって身近になった。さらに携帯電話にカメラ機能が搭載されるようになると、「カメラをもって出かける」という意識を持つ必要もなくなり、写真を撮るという行為はわれわれの身体の機能であるかのごとく行われるようになっていく。

写真技術の発展の中で、とりわけ大きな影響を生んだものはデジタル写真の誕生であろう。写真は、これまで光の痕跡が印画紙に写されることにより現前されるものとされており、この点を指摘してパースは写真をイコン的な性質を持つと言ったし、バルトは被写体の存在が光という媒質に取って代わり鑑賞者に触れにやってくると言ったのだが、デジタル化されることにより写真と鑑賞者との交流は、光ではなくデータを通してのものとなった。デジタル化により光電変換、量子化、コンピュータによる情報処理という段階を踏むこととなり、例えばバルトが唱えた写真の本質(「それは-かつて-あった」)の確証性は疑われるものとなった。

写真のデジタル化問題は、多くの写真批評家により取り上げられており、そこには意見の相違が見られる。飯沢耕太郎は、デジタル写真はもはや写真ではないという考えからデジタル写真を「デジグラフィ(degigraphy)」と呼ぼうとする一方で、港千尋は一切の画像は物質的にアナログ的な手段によって出力される必要があり、したがって、そもそもデジタル的な操作(演算)を経て再構成されたとしても、「デジタル」画像なるものは存在しないという立場をとる。よって港は、デジタル写真を「デジタル/アナログ写真」と呼ぶべきであると言う。

これは「デジタル写真は既にアナログ写真とは別のものである」という立場と、「デジタル写真もアナログ写真の一部である」という考え方の相違であり、とりわけここで問題となっているのは、銀塩写真などのアナログな写真の中で保持されていた物理的な連鎖が切断されるとみるか否かという点である。哲学者である荒金直人はこの問題に対して、光電変換、量子化、コンピュータによる情報処理という段階の中に科学的・光学的変換システムにおいて保たれた規則的な変換システムが成り立っているため、デジタル写真の物理的な関係は保たれる、と指摘している。

さらに、荒金によると、物理的なつながりよりも重要なことは、写真を観た結果として、「物理的なつながりを鑑賞者が実感できること」であるという。これは、被写体の過去の存在を鑑賞者が観ることによって経験するためであり、写真のノエマに関わる根本的な部分はこのことにある。

とりあえず暫定的には、デジタルで撮られようとアナログで撮られようと、写真の本質を覆されることはないと言うことが可能であろう。実を言うと、写真のデジタル化という問題は、画像生成過程に関してではなく、それよりも画像の利用に関して大きな影響を与えた。それは撮影後、自由にレタッチやトリミングするといった加工に関する問題や写真の流用に関する問題である。

|SNSによる写真への影響

今日、この問題が顕著に現れているのがSNSの場であろう。これまで、美術館やギャラリーなどに展示されることで発表されてきた写真は、SNSにより世界中の不特定多数の他者に対し写真を公開することが可能となった。例えば、近年日本の女子高生を中心に盛り上がりをみせた「マカンコウサッポウ」写真は、世界中に広まり海外でもそれを真似て撮影されるムーブメントが起こった。この撮影→公開という流れが確立されると、写真加工なども積極的に行われ、他の写真との差別化を行為も一般的に行われるようになった。このような写真技術、ならびに写真の公開をめぐる環境の変化は、写真の「作品化」という意識の変化を生んでいるように思われる。

写真の歴史を振り返ると、写真の草創期においては写真機の設備や費用の問題から設備の整ったプロの写真家や経済的に余裕のある上流階級しか写真を愉しむことができなかった。しかし、コダック社が現在のインスタントカメラを先取りするようなロールフィルムを発明したことにより、一般市民でも日常の出来事や親しい人を撮影することが可能になり、撮影した写真をアルバムにおさめて愉しむような習慣ができていく。しかし、これらは当時、写真作品としては認められておらず、あくまで個人的な愉しみに過ぎなかった。

このような事態は、1960年代を境に急転していく。ブルジョワ階級に属していたアマチュア写真家ジャック=アンリ・ラルティーグが身の回りの日常や家族友人を撮りためたファミリー写真を、ニューヨーク近代美術館(以下MoMA)の写真部門ディレクターであったジョン・シャーカフスキーが見出し、MoMAに展示したのだ。このことから今まで個人的な記録とされてきた「私写真」の魅力が発見され、その後の写真家の作品にも個人的な対象を撮った「私写真」が多く見られるようになる。

ラルティーグが、写真を撮る際にそれを作品化することを意図していたのかどうかは定かではないが、彼の写真がMoMAに展示され、彼の死後も大勢の人に写真を見られること(記憶に新しいもので言うと昨年、東京都写真美術館で展示会が行われた)になることは予想していなかったと思われる。なぜなら、以前は「私写真」とは、親しい間柄だけで愉しむものだったからである。しかし、SNSによる写真をめぐる環境の変化は、写真を撮ること→公開することといった流れを一般化した。

先ほど挙げた「マカンコウサッポウ」写真についてもう一度取り上げてみよう。写真の公開後、世界中でそれを模倣される写真が撮られた。それらの写真は再びネットに公開され、さらにそれが模倣され撮影され公開され……という循環が生まれた。そして、この循環の中で枝葉ができ「カメハメハ」写真や「ハリー・ポッター」写真なども撮られることとなった。

このことは、写真を撮り、写真を不特定多数の他者に公開し、それが撮影者から一人歩きし(ネット上という仮想)世界の中で残り続けるというという循環の顕著な現われであると思われる。このような意識を個々人がどの程度持っているのかは分からないが、それは「誰かに見せることを前提で写真を撮る」という意味で、「作品」として見なすことができる(それが果たして、「作品」と呼ぶにふさわしいものかどうかはここでは重要でない。ここで問題としているのは、誰かに見せることを前提として撮影が行われるという撮影者の意識レベルのことである)。

SNSが写真に与えた重要性は、不特定多数の人に見せるという意味で写真を「作品化」するという意識を撮影者に持たせたことにあると思われる。そして、この「作品化」が遠心的な広がりを見せ、次なる「作品化」を生むという点である(なんのために写真を撮るのですか?−−「この先それを見て愉しむためです」、から「撮った写真を見せるためです」、への変化)。しかし、この撮影における意識の変化も、「写真は他者との共有か/個人的な思い出か」という二項対立に回収され、やがてこの対立も崩されることになるだろう。

|写真の反復性

写真は、コードの誕生→二項対立の成立→二項対立の崩壊→別のものの生成といったものの反復を繰り返す。ある意味ではこれが、写真メディアの持つ特質かもしれない。そして、写真を語るという行為もそのような反復の中に身を置くことであるとも言える。本展示会の図録でも、写真の「定義できなさ」から始まり、その「定義できなさ」が結論として出される。同じように、バルトの代表的な写真論『明るい部屋』でも、写真と被写体との強力な密着性から始まり、結論部で再度その問題が繰り返される。更に言えば、バルトが写真のノエマであるとした「それは-かつて-あった」も、この著作が書かれる何年も前から別の著作においてバルト自身が言及していることも確認できる(「何ということだ!最初の一瞥でわかることを明らかにするために、一冊の本をそっくり充てるというのか」『明るい部屋』)。しかし、写真自身がそうであるように、この同語反復的な言説の中にこそ写真の新たな可能性を生み出すものがあるのだ。

実を言うと本展示において、一番の話題になったと言ってもいい鷹野隆大の作品「おれと」への規制問題は、本展示会における一番の収穫であったとも言える。なぜなら、写真における二項対立を新たにというか、再度浮き彫りにした。それは、写真は「写真家の自由な表現か/写真家の自己満足か」または、写真は「ポルノなものか/エロティックなものか」といったものである。私としては、二項対立を崩壊させるための展示において新たな二項対立を生み出してしまったことは、皮肉ではなく予想以上の収穫であったという見方をしたいと思う。なぜなら、写真は二項対立の生成という過程を踏むことによって写真のメディア的な特質を更新していくからである。関係の崩壊から別のものを生むためには、その準備段階として二項対立が不可欠であるのだから。

ある意味で写真が二項対立を生むことは、写真自身にとって幸せなことであると言える。なぜなら生まれた二項対立をその度に壊し、自身の新たな可能性を導き出すことができるからである。この展示が目指す方向にある写真とは、自身をめぐる環境や言説の影響を受け「いつでも訂正、流動化、圧縮」を行う特定的ではない暫定的なものとしての写真であるだろう。写真は全てを受け入れ、常に更新を行う。そして、これこそが写真本来の在り方ではないだろうか。

|展覧会情報

これからの写真
会期 2014年8月1日―9月27日(会期終了)
会場 愛知県美術館
主催 愛知県美術館、朝日新聞社
公式サイト http://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/history/2014_03.html

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|プロフィール

影山虎徹 Kotetsu Kageyama
1990年静岡県生まれ。愛知大学文学部人文社会学科西洋哲学専攻を経て、現在は立教大学大学院現代心理学研究科映像身体学専攻前期課程在籍。 ロラン・バルトのイメージ論を中心に、映像イメージについて研究している。